講義I-4は「〝理由を探る〟認知症ケア 関わりが180度変わる」と題し、介護相談職である裵鎬洙(ペ・ホス)が担当している。

彼は、癌という病名が一時期「死」を意味する病名だったのが現在ではずいぶん受け取りかたが変わっているのに対し、「認知症に関してはなったら終わりだっていう意識が、ぼんやり社会全体にまだあるような気がするんです」と指摘する。

私は、認知症に関しては「予防するだけではいけない」と言っています。
そもそも「予防」というのは、それにならないために取り組むものです。インフルエンザ予防であってもがん予防であっても生活習慣病予防であっても、それを避けるために行なうものです。ところが認知症予防に取り組むと「認知症は避けるべきものだ」という価値観が私たちの無意識に刷り込まれます。そうなると、予防運動・活動をやればやるほど、「なりたくない」とか、「なったら終わり」だというネガティブな価値観が強まってきます。そして自分や家族がいざ認知症と診断されたとき、「終わった」とショックを受けることになります。(35ページ)

この彼の指摘はまったく正しい。認知症を予防する手段は無い。ある種の認知症は疾患であると言えるが、多くの認知症は自然な老化の過程だろうと考えられているほどだ。その認知症に対して、エビデンスもないのに「予防すべき」と宣伝しているのは、ほかでもない医師であり、製薬会社だ。たとえば某大学で教授を務めた「認知症専門医」が開設するクリニックでは、60万円で「健脳ドック」なるものを開設しており、「アルツハイマー病発症予防脳ドック」と謳い、「発症する前に見つけ、早めの予防対策を取りましょう!」と恥ずかしげもなくチラシに記載している。

裵は「認知症を予防するだけではなくて、備えることが大事だろうと思います(35ページ)」と述べるが、彼の思考は健全である。もうひとつ彼の重要な指摘がある。

「認知症になっても安心して暮らせる街づくり」って、ここ数年よく耳にする言葉です。でもその取り組みの中身を見ると、だいたい徘徊の見守りとか、訓練とか、声かけとか、そういうことが出てくるんですね。それは、どっちかっていうと住民や介護者側にとっての不安を解消しようとしてるんじゃないかなあと。この「安心して暮らせる街」の主語として、そもそも当事者が入っていないというか。(36ページから37ページ)

この裵の指摘を読んで、私も今までの自分の考えが介護者中心であったことに気づかされた。認知症患者が安心できるようにするにはどのようにすればよいか、この視点が最重要であると気づいたのだ。彼はまた介護者の悩みというと入浴や服薬の問題、介助の困難さなどが挙げられることが多いが、「いかに笑顔にするか」「どうやっていい表情をしてもらうか」という悩みがあってもいいという(39ページ)。これもそのとおりだ。

そのために重要なのは「その人に関心をもち続けること(40ページ)」だと彼はいう。これも友人の介護士から聞いた話と重なり合う。利用者に関心を持ち続ければ、コミュニケーションが生まれ、理解が生まれる。人と人としてのつながりが生まれるのだ。