森田によれば、社会学者フィンケルホーは「性暴力は男性の社会化(male socialization)ジェンダー意識に起因している(141ページ)」と論じた。その論点は次の4つである。非常に長いが、重要な指摘だと感じたので、そのまま引用する。

  1. 女性は性的な愛情関係と非性的な愛情関係の違いをはっきりと区別させて学ぶのに対して、男性は性行為なしで愛情を表現する機会を持たされてこなかった。それゆえに男性は愛や親密さといった情緒的欲求を生行為を通して満たそうとする傾向が女性に比べると強い。
  2. 女性との性関係を持つことが、男性としてのアイデンティティの確立に重要だという意識を持たされてきた。それゆえに男性は女性にくらべて自己のアイデンティティが危機に陥ると性行為を通してそれを取りもどそうとする傾向がある。
  3. 男性は、性的関心、性的行為を精神的、情緒的関係なしに持つことができるように社会化されてきた。その男性の無機的に性行為を持ち得る可能性は、男性のポルノグラフィへの関心や子どもからも性的刺激を得ることができる事実に現れている。
  4. 男性は、最もふさわしい性的パートナーは自分より若く、小さく、弱い存在であるべきだと社会化されてきた。一方、女性は最もふさわしい性的パートナーは自分より年上で、大きく、強い存在であると社会化されてきた。性的虐待の加害者にとって子どもは彼らの性的パートナー、若く、小さく、弱い存在の延長線上にある。
(142ページ)

非常に示唆に富んだ指摘だと思うが、私はこの説に全面的に賛成するものではない。すべてが社会化によるものではなく、生物学的な基盤を持つ行動もあると考えるからだ。だが、私にとっては新しい視点であり、かなりの部分に賛成できる議論でもある。いずれ時を改めてフィンケルホーの理論について考察したいが、彼の「まず第一に男性は性行為をともなわない愛情と親密さに満ちた関係 — 男と男の友情や育児に携わる — を積極的に持つと同時に女性との平等な性関係を保つことを学ばなければならない」という言葉は正しいと感じる。

ただし、「子どもに性暴力をする加害者の約半分近くが、実は同じ子ども・ティーンズであるという統計的事実(76ページ)」があることを忘れてはならない。性暴力はかならずしも性的なものとは限らない。それが相手を貶めるもっとも効果的な手段であるために選択され実行されることもある。