医療ポータルサイト「m3」で2020年6月23日に配信された玄田有史の寄稿「新型コロナがもたらした医療者への偏見、3つの仮説」(https://www.m3.com/clinical/news/789587)について書きたい。玄田は労働経済学が専門の経済学者で、自身のブログにも2020年5月24日付でこの寄稿の元となる記事「偏見」(https://genda-radio.com/archives/7331)を書いている。

玄田はCOVID-19騒ぎのなかで現れた医療者への各種の差別や批判について、なぜそのようなことが起こったのかを説明する仮説を3つ提示している。

  • 仮説その1:「見える恐怖」への標的化
  • 仮説その2:医療従事者への期待に対する反動
  • 仮説その3:公的対応への不満の「代理人」となっている可能性

第1の仮説は「生存本能に基づく『見える恐怖』への標的化」と言い換えられる。

感染症には、病気そのものという顔、不安や恐怖という顔に加え、嫌悪・偏見・差別という顔があるといいます。そのうち第三の顔について、見えない敵(ウイルス)に対する不安から、特定の対象を見える敵と見なして嫌悪の対象とし、さらに嫌悪の対象を偏見・差別し遠ざけることで、つかの間の安心を得ようとします。目に見える恐怖の対象として、ウイルスと対峙している医療関係者が識別され、差別や偏見を受けてしまうのです。

私はこの仮説がもっとも妥当であると感じている。ハンセン病やエイズに対する恐怖と同様の恐怖を感じる人が多く、その対象が病気に立ち向かっている医療者であるという認識では抑えきれない恐怖となってしまったのだろう。

第2の仮説は「医療およびその関係者への期待に対する反動」と言い換えられるもので、玄田は医療者が「日頃から高い評価を得てきたからこそ、今回の緊急事態に際し、反動が生じているように思います」としている。私は期待に対する反動だけではなく、劣等感に対する裏返しの感情としての怒りや軽蔑があるのではないかとも思う。「自粛」のストレスを晴らす気持ちもあるかもしれない。

第3の仮説は、国への不信を医療者が肩代わりしたという説だ。日本人は政府に対する信頼感が低い(そしてそれは当然のことだと思う)。

経済協力開発機構(OECD)が最近紹介した国際比較の世論調査によると、自国政府に対する信頼に関して、日本は2007年から2018年にかけて上昇したものの、他国に比べれば高くない方に属していました。別の国際比較である『世界価値観調査』を用いた分析では、政府のみならず、行政や報道機関への信頼が低いことも、日本の特徴であるといった指摘もあります。さらには他の調査に基づき、日本では政治そのものというよりは、政治家への信頼がきわめて低いことを指摘する声もあります。総じて、公的な存在に対し、日本人の視線は厳しいと考えてまちがいなさそうです。

専門家会議に対する批判の多くはこのような政府に対する不信に根ざしているとみて間違いないだろう。だが、一般の医療者に対する差別はまったく無関係だろうと思う。