日本透析医学会では、2014年に血液透析療法ガイドライン作成ワーキンググループと透析非導入と継続中止を検討するサブグループの連盟で「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」を公表した(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsdt/47/5/47_269/_article/-char/ja/)。

どのガイドラインも、その背後に作成した関係者の価値観や倫理観が窺われるが、このガイドラインも例外ではない。だた、その立ち位置はガイドラインごとに微妙に異なっている。

このガイドラインでの用語について、次のような記載がある。

この議論の過程で、非開始や継続中止という用語は原則的に「見合わせ」という用語を使用することとした。この言葉は、状況次第では何時でも透析の開始または再開を再考するという含みを持たせられるからである。また、導入という用語は、医療側からの一方的な判断による決定という印象が強いので、患者と医療者との共同決定という意味を込めて、「開始」という用語を使用することとした。

合田薫子らは、「中止」という語よりも「終了」という語がふさわしいとして、「延命措置の終了」というような使い方をしている。非開始は「見合わせ」とすることに異論はないが、継続中止は「終了」としたほうが良いように思う。

提言1は「患者への適切な情報提供と患者が自己決定を行う際の支援」であるが、患者教育の視点が強いように感じた。要するに、患者の価値観が医療者の価値観に近づくように教育するという姿勢を感じたのである。個々の医療者によって具体的な説明の方法は違うのだろうが、少なくともガイドラインを作成した側は、患者への充分な情報提供があれば、患者も医療者と同じ判断を共有できると考えているように思えた。

また、提言2は「自己決定の尊重」の尊重であるが、その第2項は次のように述べている。

現時点で判断能力がなくなっていても、判断能力があった時期に本人が記した事前指示書が存在する時には、患者が希望した治療とケアの方針を尊重する。
患者にすでに判断能力はないが、判断力があった時期で記載された事前指示書が存在し、そこに示された患者の治療とケア方針について、家族が納得しない場合、医療チームは、患者の意思決定が尊重されるべきものであることを家族に繰り返し説明し、合意が得られるように努力する。どうしても、合意が得られない場合には、複数の専門家からなる委員会で検討してもらい、その委員会からの助言に従う。
維持血液透析開始あるいは継続によって生命が維持できると推定できる患者が自らの強い意思で維持血液透析を拒否する場合には、医療チームは家族とともに対応し、治療の有益性と危険性を理解できるように説明し、治療の必要性について納得してもらうように努力する。これらの努力を行っても患者の意思決定が変わらなければ、患者の意思決定過程を理解し、その意思を尊重する。

患者の事前指示書を尊重する態度は、日本老年医学会のガイドラインと根本的に異なっている。日本老年医学会のガイドラインが、人の考えは揺れ動くことを前提として作成されているのに対し、日本透析医学会のガイドラインは、患者が透析中に自分の行く末について熟考する時間が充分あるはずと考えているのだろうか。

このガイドラインの特徴は、同意書の取得に重きを置いていることだ。提言3として「同意書の取得」を取り上げていることからもわかる。透析治療の「終了」には、それが本人の意思であることの証拠が必要であるとの考えからだろう。本人が癌の末期であったり高度の認知症であったりすれば、証拠が必要なのかもしれない。家族の免責にもなるのだろう。しかし、本人がしっかりしているのなら、透析治療の終了は透析に行かないだけで達成できることであり、同意書の必要性はそれほど高くないだろう。