國頭の予後告知に対する態度、考え方について触れておきたい。予後が厳しい(つまり死期が迫っている)ときに、医療者がいちばん恐れるのは、予後を伝えることで患者が悲観して自殺したりすることだ。予後が厳しくもないのに、癌だという病名を聞いただけで自殺する人もいるのだから、医療者にとっては深刻なプレッシャーである。

彼は「どうしても知りたい」という人には「どうして知りたいのか」を尋ねるとよいとアドバイスしている。

私にもよく経験がありますが、「予後を知りたい」「分からない」「分からなくてもどうしても知りたい」、という患者さんは、たしかにいます。その時、「どうしてそんなことを知りたいのか」と確認すれば、いや来月家族旅行に行く予定があるとか、来年初めに孫が生まれるとか、娘が結婚するとかいう事情が出てくるかもしれない。それに対して、たとえば結婚式はもうちょっと早めたほうがいいとか、その家族旅行は大丈夫だとか言えるのですね。(064ページ)

私は進行癌の患者に病名を告げた上で、逆に「いつまで生きたいですか」と訊いたことがある。かなり厳しい予後が予想されたが、実際に何か月生きられるかは誰もわからないので、不用意なことは言いたくなかったからだ。患者は「2年後に孫が小学校に入学するまで」と答えた。私は考え込んでしまった。だが、それが暗黙の告知になったのだろう。私が顔を上げて微笑み、「わかりました。頑張りましょう!」と言ったとき、患者の表情から私の考えが伝わったと感じた。

國頭は「希望も災厄の一つである(164ページ)」という考え方を紹介しているが、希望を持つ患者のほうが予後が良いという研究結果もある。希望をくじかずに予後を理解してもらうことができれば最善である。彼はまた「希望をもつ患者さんは、その裏返しに大きな恐怖を抱えている可能性が高い(202ページ)」とも言う。たしかに、異常とは言わないまでも非合理的な希望を持たないよう、特に医療者の言葉がそのきっかけとならないよう、気を付けて接するべきだろう。

彼は告知の際、よく「すぐ死ぬわけでも、死ねるわけでもない。今日も明日も、まだ生きて、嫌かもしれないけど主治医であるこの私とも、つきあっていかなければいけない(228ページ)」と言うそうだ。実は私も同じようなことを言う。もうひとつ私がよく言うのが「人の命なんてわからないものです。それをどうこう言うのは本当は非常に不遜なことなんです。今私が偉そうに後何か月って言ってますが、私のほうが今日帰りに交通事故にあって先に死んでしまうかもしれないんですから」という言葉だ。先の言葉は微笑みながら言うこともあるが、この言葉は常に真剣な顔で言っている。本当にそう思っているからだ。