戦争について述べておこう。森田は「戦争の6つの問題性」として次の点を挙げている。
  1. 戦争は、戦争がもたらすばく大な利権欲求のはけ口であることが多い
  2. 戦争は、不安と嘘を蔓延させることで大衆の言動をコントロールする
  3. 戦争は、他の外交解決方法はないと思わせる
  4. 戦争は、小さな武力衝突や攻撃がエスカレートし長期化する
  5. 戦争に巻き込まれた人々の身体的、心理的ダメージは計り知れない
  6. 戦争は、取り返しのつかない殺傷と環境破壊を確実に引き起こす
(目次より、抜粋して引用)
森田は意識して体罰と戦争を対比させているが、戦争の問題点は体罰の問題点と無理なく対応する。やはりどちらも人間の社会的暴力行為であるから、問題点が似るのは当然なのかもしれない。

中井久夫は『私の日本語雑記』の中で、「当時[1950年代]の戦争反省は実際は敗戦の反省で、敗因に科学と文化の低さが挙げられ、欧米モデルの文化国家建設がうたわれた。アジアについては語る人が少なく、情報も乏しかった。(139ページ)」と述べているが、現在の状況も同じようなものだろう。

日本が太平洋戦争と向き合っていないことは、海外の研究者からも指摘されているという。森田は次のように述べている。

[トラウマ治療と研究の世界的第一人者が著書の序文で]日本にはドイツなどと比べると戦争トラウマの研究がないこと、日本社会は、戦争記憶に向き合うことを戦後経済の高度成長にすり替えてきたと指摘し、「第二次世界大戦を構成した出来事の真実、起源、およびそれらがもたらした結果についての社会的な議論が一切欠如しているという点で、日本は非常に特異的である。」と書いていたことを覚えています。(178ページから179ページ)

日本において戦争トラウマの研究が少ない理由として、中村江里は『戦争とトラウマ』で次の3点を指摘しているという。

  1. 戦争神経症は死の恐怖に耐えられなかった軟弱な兵士であるとの戦時下の日本の精神医療における価値観が戦後も長く引き継がれたこと。
  2. 「戦中・戦後の資料焼却と隠匿によって、旧日本軍の戦傷病の全体像を示す統計すら残されていない」
  3. 傷病兵に関する資料は戦時中から「軍によって厳重に管理されていた」。敗戦によって米軍に押収され、1958年に日本に返却された資料も、防衛省の管轄下にあり、「一般の研究者は1980年代まで閲覧することができなかった」(186ページから187ページ)

森田は「このように戦争神経症患者への無知と偏見と嫌悪感とが、戦後になっても根強く存在したが故に、患者の苦悩に耳を傾ける専門家は少なく、また患者も口を開くことができなかったわけです(190ページ)」と述べているが、ハンセン病を放置した問題といい、戦争神経症を放置した問題といい、日本の医学の水準が基礎の分野では非常に高いのに、人間の尊厳に関わる部分においては非常に低いことを嘆かざるをえない。

おまけに日本軍では兵士に対する過酷な体罰があった。

清水は、兵士のPTSD発症の原因を6つに整理し、そのうちのひとつに「4 軍隊生活での私的制裁によるもの」をあげています。(47ページ)

私も小学校の教師から授業中に軍での制裁の話を聞いたことがあるが、それは凄惨なものだった。防衛省は日本軍における体罰の影響を公表したくなかったのかもしれない。

なお、戦争トラウマの治療は難しい。「帰還兵の多くは戦争で負ったトラウマだけでなく、育ちの中でのトラウマも含めて複合的に抱えているから(194ページ)」だ。

[米国では]戦争トラウマを負ってしまうような過酷な最前線で戦う兵士たちの多くは、貧困家庭出身の若い志願兵で、家庭や学校、育ちの中での暴力のトラウマを同時に抱えているものが少なくないと[ミネアポリスの退役軍人病院PTSD治療センターのサイコロジストは]説明します。(194ページ)

米国は徴兵制をやめ志願制にしたが、経済的な事情から志願せずにはおれない人びとが多いということだ。国籍を取得するために志願する人もいる。「だから徴兵制を復活させよう」という声もあるが、徴兵復活のための法案は2004年に否決されている。