仏国では売春が合法であったことも影響しているだろうが、米国人には仏国人がセックスに寛容だという先入観があった。

アメリカ人は昔からフランス人のことを「セクシー」な国民だと思い込んでいたので、『スターズ・アンド・ストライプス』は、この前々からの先入観を利用し、フランスでのアメリカの凡庸化された使命をつくり上げた。(90ページ)

だが、このような見方は単に性的な関係を後押ししただけではない。仏国の地位をおとしめることにも役立った。米国をはじめ連合国側はド・ゴールを仏国のリーダーとして認めようとしなかった。

フランクリン・ローズヴェルトもウィンストン・チャーチルも、ド・ゴールを主権国家のリーダーとして正式に認めてはいなかった。とはいえド・ゴールはレジスタンス、さらには地方および全国で機能していたフランス国民解放委員会(CFLN)をほぼ指揮下に置いていた。それでもイギリスとアメリカの連合国軍はフランスを独立国家にするつもりはなく、1943年にシチリア島で連合国軍がこしらえた組織をモデルに連合国軍政府(AMGOT)を樹立しようと計画していた。連合国軍が上陸の日程をようやく決めたときにも、ド・ゴールは土壇場になって知らされ、統治権を保障されていなかった。フランス国民は投票できないのだから、ド・ゴールを主権国家のリーダーとして望んでいるかどうかは知りようもない、というのがローズヴェルトの言い分だった。しかも連合国軍はノルマンディーに上陸する兵士のために、ド・ゴールに相談もなく新しい通貨まで発行した。(14ページ)

著者はこのような行為を正当化するためのキャンペーンに、性が利用されたと考えている。仏国男性が意気地なしで、主権国家を担うにふさわしい存在ではないと米国民に感じさせる効果があったと見なしている。

また、仏女性に囲まれたりキスをしたりしている写真が米国で報道されると、男性は誘惑されたのだろうが、女性は当然反発した。この本では米国女性に取材した当時の雑誌の記事が紹介されている。夫がパリの女性とキスしている写真を見つけた妻は「麺棒を振りかざし」抗議の意を表した(95ページ)。

同じ親密な表現—つまりキス—が、フランスとアメリカの銃後ではまったく異なる意味を持つようになった。『スターズ・アンド・ストライプス』の写真に撮られたキスは、4年もの間自由を待ち望んでいた国民の喜びと感謝の表現だった。ところが、この軍隊向けの新聞はこうしたキスを性的なものとして描いたうえ、アメリカとフランスの団結のシンボルにつくりかえたのだ。さらに『ライフ』誌に載ると、この同じ親密な表現が、アメリカ人の性規範によってまたも姿を変えた。こうして不当に性的なものにされたキスはフランス人の性的堕落にまつわるアメリカ人の固定観念をいっそう強めることになった。(96ページ)

当時、米国と欧州の間の旅行はもっぱら船旅だったから、欧州旅行をした米国人は現在のように多くなく、仏国の国情などは伝え聞き程度の情報しかなかったのだろう。現在であれば(連合軍が仏国を解体しようとしていたことは別にして)このような誤解は起こりにくいのだろうと思う。つい80年ほど前の世界がこのようなものであったということを意識したことがなかった。私が近現代史に弱いのは学校教育のせいだけではなく、関心の持ち方の偏りもあるのだろう。