人間の意見が気持ちに左右されやすいものであることはよく知られているが、この本ではフェイスブックがおこなった興味深い実験が紹介されている。

この研究でフェイスブックはコーネル大学と共同で実験をおこなった。特定の利用者に悲しい投稿をわざと流して、投稿の悲哀が利用者の感情に作用するかどうかを調べたのだ。もちろんフェイスブックは利用者の感情に直接触れてはいない — しかし、その利用者がつぎにどう行動するかを見ることはできた。利用者の行動は影響されただろうか? 彼らの投稿に変化はあっただろうか?
いずれも答えはイエスである。悲しい投稿を見せられた利用者は自分も悲しい記事を投稿しはじめた。(25ページから26ページ)

著者は「フェイスブックページでも悲しみの感情は伝染することが判明した」と述べているが、そのとおりだろう。原論文はネット上で公開されている(https://www.pnas.org/content/111/24/8788.full)ので読んでみたところ、フェイスブックの「News Feed」に表示されるニュースを操作することで実験をしたようだ。「News Feed」で明るいニュースを減らされた利用者は暗い投稿をするようになり、逆に暗いニュースを減らされた利用者は明るい投稿をするようになったという。著者によれば、この研究は物議をかもしているという。

この研究が物議をかもしているのは、フェイスブックが利用者の感情を操作しているとしたら、利用者は必ずしも喜ばないからだ(フェイスブックが利用者もしくは利用者に準じる人々を本当に怒らせたり悲しませたりしたければ、そうすることはたやすいはずだ)。だがフェイスブックの信用のために言えば、同社は純粋に科学に貢献したのであり、ソーシャルメディアで読む投稿の感情価は、何を考えるかだけでなくどう感じるかにも作用するという、確たる証拠を引き出したのだ。(26ページ)

人びとが小集団に断片化され、分極化され、そのコミュニティーの中で暗い話ばかりが伝えられれば、皆暗い気持ちになる。逆に明るい話ばかりが伝えられれば皆明るい気持ちになる。問題は、それが単に暗い情報が多いか明るい情報が多いかといった情報の量を反映したものにすぎず、社会全体の現状や動向を反映したものではないということだ。

著者はフェイスブックが「最も個別化された体験」が最も好ましいと確信しすぎており(23ページ)、自社のコアバリューの重要性を力説するのは正しいとしても、「民主的自治を促す、あるいはせめて損なわない、という項目をコアバリューに含めなければ、理想にはほど遠い(24ページ)」と述べる。その具体策がセレンディピティのアーキテクチャなのだが、類似のアイディアとして「反対意見ボタン」も紹介されている。押すと「自分と合わない見解を見られるようにする」ボタンだ(307ページ)。

今後、もっと自然でさらに有効な取り組みを考え出す必要があるだろう。しかし何と言ってもまずユーザ自身が、情報による断片化と分極化が自分自身のためにならないということを理解する必要がある。