伊藤薫『八甲田山 消された真実』(山と溪谷社)を読了した。伊藤は元自衛隊員で青森の第5普通科連隊に勤務したことがあり、冬の八甲田山の雪中行軍も経験している。この本で取り上げられているのは、もちろん明治35年(1902年)1月におこなわれ199名もの死者を出した歩兵第五聯隊第二大隊の八甲田山雪中行軍である。

この事件については新田次郎『八甲田山死の彷徨』が有名で、 森谷司郎・監督、高倉健・主演で1977年に『八甲田山』として映画化され、記録的な大ヒットになったという。小説はあくまで小説であり、事実ではない。著者の伊藤は「多くの人々は、それら作品に描かれた出来事がまことの事実であると錯覚をしてしまう。また[中略]遭難事故に関する本がさまざま発行され、巷間に諸説が飛び交うことにもなった」と述べているが、伊藤は丹念に資料を分析し、真実が小説からは程遠いところにあることを突き止めた。

今になって真実が露呈する主な原因は、遭難事故の事実が意図的に消されてしまったことにある。責任回避のため都合の悪いことは隠蔽され、あるいはねつ造されて大本営発表となった。この内容が地元の新聞に載り、青森市に派遣された東京の各新聞社特派員も、すぐさま電報で本社に送っていた。そのようなことによって大本営発表が事実として日本中に広がったのであろう。(16ページ)

実際、Amazonで八甲田山関係の書籍を検索すると「指揮官の決断」「リーダーシップとリスクマネジメント」などをタイトルに付けた本が検索される。おそらく多数の死者を出した歩兵第五聯隊の神成大尉と死者を出さなかった歩兵第三十一聯隊の福島大尉を比較したリーダー論なのだろう。おそらくこれらの本は新田の『八甲田山死の彷徨』や映画『八甲田山』を基にして論を立てているのだと思う。私は新田の本も読んでいないし、森谷の映画も見ていない。ましてAmazonで検索されたような本は存在すらはっきりとは知らなかった。だから伊藤の憤懣についても実感が湧かないが、小説を基にしたリーダー論がナンセンスであることについては全面的に同意する。

伊藤によれば、福島は強欲だった。名誉欲の強い野心家であるばかりでなく、行軍に際して事前に通過点の村々に手紙を出し、酒食と宿泊場所を手配するよう要請していた。難色を示す村には「天皇に報告する行軍である」と嘘までついて圧力をかけていた。また、地元民6人を案内に雇い、ただ案内させただけでなく、雪をかき分けさせて道まで作らさせたのだ。このような福島の虚像だけ見て「リーダーのあるべき姿」などと言うのであれば、伊藤が腹をたてるのももっともだ。