(掲載日を変更しました:10月29日→10月30日)

瓶に入った豆の数を当てたり、牛の体重を当てたりするような、個々の人が独立して数を推定できるような問題の場合、全員の平均値をとると真の値に非常に近い値が得られる。これはジェームズ・スロウィッキー『みんなの意見は案外正しい』(角川文庫)で強調されていたことであり、この本でも述べられている。18世紀に、集団がいかにして個人の判断を集約するかを研究したコンドルセ公爵は、次のような仮定を満たすならば、メンバー個人が正解を選ぶ確率が50%を少しでも越えれば集団が正解を選ぶ可能性が100%に近づくという定理を見出した。
  1. メンバーは自分の票が決定的な意味を持つかどうかを気にしない
  2. メンバーは他のメンバーの行動に影響を受けない
  3. 一人のメンバーの正答率は、他のメンバーの正答率とは統計的に無関係である
  4. (179ページ)

もちろん、個々のメンバーの正答率が50%を下回るようであれば、集団が正解を選ぶ可能性は逆に0%に近づいて行ってしまう(183ページ)。だからむやみに平均値を信頼すると大きな間違いが起こる。

コンドルセもこの点は承知していて、「投票者に知識があることが求められる。特に、決定すべき問題が複雑であればあるほど、より高い知識を持っていることが肝心だ」と述べている。
[中略]「多数の人間で構成される議会には有識者だけが集まっているわけではない。多くの事案について無知で偏見を持った人間が集まっている可能性のほうが高いかもしれない。従って、多くの議題において、各投票者の正答率が50%以下であることが考えられる。つまり、議会では人数が多ければ多いほど、間違った決定を下すリスクにさらされることが多くなる。」(186ページ)

コンドルセは「民主制を知識のない人々に任せるのは危険だ」としたという(186ページ)。

このように多数決のような統計的手法で結論を出す集団を著者らは「統計集団」と呼んでいる。それに対し、話し合いで結論を出す集団が「熟議集団」だ。ところが熟議集団についても著者らの評価は厳しい。「集団討議は、個人の間違いを取り除くことはできず、逆に増殖、増幅させることのほうが多い(68ページから69ページ)」と述べる。

著者らは集団が失敗する要因として、次の4つを挙げている。

第一に、集団はメンバーの間違いを正すことはおろか、その間違いを増幅してしまう。第二に、集団は群れとなり、メンバーは最初に口を開いたり、行動を起こした人間について行ってしまう。たとえ、その発言や行動が不幸な、おぞましい、悲劇的な方向に導くものであってもだ。第三に、集団は極端に走る。たとえば、異常なほどの楽観論を抱いている人たちは、互いに話し合うことで、それに輪をかけて楽観的になる。第四に、集団のメンバーは、共有する情報の重要性を強調するあまり、共有していない情報をないがしろにする。その結果、一人あるいは少数の人間だけが持っている、耳障りでも決定的な情報を活用することができない。(21ページ)

危険性を回避するには、この4点のそれぞれを意識して、それに対する対策を立てる必要がある。