キャス・サンスティーン『#リパブリック — インターネットは民主主義になにをもたらすのか』(勁草書房)を読了した。サンスティーンは『選択しないという選択』を取り上げたときに紹介したように憲法学者でハーバード大学教授であり、オバマ政権では行政管理予算局の情報政策及び規制政策担当官を務めた。翻訳者も同じ伊達尚美である。

今回も彼女の翻訳にフラストレーションがつのった。だが、これをきっかけに、日本語の論理構造についてかなりいろいろ考えたので、結局は役に立ったと言える。6月20日のブログ記事で使用した引用文は、実はこの本からのものだった。

今日の記事を書くためにあちこち拾い読みしたが、さすがに2度目だと内容が頭に入っているので、読みにくさがずいぶん緩和されている。これはある意味で翻訳者にとって困ったことでもある。翻訳者は原文を読んでおり、内容を把握している。そしてそれを日本語に直した本人であるため、訳文も読み慣れている。何も知らずに初めてその訳文を読んだ読者と同じ経験をすることができない。翻訳の経験を積むことで、「この表現では伝わらない」などと感づくようになるのだが、そのためには翻訳以外でも文を書いたり本を読んだりする努力が必要となる。要するに翻訳者の「日本語力」が問われることになる。

揚げ足取りになってもいけないので、どのように訳すと伝わりやすいかを考えることとしたい。次の引用の冒頭の文を題材とする。

最新の形態のテレビやラジオ、ウェブサイトやソーシャルメディア、あるいはそれらを統合したり、枠を超えたりする未来の技術を政府が規制しようとしているとしたら、自由社会は政府の規制に反対するのでその試みは失敗するはずだ、と述べることは意味がない。自由社会は政府の規制に反対しない。いずれにせよ、少なくとも発言したがる人々を閉め出す財産権という形での政府による言論規制は、報道機関の法的所有者のために排除権を尊重し、それゆえ排除権を設定する自由のシステムに広く行きわたっている。(252ページ)

実は私はこの引用部分全体の意味がよくわからなかった。何度も読み直してわかったつもりにはなったが、いささかこころもとないことを了承していただきたい。

「意味がない」発言であることを冒頭に示す必要がある。いちばん簡単なのは冒頭に「次のような意見は意味がない」と、最後の部分を持ってくることだ。だがこれでは訳文がいかにも稚拙だ。そこで、なぜ意味がないのかという理由を前に持ってくることにする。英語では説明が後にくるが、日本語では前にくることを意識している。

試訳:自由社会が政府の規制に反対するというのは思い違いだ。だから、最新の形態のテレビやラジオ、ウェブサイトやソーシャルメディア、あるいはそれらを統合したり、枠を超えたりする未来の技術を政府が規制しようとしても「自由社会は政府の規制に反対するのでその試みは失敗するはずだ」という主張は意味がない。自由社会は政府の規制に反対しないのだ。

最後の文は削除しても良い。わかりやすくなっただろうか。