阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2021年03月

ロスリングは、世界を所得階層で分けるなら4つに分けるのが正解だという。ひとりあたり1日の所得が2ドルまでをレベル1、2ドルを超え8ドルまでをレベル2、8ドルを超え32ドルまでをレベル3、32ドルを超えた階層をレベル4としている。区切りが対数(累乗)になっているのには意味がある。レベル1に属するのは10億人、レベル2は30億人、レベル3は20億人、レベル4は10億人だ。世界の人口の半分がレベル2にいることがわかる。各レベルをロスリングは出世ゲームで説明する。

レベル1のスタートは1日1ドルから。5人の子供が、一家にひとつしかないプラスチックのバケツを抱え、裸足で数時間かけて歩き、ぬかるみに溜まった泥水を汲んでくる。帰り道で拾った薪で火を焚き、泥混じりのポリッジ(粥)を調理する。生まれてこのかた、口にしたことがあるのはこの粥だけ。土地は痩せ細り、不作の月にはお腹を空かせて床に就く。

レベル2に上がると少しの食料を買うことができ、靴や自転車も買える。電気も通り初め、冷蔵庫などはないのだが、停電がなければ電球の光で子どもたちは日が沈んでからも勉強することができる。このレベルに世界の半数がいるのだ。レベル1の暮らしは辛く、命を落とすことも多い。またレベル2に上がることも難しい。レベル1にいるのは内戦などの政情不安定が理由であることが多いからだ。

レベル3では水道が引かれる。電力も安定し、冷蔵庫が購入できる。バイクも買える。

そんなある日、通勤中にバイク事故に遭い、子供の教育費を前借りして医療費を支払うことに。治療の末、なんとか復帰。貯金が残っていたので、レベル2に逆戻りしなくてすむ。やがて子供2人が高校に入学。高校さえ出てくれれば、自分には手の届かなかった仕事に就かせてやれる。

レベル4は現在の日本のような暮らしだ。

この4つの所得レベルというシンプルな考え方こそが、「事実にもとづく世界の見方」を支える、ひとつめにして最も重要な柱だ。本を読み進めていけばわかるが、この4つのレベルを使うだけで、テロから性教育まで、世界についてさまざまなことを理解できるようになる。

日本から見ればレベル1から3のすべてが「低所得」に見えるかもしれないが、実態はさまざまであり、レベル1の貧困は10億人だけ(10億人もいる)ということを私たちは知らねばならない。

私は先進国と発展途上国という言葉が嫌いなのだが、単に「上から目線」の響きを感じるために感覚的に嫌いだというだけだった。だが、ロスリングは、この言葉が「分断本能」によって作り出された言葉であり、根拠がないことをデータで示してくれる。

人は誰しも、さまざまな物事や人々を2つのグループに分けないと気がすまないものだ。そして、その2つのグループのあいだには、決して埋まることのない溝があるはずだと思い込む。これが分断本能だ。世界の国々や人々が「金持ちグループ」と「貧乏グループ」に分断されているという思い込みも、分断本能のなせるわざだ。

彼は、「5歳まで生存する子供の割合」と「女性ひとりあたりの子供の数」をプロットした図を示し、1965年にはチャート上に「途上国」と「先進国」という2つの群が見られたものの、2017年現在ではそのような区別はなくなったと説明する。たしかに、すべての国が細長く線状に並んでおり、2つの群に分けることはできない。線の端と端では子供の数に1人から6人の違いはあるが、各国がその間に切れ目なく並んでいる。1965年で途上国と分類された位置に2017年時点である国は、13か国のみで、全人口の6%に過ぎないという。

これだけ世界が変わってきたのに、少なくとも「西洋諸国」においては、世界の見方は変わっていない。私たちの頭の中にある「その他の国々」のイメージは、とっくの昔に時代遅れになっている。

彼が世界中のさまざまな場所でさまざまな人たちを相手に世界の現状を問う三択クイズを出すと、正解率は非常に低いという。チンパンジーがあてずっぽうに答えても、三択クイズなら33%正解するはずなので、彼は人間の成績がチンパンジーに劣ると揶揄する。人間を間違えさせているのは、その先入観だ。先入観は正しいデータに接することで正すことができる。ただし、正しいデータに接した際に、全体を見る癖をつけないといけない。

ロスリングはいわゆる「バイアス」を「○○本能」と呼んで説明している。バイアスと言われると感じがつかめない人が多いかもしれないが、本能と言われると直感的にわかる。彼が挙げる10個の本能は、動物としての人間がなくてはならないものとして進化・発達させてきた能力なのだ。10個の本能とは次のようなものだ。

  1. 分断本能:「世界は分断されている」という思い込み
  2. ネガティブ本能:「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み
  3. 直線本能:「世界の人口はひたすら増え続ける」という思い込み
  4. 恐怖本能:危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み
  5. 過大視本能:「目の前の数字がいちばん重要だ」という思い込み
  6. パターン化本能:「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込み
  7. 宿命本能:「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
  8. 単純化本能:「世界はひとつの切り口で理解できる」という思い込み
  9. 犯人探し本能:「誰かを責めれば物事は解決する」という思い込み
  10. 焦り本能:「いますぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み
(「目次」より)

このどの本能にも役目があり、特定の場面では人間の命を救うことさえある。問題なのはこれらの本能がいつも顔を出す、あるいは不適当なときに顔を出すことだ。また、これらの本能には重なる部分がある。ものを2つに分ける「分断本能」は、自分の周囲のすべてのものを「善・悪」「左翼・右翼」「金持ちと貧乏人」といった二分法で理解しようとしてしまう傾向だ。だがこの本能はパターン化本能や単純化本能と重なるところがある。また、ネガティブ本能は恐怖本能と一部重なるかもしれない。

しかし、著者は自分の失敗談や経験を交え、面白おかしく話を進め、読者を納得させてしまう。その背後にあるのは豊富なデータだ。インターネット上ですでに公開されているデータも使っているが、独自に調査を依頼して集めたデータも多い。その熱意には頭が下がる。集められたデータは著者らが立ち上げたギャップマインダー(https://www.gapminder.org)で公開されており、誰でも見ることができる。世界の現状に対する誤解を、このページをいろいろ見ていくことで訂正することができる。

また、世界中の各所得階層の暮らしを写真で紹介する「ドル・ストリート」が現実を知るためのツールとして絶賛されているが、私が確認した時点ではギャップマインダーに吸収されているらしい(https://www.gapminder.org/dollar-street)。

ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』(日経BP社、Kindle版)を読了した。非常に読みやすく、かつ面白い本だ。著者はスウェーデンのカロリンスカ医科大学の公衆衛生(グローバルヘルス)の教授だった。この本の出版は2018年だが、彼は2017年に他界している。人生の最後に傾注していたのがこの本の執筆だったという。

人が話を聞いたとき、あるいは本を読んだとき、いちばん熱心に読み進み、いちばん頭に残るのが「お話」だ。ストーリーのあるものに人は惹かれる。滑稽な話や感動的な話なら、なおさら読んでいて楽しいし、頭に残りやすい。一方で理論ばかり述べ立てる文は読みにくい。読んでいて混乱したり、眠くなったりする。ちょうどこのブログがいい例だ。本について書いていても、本のストーリーの部分を(わざと)とばして、理論のエッセンスについて語ろうとするものだから、覚悟して読まないと読み通せない(だから1回を短くする必要がある)。

その点、この本はストーリー満載だ。何しろこの教授は講演の最後に「剣飲みの芸」を披露するくらいだから、本の語り口はサービス精神満点で、さらにそのサービスは少々変わっている。アフリカの奥地でデザートに芋虫を出された話や救急室で墜落したパイロットを治療する際に誤診した話など、他の人からは聞けないような話がたくさん載っているのだ。剣飲みのコツについても解説がある。

彼は子どものころからサーカスが好きで、サーカス芸人になりたいと思っていた。だが、サーカスの芸人にはならず、医学部に進んだ。そこで剣を飲んだ人のX線写真を見る機会があった。それが彼のサーカス芸人願望にまた火をつけた。彼は自分も練習しようとして釣竿に挑戦しだが、飲み込めなかった。その後、医師になってから、偶然、剣飲み芸人をしていた患者に出会った。そこで、彼はその患者に自分が釣竿を飲もうとしたが失敗した話をした。すると次のような答えが返ってきた。
「若先生さんは、喉が平たいことを知らないのかい? 平たいものしか、喉の奥に入れられないんだよ。だから、剣を使うんだ」
その晩、わたしはスープのおたまを見つけ、平たい取っ手の部分でさっそく練習を再開した。そしてすぐに、取っ手を全部飲み込めるようになった。だが、喜ぶのはまだ早い。わたしはおたまの取っ手飲み芸人になりたいわけじゃないのだから。(Kindle版71ページから72ページ)

彼は芸人の話を聞いて驚いたようだが、喉頭周辺の解剖を知っているものにとってはごく当たり前のことだ。喉の真ん中には喉頭と気管があるので、筒状のものはそれと競合してしまう。平たいものなら喉頭の後ろを通り抜けることができる。同じ剣飲み芸から発案したのが胃内視鏡だが、平たくないため飲むのは大変だ。

飲むといえば、以前カーテンワイヤー異物の話を聞いたことがある。カーテンワイヤーとは、カーテンを吊るすときに使う、両側にフックの付いたワイヤーのことだ。ある人が喉に異物感を感じ、何かで引っかければ取れそうな感じがした。そこで周りを探したところ、たまたま使っていないカーテンワイヤーが目についた。その端のフックを見て、その人はそのフックに引っかければ異物が取れるのではないかと思いついたのだった。カーテンワイヤーを飲み込んでみたが、異物は取れて来ない。それどころが、カーテンワイヤーのフックがどこかに引っかかって抜けなくなってしまった。位置を変えれば抜けるかもしれないと、さらにワイヤーを飲み込んでみたが、いっこう抜けてくれる気配がない。ワイヤーはどんどん入っていき、どうしようもなくなって、口からワイヤーを垂らしたまま救急外来を受診したというわけだ。ずいぶん昔の話なので、ワイヤーは硬性食道鏡で除去したそうだ。現在なら胃カメラでバスケット鉗子を使って除去するのだろう。

(承前)
池上は「ここから私は嵐に巻き込まれました」という。メディア各社からの猛烈な取材攻勢を受けたのだ。日頃は身内の批判を控えるメディアだが、この時は違った。

これをきっかけに、ライバル紙や週刊誌などからの朝日新聞バッシングが始まりましたが、驚いたことに、朝日新聞の記者たちが、次々に実名でツイッターに自社の方針を批判する投稿をするではありませんか。
実名で自社の方針を批判するのは勇気のいることです。自社の記者にツイッターへの投稿を禁止する新聞社もある中で、記者たちに言論の自由を許している朝日の社風に感銘を受けました。多くの記者たちの怒りに励まされる思いでした。

この記者たちの発言には私も驚いた。「朝日」「産経」「読売」と、新聞名と記者とを一緒くたにして捉えがちだが、各社の記者たちの思いはさまざまだということが実感された。朝日新聞も捨てたものではないと私が思ったのもこのときだ。結局朝日新聞は「誤りを認め」、池上のコラムは掲載された。

この騒動は新聞業界に大きな影響を残した。

この騒動で朝日に愛想を尽かした読者もいたようで、朝日の購読者数が大きく減るきっかけになりました。
このときは皮肉なことに、朝日たたきに走ったライバル紙も部数を減らしました。朝日新聞を批判するチラシをつくって各戸に配布し、自社の購読を勧める新聞社も出てきたほどですから、連日のように朝日を批判する記事を読まされ、動機が不純だと不快に思った他紙の読者もいたのでしょう。
結果、新聞業界全体に打撃を与えることになりました。

新聞は人間の作るものなので、当然間違いが起こる。その間違いをいかに減らすかだけでなく、間違いが起こったときにいかにそれを早く検出し、対策をとるかも同じくらい重要なのだ。そのことは河野が医療安全とヒューマンエラーについて述べていたことと重なる。朝日の記事の場合、ずいぶん前から間違いを指摘する声があったのだから、時間のかかりすぎだという池上の指摘は確かに正しい。だが、誤報をしながら放置する他のメディアの不誠実さのほうを私はあえて問題としたい。

朝日新聞はこのあと社内改革の努力をしたという

その後、朝日は記事内容を社の内外の人たちがチェックするパブリックエディター制度を導入しました。
また、記事の訂正もどんどん掲載するようになりました。ここで注目すべきは、単に「訂正します」ではなく、なぜ誤報をしたのか、その理由まで記すようになったことです。
私もNHKで32年間にわたって記者をしてきましたから、間違いを訂正することが、どれだけ恥ずかしく、また勇気がいることかよくわかります。それでも誤報を知らん顔せずに率直に訂正記事を掲載することになったのは、大きな進歩だと思います。

これが池上の率直な感想だろう(だが、その結果行儀が良すぎる新聞になってしまったというのがこの文のタイトルの意味だ)。ワシントン・ポスト紙の誤報にしても、それをきちんと訂正したことが非常に重要だ。そしてその訂正を報じない日本のメディアには問題がある。

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