阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2021年02月

まえがきでザカリアは、冷戦後の世界は米国中心の世界になったと述べている。これはソビエト連邦が崩壊して社会主義を捨て、ロシア共和国になったことを考えれば正しいと言えるだろう。だが世界はリスクを持ち続けており、バルカン戦争、アジアの経済危機、9.11攻撃、世界経済危機が起こり、Covid-19が起こった。これらの事件はすべて「非対称性の」ショックだという。

これらは小さな事件として始まったが、最後には世界中に衝撃を与えた。特に永続的な影響をもたらすと判断される3つの事象 — 9.11、2008年の経済危機、そしてCovid-19 — について[非対称性が]言える。(9ページ、訳は引用者、以下同様)

9.11は、西側社会が今まで事実上無視してきたイスラム社会と西側社会との関係を強制するものだった。西側社会は、イスラム原理主義の過激派や中東の複雑な緊張状態に巻き込まれざるをえなくなった。さらに米国はアフガニスタンとイラクに派兵する。その結果として生じた流血、紛争、難民は今もまだ収まらない。

2008年の経済危機は、歴史の中で繰り返されている現象のひとつにすぎない。しかし、米国から始まり全世界に1930年代の大恐慌以来の下落をもたらしたこの経済危機は、政治的には複雑な結果を生んだとザカリアは言う。

この破綻の根本は民間部門のやりすぎにあるのだが、多くの国では、国民は経済的な左寄りの行動をとらなかった。文化的に右寄りの行動をとったのだ。経済的な不安は文化的不安を生み、移民への敵意と懐かしい過去への懐古的な回帰願望を生んだ。右派的な大衆迎合主義ポピュリズムが西側諸国全体で強まった。(10ページ)

Covid-19は、今まさに私たちが経験しつつある現象だ。これにより、世界が大きく変わるという人もいれば、あまり変わらないという人もいる。米国が当初Covid-19の制御に大きく失敗したことが、米国の覇権にどのような影響を与えるのか、また中国はCovid-19をどのように利用していくのか、まだ何とも言えないことが多い。だが、これだけの大事件であるから、何らかの跡を残すに違いない。そしてそれを変革の契機にするのか、あるいは無視するのかは、私たち自身の気持ちにかかっていると言える。

Fareed Zakaria『Ten Lessons for a Post-Pandemic World』(Allen Lane)を読了した。日本語訳はファリード・ザカリア『パンデミック後の世界 10の教訓』(日本経済新聞出版)だが、この本の評判を聞き私が購入したときには、まだ日本語訳が出ていなかった。日本語訳は2,200円だが、私が購入した英国版はハードカバーで3,071円だった。少し待てばよかった。

アマゾンの著者紹介によれば、ザカリアはCNNの報道番組「ファリード・ザカリアGPS」のホスト役、ワシントン・ポスト紙コラムニスト、アトランティック誌編集者を務めており、ベストセラー著作家でもあるという。2019年には「フォーリン・ポリシー」誌により「この10年における世界の思想家トップ10」に選ばれているということだ。

なかなか面白い本だったが、まだトランプが米国大統領であった時期に書かれており、すでに記述が一部古くなっている。パンデミック後という「長い視程」で書いているのだが、世界は流動しているので、どうしても現実と食い違ってしまう。だが、私が興味深いと感じた事柄は、米国大統領がバイデンになったという事実を踏まえた上でも興味深いと感じたものだから、ある意味で普遍性が高いのかもしれない。

私が面白いと思った箇所は、かならずしもザカリアが述べる教訓に関連したこととは限らない。以下、この本を読んでいて面白いと感じたことを、順不同で取り上げていきたい。

まえがきでは感染症の歴史について述べている。スペイン人が、数で圧倒的に優るインカ帝国を滅ぼせたのは、天然痘のせいだというのは有名な話だろう。だが、それが中南米のキリスト教信仰に結びついていると考えたことはなかった。

[『疫病と世界史』の著者ウィリアム・]マクニールは、「原住民だけを殺し、スペイン人は冒しもしない病気が原住民にとって心理的にどういう意味を持ったか」を想像した。原住民の出した結論のひとつが、スペイン人が崇拝している神は強力だというものだったのではないかというのが彼の推測だ。それによって、なぜあれほど多くの原住民がスペインの支配下に入りキリスト教に改宗したかということが、一部は説明できるのではないか。(6ページから7ページ、訳は引用者、以下同様)

また、スペイン風邪についての記述もある。

スペイン風邪と呼ばれるのはスペインから始まったからではない。スペインが[第1次世界大戦に]参戦していなかったので報道管制がなかったからなのだ。病気の発生は報道管制がないスペインからの報告が広がる形となり、人々は病気の発生源がスペインだと思ったのだ。(7ページ)

これはよく知られた話かもしれない。

(承前)
医療は侵襲的であることが多い。手術が侵襲的であるのはもちろんだが、投薬でも本来は毒物であるものを治療薬として使ったりするし、副作用が生じることもある。そのようなものを使わなくても、患者は診断を受けただけで傷つくことすらある。検診は何の症状もない人におこなうものだから、その利益と不利益をじゅうぶんに勘案しなければならない。

この記事で挙げられていた4つの不利益(発言は宮城学院女子大学教授の緑川早苗)のうち、甲状腺癌を診断された者にとって  「②病気に対する不安などの精神的負担」と「④「癌患者」として生きることになるがゆえの社会的な影響」は非常に深刻だ。タイトルの「過剰診断で悲しむ人」は、まさにこの「見つけられなくてもよかった癌を見つけられてしまった人たち」だ。

癌があると言われたときのショックについてはあたらめて述べるまでもないだろう。子ども本人だけではない。親も非常に強いショックを受ける。その後の子育てが影響を受けないはずがない。それまでと変わらぬ子育てを継続することは難しいだろう。その親を見て、子どもはなおさら強い衝撃を受ける。

癌患者だと言われることで、周囲の目も変わる可能性がある。同情されるか、よそよそしくされるか、ざまざまな場合があるだろうが、子どもたちも親たちも、それに耐えねばならない。そのような中で自分を保っていくのはさぞかし大変なことだろう。

さらに、癌患者になったことで生命保険に入れなくなる可能性が高い。最近は癌の既往がある患者でも入れる生命保険が売り出されているが、取り扱いが不利になることは避けられない。これは子どもたちにとって非常に大きな不利益だ。

甲状腺スクリーニングは学校に通学している児童生徒にとっては避けられない強制的なものだ。だが、高等学校を卒業してしまうと甲状腺スクリーニングを受けなくなる人も多いという。ただ面倒だからというのではなく、不利益を自覚しているからかもしれない。

参加者のひとりである福島レポート編集長の服部美咲によれば「福島県民のうち,甲状腺検査を受けることの不利益を理解しているのは2割程度だと言われています」ということだ。甲状腺スクリーニングを続けるか否かには賛否両論があるかもしれない。しかし、対象者に不利益をきちんと伝え理解してもらうことには異論がないはずだ。早急に変更すべき点として緑川は次の4点を挙げる。

  1. 検査対象者の限定と任意性の担保
  2. 検査の不利益についての情報提供
  3. 検査方法の見直し
  4. 甲状腺癌と診断された方への対応

強制ではなく自由選択制にすること、不利益を知らせること、穿刺吸引細胞診をおこなわないこと、癌と診断された人に精神的(場合によっては経済的)サポートをおこなうこと、このいずれも重要だが、特に2は今すぐにでもできることのはずだ。

(承前)
「がん」と言うと非常に恐ろしげに聞こえるが、非常におとなしい癌もある。その代表が甲状腺乳頭癌と前立腺癌だ。甲状腺にできる癌には乳頭癌、濾胞癌、髄様癌、未分化癌がある。

乳頭がんは、甲状腺がんの中で最も多く、約90%がこの種類のがんです。リンパ節への転移(リンパ行性転移)が多くみられますが、極めてゆっくり進行し、予後(治療後の経過)がよいとされており、生命に関わることはまれです。(国立がん研究センター がん情報サービス https://ganjoho.jp/public/cancer/thyroid/index.html)

甲状腺癌といえば普通は乳頭癌のことで、見つかったからと言ってすぐ治療しなければならないものではない。

小さな甲状腺がんを数十年にわたって経過観察したデータがあります(神戸市・隈病院のデータ)。これらのがんは10年単位でしか成長せず、しかも若年者ではある程度成長しますが、高齢になると完全に成長を止めます。また、経過観察された千人以上の患者のうち甲状腺がんが原因で死んだ方は一人もいませんでした。すなわち、これらのがんが悪性化することはない、ということになります。(大阪大学「10分でわかる甲状腺がんの自然史と過剰診断」 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/labo/www/CRT/OD.html)

前立腺癌もゆっくり進行するものが多いが、同じ「国立がん研究センター がん情報サービス」の前立腺癌のページには次のように書いてある。

前立腺がんの中には、進行がゆっくりで、寿命に影響しないと考えられるがんもあります。がんではない、ほかの原因で死亡した男性を調べた結果、前立腺がんであったことが確認されることがあります。このように、生前にはがんが見つからず、死後の解剖によりはじめて見つかるがんをラテントがんといいます。(https://ganjoho.jp/public/cancer/prostate/index.html)

このように、治療が不要な「がん」を見つけてしまうと、次のような不都合が起きる。

まず,本来不必要な検査や治療を受けることになるため,①その痛みや合併症,手術や薬剤の使用などの身体的負担が挙げられます。加えて,②病気に対する不安などの精神的負担,③検査や治療に掛かる費用・時間などの物理的負担,そして④「癌患者」として生きることになるがゆえの社会的な影響を受けるのです。

何の訴えもない「健康な人」を対象に検診を行う場合、その利害得失を慎重に判断しなければならない。
(この項さらにつづく)

医学書院が発行する「週刊医学会新聞」第3408号(2021年2月15日発行)の第1面に掲載された鼎談「過剰診断で悲しむ人をゼロにしたい — 福島原発事故の教訓から」(ウェブ公開 https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/3408_01)について書きたい。

福島原発事故当時に福島県に在住していた子どもに対しておこなわれている福島県「県民健康調査」甲状腺検査(以下「甲状腺スクリーニング」)については、過剰診断であるとする指摘が以前からあった。だが、国が放射線による被害を隠蔽しているのではないかと強く疑う人が多く、中止に反対する人が多かった。地元でそのような運動をする人びとだけではなく、鎌田實のような医師までが意図的隠蔽ではないかと論陣を張っていた(たとえば https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50244、https://mainichi.jp/articles/20160918/ddm/013/070/026000c)。メルトダウンを否定し続け、放射性物質の拡散状況を米軍には知らせたものの国民にはいっさい知らせなかった(だから、英語ができる人は海外から情報を得ていた)日本国政府のことだ。疑われるのは無理もない。だが、甲状腺スクリーニングはそれとは次元の違う問題で、医学的(科学的)根拠に基づいて話ができるテーマのはずなのだ。現在、この甲状腺スクリーニングは医学的問題というより政治問題となっている。このような現状を踏まえると、「週刊医学会新聞」が第1面で甲状腺スクリーニングの害について取り上げたことは画期的だと思う。

甲状腺スクリーニングにより、たしかに甲状腺癌の子どもが見つかっているが、これが原発事故による放射線の影響ではないことを示すデータは多い。被曝量がチェルノブイリより2桁小さいこと、検査の当初から甲状腺癌が見つかっており、事故の後に発生したものではないのが明らかなこと、などだ。さらにこの記事では韓国の例が挙げられている。

韓国では1999年から甲状腺癌検診の公的補助が始まった影響で検診の受診者が増え,女性の甲状腺癌患者数が1999年に比べ2011年では約15倍に急増しました。しかし,そのほとんどが手術となったにもかかわらず,甲状腺癌に起因する死亡者数には変化がなかったのです。この報告から,小さな甲状腺癌の多くが無害であり,早期発見による恩恵は少ないことがわかります。

甲状腺癌のほとんどが危険なものでなく、放置してかまわないものであることは以前から指摘されていて、甲状腺癌の治療に携わる医師の間では常識であると言って良い。だが、長くなるので続きは翌日にしたい。
(この項つづく)

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