この本は随筆集と呼んでもいいようなものなので、引用しにくい。中井が記憶のみに頼って書いている部分が多く、出典が示されていないからだ。中井の意見であれば引用することに私は抵抗を感じないが、中井が何かの資料から学んだらしいことは、記憶違いもあるだろうから、引用に躊躇する。たとえば次のような記述がある。

鎌倉から室町時代にかけて、日本では識字率が激減したらしい。
その理由はともかく、識字率が激減すると、言語は文字の束縛から解き放たれて変化が自由になる。音が変わった。外国人がなかなかうまく発音できるようにならないのは、つまる音である。ああいうのもこの時代に生まれた。口語の起源は、この識字率激減の時代にあるだろう。
この時代からの口語の文末は、文語のきりっとした文末が崩れたものである。(26ページ)

この時代は、鎌倉幕府が滅んで室町幕府が誕生するが応仁の乱が起き、一向一揆が起こり、幕府が倒れて戦国時代へと続く全国的な戦乱の時代だったと理解している。識字率が低下する理由はあると思う。だが、室町時代の末期に来日したルイス・フロイスやフランシスコ・ザビエルなどの宣教師たちが日本の識字率の高さを記録していたことについては、多くの指摘がある。少なくとも室町末期には日本の識字率は高かったと推定される。それならば中井の言う識字率激減の時期は鎌倉末期から室町初期にかけてなのだろうか。「その理由はともかく」と書いており、理由もわからず、どのようなソースから得た情報なのかもわからない。したがって、この中井説をただちに採用することはできない。

もうひとつ、言語の変化について私の注意を引いた議論があった。屈折語から孤立語への変化に関する仮説だ。

英語史をひもとけば、ドイツ語の一方言に等しく、屈折性の高かった古英語が2、3世紀のうちに孤立語となったのは、デーン人征服王朝の下である。支配階級は被支配階級の言語の格変化などをわざわざ覚えようとしない。こうして格変化のないままの語法が定着する。たとえば今も格変化が目立つスラブ諸語であるが、ブルガリア語だけはトルコによる500年の支配を受けて、名詞の活用を失っている。孤立語は奴婢の言語であった歴史の傷跡でもある。
では、トルコ支配下のギリシャ語が、単語は3割の輸入を許しても孤立語化しなかったのはなぜか。トルコ帝国が事実上ギリシャ人官僚によって運営されていたことも、ギリシャ正教が公認されていたこともあるだろう。(89ページ)

さらに中国語については次のように述べている。

[中国語にも]格助詞のような文法的小道具があったが、布の貴重さ、竹に彫る手数の故に省かれ、ついで失われたという推測を聞いた。
[中略]「歳」と「年」など、同じ意味なのに二種類ある文字は、一方が多数被征服者である殷人の、他方が少数支配者である周人の字であると教わった。また、漢字は秦の始皇帝によって初めて統一されたが、その過程で文法的構造も統一されていったであろう。そうして異質の言語を統一する過程は、一般に孤立語に向かうのではないか。(90ページ)

長くなったので、この仮説に対する私の考えは、明日述べることにしたい。