著者は「多くのアメリカ兵はフランス人女性と礼儀をわきまえた誠実な関係を築いた(100ページ)」としているが、同じページで「アメリカ兵たちは駐屯地の町や都会で大酒を飲み、売春婦をはべらせ、戦地で覚えた暴力を罪のない市民に加えた」とも書いている。酒に酔ってジープを飛ばし、多くの市民が犠牲になったという(97ページ)。しかし「こうした暴力は圧倒的にアメリカ人に限ったもので、カナダやイギリスの連合国軍によるトラブルはまったくと言っていいほどなかった(97ページ)」とのことだ。米軍だけだった理由はわからないが、ここから受ける米国人の印象は粗野で荒くれた田舎者といったものだ。米国は西部開拓時代を通じて暴力が支配する国だった。その中でこのような国民性が育まれたのかもしれない。

さらに、米国は今も当時もキリスト教原理主義の国で、公式には性について非常に制限的で抑圧的な考え方をしている。だが、現実はそのようにいかないことも理解しており、実質的には二重基準(ダブルスタンダード)で動いている。だから、売春宿の利用を認めず、売春を(表向きには)厳しく非難する一方で、兵士にはコンドームを配布していた。

アメリカ兵の乱交はそれでも[開戦当初は]公式には否定され非公式には認知されていたが、兵士の数が何百万という単位で増え、ジャーナリストが師団と行動をともにする時代になると、この申し合わせ[表向きには規制すること]にはますます無理が生じてきた。その結果、一連の矛盾が生まれたのだ。すなわり売春宿は「立ち入り禁止」ながらも人種で分離され、セックスは糾弾されながらもコンドームが配られ、同性愛は嫌悪されながらもつねに身近に迫り、売買春は禁止されながらもひそかに組織された。(226ページ、[]内は引用者注)

陸軍省が売春宿を禁止したのは「そんな施設を作ろうものならジャーナリストに見つかり、母国のメディアで暴露される(208ページ)」を嫌ったからにすぎない。

とりわけ軍は、こうした無分別な性行動[売春を公認すること]からアメリカの一般大衆を「守る」ことを望んでいた。その結果として、アメリカ兵の性的乱交が町じゅうの公園や墓地、通りや廃墟で発生したのだ。性的関係は歯止めがきかず世間に周知のものになった。性交が真っ昼間から、子どもを含む市民の前で披露された。ル・アーヴルやランスなどの都市の住民たちは、こうした公共の場での醜態を言語道断であり恥ずべきものだと非難した。(208ページ)

引用していてうんざりしてくるが、当時の仏国の状況は沖縄よりも悪かったかもしれない。そうだとすれば、ひとつには仏国での戦闘のほうが沖縄よりも激しかったため、仏国の米兵のほうがストレスレベルが高かったからではないだろうか。