なかなか会う機会がありませんが、お忙しいのだろうと思います。それでも重要な情報をきちんと集める貴兄の情報収集能力に感心します。早速「精神科医・松本卓也インタビュー」(https://hagamag.com/uncategory/6880)を読ませていただきました。面白い対談をご紹介いただきありがとうございました。

私は精神分析とは少し離れた世界にいること、この対談者たちとは思考環境が異なることなどもあり、正直に言ってわからないことも多々ありましたが、それでも非常に面白く読め、啓発されました。なかでも、コミュニケーションしないことも一種のコミュニケーションであるという考えと、一般的にコミュニケーションが苦手と考えられている自閉症の人たちも、自分に合ったコミュニケーションなら非常に活発にできるという指摘は、なるほどと思えました。

特に自閉症が増加しているように見えることに関する松本の次の指摘は重要だと思いました。

おそらく、そうした症状が発見されるようになった理由としては労働環境の変化があると思います。20世紀の後半、第三次産業が圧倒的に増えた。これは、他者とのコミュニケーションが常に要請されるような労働環境で働く人の数が増えたということです。そうした中で、これまでは目立つことのなかったそうした症状が目立つようになったのではないでしょうか。また、社会の中でコミュニケーションが重視されるようになると、それを前提に教育を行う学校空間の中でもそうした症状が目立つようになり、診断が下されるケースが増えた。だから、基本的には社会が変化していく中で照らし出されたものだと言えるでしょう。

昔の社会にはさまざまな障害を吸収する力があったが、現在の社会にはそのような力が少なくなっているため、認知症、自閉症といったものが疾患としてクローズアップさせるのだというのは、よく言われることながら対策が進んでいない分野です。以前にも書きましたが、私はこの点では農業に期待を寄せています。

さらに、身体的な要素を無視することはできないというのは、この対談の中で一番重要なことではないでしょうか。松本はこれを「社会構築主義に対する揺り戻し」かもしれないと言っていますが、たしかに「性差別は社会により作り出されたものだ」あるいは「障害は社会が生み出している」といった考えだけでは乗り越えられないものがあります。

「障害の社会モデル」という考え方において、障害はどこにあるかといえば、私の身体にあるのではなくて、社会の側にあるのだ、とされていました。つまり、街から段差をなくしてバリアフリーにすれば障害はなくなるのだ、という考え方ですね。これはまさに障害に関する社会構築主義であると言えます。確かに、理屈としてはそれで解決するように思えるんだけれども、しかし、やはりそれは頭の中だけでの解決だと言うこともできる。実際、バリアフリーになったところで、自分の足がうまく動かないという事実は変わらない。

ただ、この考えは、彼らも述べているように、差別を肯定する動きにつながりかねません。その点で、松本が上野千鶴子らの『当事者主権』で「もっとも大事なポイント」であると述べる「人は最初から当事者であるわけではなく、当事者になる」という指摘は、極めて重要なものだと言えるでしょう。
(この項つづく)