ソーシャルメディアを牛耳る米国の実業家たちはいずれも若いが、偶然そのような立場になったと言っていい。面白いと思ったツールを開発したり、自分が便利だと思ったツールを開発したら、それが大ヒットして知らぬ間に今の地位にいた。彼らは、自分たちの開発したものが社会を動かすようになるとは思っていなかったし、まして争いや犯罪のための使われるとは思ってもいなかった。また、それに自分たちが対処しようという覚悟もなかった。そして彼らが当初目指したのは、自分たちに出資してくれた投資家に見返りを渡すことだった。

フェイスブックの上級副社長の一人は、著者らに次のように説明した。

「当社が成長するために行うことはすべて正当化される。不審な連絡先のインポート、友だちが常に検索するのに役立つ巧妙な言葉遣い。コミュニケーション拡大のための施策。いつか中国で行う必要が出てきそうな業務。そのすべてだ。いじめにさらすことで誰かの命が犠牲になるかもしれないし、当社のツールで組織化されたテロ攻撃で死者が出るかもしれない」(349ページ)

彼らの論拠は、「刃物が人殺しに使われるからといって、刃物を作った人間が悪いわけではない。悪いのは刃物を使って悪いことをした人間だ」というものだ。これは銃器製造者が言う決まり文句で、確かに一理はある。だが、この副社長も、自分の家族が犯罪やテロに巻き込まれれば、このように悠長なことは言っていられないだろう。

ソーシャルメディアを少数の私企業が握っており、すべての決定が取締役会という密室で行われているのも問題だと著者らは指摘する(351ページ)。また、エンジニアの考え方も影響しているという。エンジニアは、ただいいものを作ることばかり考えており、それが悪用されることには関心がない。著者らはそれを「専門技術者テクノクラート的で楽観的な世界観」と呼んでいる(351ページ)。

最後に、こうした企業には非常に現実的で根深い文化的対立がつきまとう。これらの政治的にきわめて重要なプラットフォームを構築・維持する人びとのほとんどは、政治にとくに興味があるわけではない。(351ページ)

実際、2016年の米大統領選挙後、シリコンバレーで人気の掲示板「ハッカーニュース」は政治に関する発言を削除すると宣言した。運営者にとって、政治は自分たちが求めているものの対極にあったのだ。

だが、ソーシャルメディアが犯罪や戦争に使われているとい現状を突きつけられ、彼らも知らん顔をしているわけにはいかなくなった。またシリコンバレーには進歩的な人物が多い。彼らはトランプが当選したことにショックを受けたという。それもあって、このままではいけないということを認めざるを得なくなったのだ。だが、ウェブの規制は非常に難しい問題で、まだ答えになるようなものは見つかっていない。