阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2021年01月

新聞社からメールで記事が送られてくることがあるが、今日、朝日新聞社から送られてきた「アナザーノート」の記事「コロナ禍で上がる指導者の支持 例外は日本のなぜ」(https://ml.asahi.com/p/000004c215/9100/body/pc.html)は、興味を引いた。執筆者の佐藤武嗣は、朝日新聞の安全保障担当編集委員だ。彼によれば、「欧州など主要国の指導者の支持率は軒並み上昇しています。ところが、その例外が、日本です」と言う。たしかにそのような感覚は持っていたが、彼が示す調査結果にはそのことが明確に現れている。

米調査会社「モーニング・コンサルト」は、独自のオンライン調査で世界の主要国の大統領や首相の支持率を記録し、分析しています。世界保健機関(WHO)がコロナを「パンデミック(世界的大流行)」と認定した昨年3月11日から同月末まで、「コロナ初期」の9カ国の首脳の支持率を分析したところでは、英国、ドイツ、カナダ、豪州、フランスで首相の支持率は軒並み上昇。米国のトランプ大統領やメキシコのオブラドール大統領も微増しています。支持が下落したのは、日本の安倍晋三首相と、「ちょっとした風邪」などとコロナ対応を露骨に軽視したブラジルのボルソナロ大統領だけでした。

否定的な調査結果はこれだけではない。

シンガポールの調査機関「ブラックボックス・リサーチ」とフランスの「トルーナ」のオンラインでの共同調査では昨年4月、23の国・地域を対象に、コロナ感染症への指導者の対応を分析。政治指導者への評価で、トップは当時すでにコロナ禍から回復基調にあった中国で86%、23カ国・地域の平均が40%で、日本はなんと最下位の5%。

さらに昨年秋以降の菅内閣支持率も低下しており「首相就任直後の昨年9月22日には、+34(支持56%、不支持22%)でしたが、今年1月21日段階で-35(支持27%、不支持62%)に急降下しています」という。

「アベノマスク」にしろ「GoToトラベル」にしろ、素人目にもお粗末なのだが、問題は日本の首相たちがなぜそのような態度をとったのかなのだろう。記事ではドイツのメルケル首相の態度と比較しているが、比較の対象が良すぎる。

記事では野口悠紀雄の言葉が引用されており、野口は、本当は救済が必要な人たちに集中的につぎ込むべきなのに、全国民対象に巨額の給付金を出したこと、GoToトラベルが困窮する人を救済するというより、一部の利益団体への支援と国民の人気取りであったことなどを批判している。ところが記事には「なぜ」の説明がない。

なぜかは今さら言う必要もないのかもしれない。現在の官邸には国民の声を聞くチャンネルが存在しないのだ。周囲にイエスマンばかりを集めた結果なのかもしれないし、為政者に一般国民のために尽くそうという信念がないからなのかもしれない。詳しいことはわからないが、支持率が下がっているという「結果」を見れば、国民、特に困窮者の声が届いていないことは明らかだ。

イスラエルの建国に関する逸話には非常に興味深いものがいくつかあった。ナショナル・イデオロギーの中心には聖書があり、それがさまざまな役割を果たしている。

イスラエル国家の建国直後の数年間、エリート知識人階級によって「聖書・民族・大地」という聖なる三位一体への崇拝が展開され、聖書は〝想像上の存在としてのネイション〟を作り上げるための中心的なイコンとなった。公務員は自分の姓を聖書上の呼称に由来するものに変えなければならず、残りの住民も、より古いエリートとできるかぎり同一化し、また近づこうと努めていたので、進んで、また熱狂的に改姓した。「離散時代」の親の姓は永久に捨てられ、子供は偉大で栄光に満ちた聖書のなかの英雄の珍しい名前を採用した。ヘブライ語化はただ人間にだけかかわったのではなかった。新たに建設されたほぼすべての入植地にも、古いヘブライ語名が付けられた。これは何よりもまず、地元のアラビア語名を永久に消し去るためであり、第二に、イスラエル建国とともに決定的に終わりを告げた長い「追放」の時代を、精神的に一気に飛び越えるのを助けるためだった。(178ページから179ページ)

ただし、教育の「ヘブライ化」は新しい国家機関からの指令ではなかったという。「大学教授・作家・ジャーナリスト・詩人などを含む幅広いインテリゲンツィア階層」は、ナショナル・イデオロギーの創出にはユダヤ人史が真実であることが重要であることを非常によく理解していた。20世紀初頭以降、すでに聖書は言語や文学の授業の教材ではなく、単独の教科として教育されるものになっていたのだ。

彼らは[中略]ナショナル・アイデンティティの創出にあたって聖書が果たしうる二重の機能を完全に分析していた。一つは全世界に分散した多様な宗教共同体の存在を統一するための「種族的」な出発点の役割であり、もう一つはイスラエルの土地の所有権についてみずから納得するための根拠としての役割であった。(179ページ)

だから、聖書の文献としての真実性が否定されることは、イスラエルにとってネイションの根幹にかかわる問題なのだ。イスラエルの大学には「一般史学科」と「イスラエル民族史学科」があり、一般史学科の科学的な歴史探求がユダヤ人史に干渉しないようになっているのもそのためだ。

イスラエルでは、ユダヤ人が2000年ものあいだイスラエルの地(エレツ・イスラエル)に再定住することを夢見ていたのだと信じているユダヤ人が多いという。著者は「イスラエルではこのような記憶の堆積が自然に形成されたものではない(51ページ)」と述べる。

19世紀後半以降、才能ある過去の再建者によって、一層また一層と蓄積されてきた。彼らはユダヤ教もキリスト教もふくめ、宗教的記憶の断片をかき集め、その基礎の上に、豊かな想像力を駆使して、ユダヤ人のために途切れることのない系譜の連鎖を作り上げた。(51ページ)

イスラエルのユダヤ人のナショナル・アイデンティティは、聖書とこれら知識人の地道な努力がなければ創出され得なかった。/div>

イスラエルはヨルダン川西岸などの占領地を併合しないまま植民を進めている。私は、世界各国の反対があり、周辺アラブ諸国との対立が激化するので、イスラエルが併合を実行しない(遠慮している)のだと思っていたが、どうもそんな綺麗事の話ばかりではないらしい。

1948年に沿海地方やガラリヤでみられたような「大半の土着民」の追放は、1967年の戦争の後には不可能になり、ひそかな願望の段階にとどまるしかなくなった。さきにみたように、新たに占領した土地を正式に併合すれば、二つのネイションで一つの実体を形成することにつながり、ユダヤ系市民が大半を占める国家の存続をおびやかしかねなかったのだ。(455ページ)

つまり、併合せずに入植を進めたのは、占領地の住民に市民権を与えたくなかったからなのだ。併合すれば、そしてそこの住民を追い出せないのであれば、アラブ人(パレスチナ人)人口が増加し、ユダヤ人の数の上での優位が危うくなる(432ページ、455ページ)。

著者はイスラエルの「人種差別」をアパルトヘイト制と呼ぶが、現在でもイスラエル国内のパレスチナ人は活発に活動を続け、それがユダヤ人の脅威となっている。

イスラエルの世論に登場した本質主義的で閉鎖的な傾向は、とくに伝統主義的で社会的・経済的に恵まれない層に強かったが、それはとりわけラジオ・テレビをはじめとする公共の場に新しいタイプのパレスチナ系イスラエル人パーソネリティーが登場し、「大胆にも」、共通の祖国の共同生活に完全に平等に参画する権利の実現を求めはじめたことからも影響を受けた。国家の「ユダヤ人」性にもとづく特権、シオニズムが手にした既得権益きとくけんえきを失うのではないかという不安は、庶民層にも自己中心的な「種族的」分離主義の勢いを強めた。(432ページから433ページ)

特に東欧とロシア出身のユダヤ人が強い脅威を感じたという。

著者は解決に向けた決意を次のように述べる。

ユダヤ系イスラエル人とアラブ人の複雑にからみ合った関係と領土内の雑居状態も考慮にいれ、100年来つづいている争いを解決する理想的な方法は — もちろん、地中海からヨルダン川までひろがる民主的な二つのネイションからなる一つの国家を建設することである。当然、あまりにも長くつづいた流血の争いのあとで、また建国をおこなった多くの移民たちが20世紀に味わった悲劇のことを考えれば、ユダヤ系イスラエル人がとつぜん祖国の少数派に転落する事態を受けいれると期待するのはとりわけ常識を欠くというものであろう。しかし、ユダヤ系イスラエル人に自分たちの国を清算するように要求するのは政治的に非常識だとしても、その代わりに、彼らがイスラエルを自分たちだけの不可分な国とみなし、自分たちが好ましくない外国人と考える大多数の市民を排除してこの国を差別国家としていることは、断じてやめるように要求しなければならない。(460ページから461ページ)

私にはイスラエルがアパルトヘイト制の差別国家であるという認識がなかった。このような意見が、ユダヤ人の中にあるということは、重要なことだと思う。

著者は歴史の皮肉について、次のように述べている。

歴史にはもうひとつ皮肉な点がある。かつてのヨーロッパでは、ユダヤ人はその起源ゆえに、異質な民族を構成すると断言するものが反ユダヤ主義者と呼ばれていた。話変わって現在では、イスラエルをのぞく世界で、ユダヤ人とみなされる人々は独自な民族あるいは普通の意味でのネイションを形成していないとあえて断言する者がいれば、ただちに「イスラエルの敵」と烙印を押されてしまう始末である。(56ページから57ページ)

ちなみに、私はこの翻訳文の意味がすぐにはわからなかった。「異質な民族を構成する」が具体的にどういうことを指すのかが理解できなかったのだ。後半を読み、前半に戻って読み直すことでやっと意味が理解できた。以前は「ユダヤ人は、聖書に記されたような起源があるので、フランス人やドイツ人といったその土地の民族とは異なった別の民族だ」と断言する人たちが、ユダヤ人排斥を唱える人(反ユダヤ主義者)と呼ばれていたと言うのだ。

著者は、近代のヨーロッパ諸国が成立したときのことを次のように述べている。

[ユダヤ人の]ほとんどは、フランス・オランダ・英国・ドイツなどの国で、数多くの宗教の一つであるモーセの宗教を信じるフランス人・オランダ人・英国人・ドイツ人となった。彼らは新しい国家の国籍を受けいれ、ときにはこのナショナル・アイデンティティをおもんじて、特段のほこりを感じていた。また彼らにはそうする権利はじゅうぶんあったわけだ。他の住民にくらべて都市部に集中することが多かっただけ、ネイション言語やネイション文化の先駆的な担い手、つまり英国・フランス・ドイツで最初にネイションに数えられる人々のなかに入ったからである(377ページ)

たしかに、ユダヤ人たちは経済力もあり学歴も高く、国の経済や学問の中心に近いところにいたので、ネイションが誕生したときには、その中心にいたはずだ。

著者によれば、ドイツのユダヤ人は自分たちをドイツ人(ドイツという国家に所属する人間)だと思っていた。イディッシュ語を話す人たちの中には、イディッシュ語がドイツ語に似ているので区別がつかず、自分はドイツ語を話していると思っていた人もいたという。一方でフランスに住むユダヤ人たちは自分たちをフランス人だと考え、ドイツ人をばかにしていた。ロシアに暮らすユダヤ人たちは、自分たちへの迫害を不当なものと考えていた。

ユダヤ人を生み出したのは、ユダヤ人を排斥した各国のナショナリズムだと繰り返し述べたが、シオニズムがポーランドやロシアで誕生したことについて、著者は次のように述べている。

この意味でシオニズムは、中欧や東欧のネイション実体の具体化にともなって出現したユダヤ人憎悪現象のいわば凹版画なのだ。この「ネガ」画像に、この地域におけるネイションの感性理解の鍵があるし、また身近にいるからこそ、そこに隠されている危険に気づくこともできるわけだ。(384ページ)

「ドイツとロシアのあいだ、それにオーストリア=ハンガリーとポーランドのあいだの地域では、[中略]種族的=生物学的、または種族的=宗教的なイデオロギーが力をもち」、長年にわたって「反ユダヤ的な憎悪を駆りたてる法律が存在しつづけ」た(382ページ)。それがシオニズムを生んだのだ。

イスラエルにとって、ユダヤ人を増やすことは至上命題だ。当初はとにかくユダヤ人を増やすことにしたらしい。

1948年11月8日におこなわれた最初の国勢調査では、住民は国籍と宗教の項目のある用紙を、みずから記入するように求められた。この申告をもとに戸籍原簿が作成され、こうしてまだ若い国家は、ユダヤ教を信仰していない多くの夫婦をひそかに「ユダヤ人化」することに成功したのだ。1950年には、出生登録はまだ国籍や宗教の欄のない別々の用紙でおこなわれていたが、しかしそれには二種類の、ヘブライ語で印刷されたものとアラブ語で印刷されたものがあった。ヘブライ語で用紙に記入した者はすべて、潜在的なユダヤ人とされた。(425ページ)

ところが、ユダヤ人であること認めてもらえないこともある。1989年以前にライプツィヒで「非ユダヤ人」の母親から生まれたイスラエル市民の「国籍ナショナリティ」欄には、いまだに「東ドイツ」と記されているという(453ページ)。

すべての市民の「民族籍ナショナリティ」は内務省に登録されており、本人がみずから決める権利もないし、また宗教の戒律にしたがって正統派ユダヤ教に改宗するのでないかぎり、変更することも決してできない。(453ページ)

この本の「はじめに — 記憶の堆積と向きあって」ではユダヤ人のナショナリティに関する4つのエピソードが紹介されている。

パリに生まれ、ユダヤ人の祖母が話していたイディッシュ語を学び、さらにヘブライ語も学んだジゼルは、イスラエルへの移住を希望した。

1976年冬のあいだ、ジゼルはパリのユダヤ機関が主催するヘブライ語の集中講義に加わった。教師は繊細で神経質なイスラエル人で、ジゼルはたえず彼を質問責めにし、また彼がたまたま犯す複雑な動詞活用の間違いをあげつらったりした。(40ページ)

ところが、ジゼルはイスラエル行きを断念した。イスラエルへの出発の手続きのためユダヤ機関に行ったところ、ユダヤ人として認められるにはユダヤ教への改宗が必要だと言われたからだった。

昔からジゼルは周囲の人間からユダヤ人と認められるよう求めていたし、ユダヤ的な響きをもつ姓に誇りをいだいていた。また母親が、心の底から父親と一体化しながらも、ゴイ(非ユダヤ人)だということも知っていた。もちろん彼女はユダヤ教に帰属できるかどうかは母親のアイデンティティによって決まることも承知していたが、こうした官僚的な「些事さじ」をさほど気に留めず、父方の家族の歴史だけで十分身分証明書をもらえるだろうと思いこんでいた。[中略]
厚かましくも彼女はユダヤ機関の職員に、あなたはユダヤ教の信者ですかとフランス語で尋ねた。「いいえ」という返事だったので、ジゼルは言い張った。「ユダヤ教を信じてもいないのにユダヤ人だと称する人間が、同じく信者でない人間い向かい、自分の国でユダヤ民族の一員と認められるには改宗しなけれいけないなんて、一体どうして要求できるのですか」。役人は、法律はそうなっていますからね、と素っ気なく答えた。(41ページ)

1970年にイスラエル帰還法でユダヤ人の定義が規定されて以来、このような滑稽とも言える「悲劇」が起こっている。

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