阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2020年11月

マラスは「マラ」の複数形で、本来は「18」と「MS」という2つのギャング団を指したようだが、現在マスコミは「凶悪犯罪に手を染める若者ギャング団」というニュアンスで、ギャング団全体を指すのに使っている(28ページ)。マラスはカリフォルニア州で誕生した。

同地域では、いわゆる「ギャング団」が19世紀から活動していたが、1929年の世界恐慌を機に、貧困層の失業問題が深刻化し、白人による非白人層への差別が激しくなったことで、現在も見られるような「ギャング団同士の縄張り争い」がしだいに日常化していく。(28ページから29ページ)

ギャング団は巨大化し、現代のマラスに受け継がれる固有の文化を生み出していった。では、米国生まれのギャング団がなぜ中米に進出したのか。

[カリフォルニア州の]ウィルソン州知事の政策によって、90年代、犯罪歴のあるホンジュラスの若者は、次々に母国へと強制送還された。96年に「不法移民改革・移民責任法(Illegal Immigration Reform and Immigrant Responsibility Act of 1996)」なる法律が成立すると、その勢いは増し、97年までに3820人がホンジュラスに戻ってくることに。その多くは若者ギャング団のメンバーだった。(33ページ)

カリフォルニアから帰国した若者たちは「大きなTシャツに腰ではくダブダブのズボン、短髪、タトゥー、ラップミュージック」といった文化を持ち帰り、90年代前半のホンジュラスではそれが大流行した。その一方で、1990年から94年のホンジュラスはラファエル・カジェーハス政権の時代で、社会福祉予算が削られ新自由主義的な経済政策が急激に導入されていった(32ページ)。ちょうどその時期に帰国したギャング団のメンバーはギャングを続けるしかなかったし、影響を受けた若者たちもそこに参加していったのだ。

だが当初は治安の悪化はそれほど深刻ではなかった。状況が急激に悪化したのはリカルド・マドゥーロ政権(2002年〜06年)がギャング団への弾圧を始めてからだ。

このマドゥーロが打ち出した政策と政治キャンペーンが、若者たちを出口のない暴力と犯罪の闇のトンネルの奥へと追い詰めていったからだ。(38ページ)

警察は、「各ギャング団メンバーがシンボルとして使っているタトゥーを入れている者を、ほとんどそのタトゥーだけを理由に次々と逮捕していった(38ページ)」という。懲役も最高30年まで科せるように法律が改正された。ギャング団側もそれに対抗するように無差別に暴力を行使するようになる。工藤は次のように述べている。

若者ギャングの問題に対して、政府が「対応策」を考えるのではなく、「壊滅策」を打ち出したことが、本来、青少年の生活・教育支援課題であるはずの問題を、完全なる「治安問題」に変質させてしまった。(39ページ)

現在の日本でも、仕事を失った外国人が盗みを働いたり性労働に従事させられたりしていることが報道されている。取り締まるだけでは、ある意味で犠牲者を鞭打っていることにしかならない。労働機会を保障すれば犯罪は減る。犯罪をしたくてしている人はごく一部にすぎない。

工藤らは、毎年8月から9月にかけて、大学生を中心としたスタディーツアーを企画してメキシコシティを訪れていた。

スタディーツアーに参加し、路上でシンナーなどを吸う目つきの怪しい子どもや若者を前にすると、日本人の大半は「怖い」と感じ、黙り込んだり、ただニコニコしたりする。しかし、NGOの施設を訪ねて、以前は路上にいた子どもたちと交流をすると、彼らが決して特別な問題児ではなく、時にシャイで時に陽気、相手をよく気遣う優しい子どもであることに気づく。そして驚くのだ。「こんないい子がなぜ、路上で薬物などに手を出し、サバイバルしなければならなかったのだろう?」と。(11ページから12ページ)

ベースにあるのは経済的な困窮だ。親に余裕がなく、子どもにかまえない。ひどい場合は虐待する。子どもは路上に逃げ出すことになる。その子どもたちに麻薬を売ったり売春をさせたりする大人たちの背景にも貧困がある。工藤は次のように結論する。

確かなことは、危険や悲劇への道はたいていの場合、子ども自身の資質や思いを超えたところでつくられているということ。それはなにもいまの時代、あるいはメキシコという場所にかぎった話ではない。(12ページ)

ギャング団は居場所のない子どもたちに居場所と仲間を与えてくれる。人のぬくもりやアイデンティティーを与えてくれるのだ(240ページ)。さらに場合によってはまじめに仕事をしていたのでは手に入らないような大金を与えてくれる。子どもたちは初めは居場所を求めて、あるいは年上のギャングをかっこいいと思って憧れて仲間になる。そして、本当の仲間になれる歳になると通過儀礼が待っている。昔は皆から殴られるだけでよかった。だが今では人を殺さねばならないという(159ページ)。だがそれを「昔より簡単になった」という少年もいる(252ページ)。

そこで質問を「なぜギャングになったの?」に変えてみた。
「この地域にいたら、ほかに選択肢がないからさ」
[今まで笑っていた19歳の双子の]兄弟はそう答えると視線を落とし、どこか浮かない顔をした。では、例えば5年後には、自分は何をしていると思うのか。
「きっと、いまと同じことをしているさ……」
そのセリフとともに、二人の顔から完全に笑みが消え、瞳の奥に影が宿った。(252ページ)

さらに工藤は「ギャングをやめて、ほかのことをしたい?」と尋ねた。彼らの答えはこうだった。

「気持ちはあっても選択肢がね……。あなたは僕たちに何か仕事をくれますか?」(253ページ)

工藤は言葉に詰まり、知り合いの牧師が運営する若者支援センターでの職業訓練に誘う。はたしてこの兄弟はセンターに行くのだろうかと、とても気になった。行動は決断だけで変えることができない。まず生きていくことができなければならないからだ。

工藤律子『マラス — 暴力に支配される少年たち』(集英社)を読了した。工藤はフリージャーナリストだが、奥付には「東京外国語大学大学院地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究し、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める」とある。堪能なスペイン語を生かし、四半世紀以上にわたってストリートチルドレンを追い続けている。

この本を読んで、中南米の実情の一端を知ることができた。格差が蔓延し、貧困層は追い詰められ、犯罪に走っている。この本は2016年の刊行で、現在はもちろん新型コロナウィルスが現地で猛威を振るっている。経済が停滞し、感染が広がる中で、医療の行き渡らない彼らがどのような状態に置かれているのか、非常に気になる。

彼女はスラムにも通っていたが、スラムについての認識を新たにさせられた。

私が通うスラムは、通常「貧しい人たちが住むみすぼらしい家と犯罪の多い地域」と考えられている場所で、経済的に貧しい住民同士が力を合わせて自力で家を建て替えたり、道路を作ったり、学校を建てたりしていた。(8ページ「プロローグ」)

つまり、スラムの住民は「実は自らの問題への解決策としてスラムを築き、進化させている」のだ。

行政が提供してくれない住まいや教育施設、インフラ整備など、生活に必要なものを自助努力で用意してきた場こそが、スラムだった。(8ページ「プロローグ」)

彼女はそこに日本がまだ貧しかった時代を重ね、「温かみ」を感じ、「スラムの人々の力強さ、優しさ、友情、そして心に秘めた誇りに、魅了された(8ページから9ページ)」という。

国による差や、地域による違いはあるのかもしれない。だがおそらくどこのスラムでも同じような光景が展開されているのだろう。難民キャンプでも似たようなことが起こっている可能性がある。私はスラムに関する知識がなかったので、スラムに暮らす人びとについて具体的なイメージを持つことができなかった。それこそ貧困・不潔・犯罪といったものとセットにしてスラムの人びとを捉えていたかもしれない。

だが、考えてみれば、人の知的レベルや道徳的レベルといったものは経済階層や教育といったものと直接関連しているわけではない。金持ちにも貧乏人にも同じように知的に優れた人と劣った人がおり、高い教育を受けている人にも知的に劣った人がいて教育を受けていない人にも高い知性を持った人がいる。私はスラムに暮らしているからといって劣った人びとだと思ったことはなかった。しかし「力強く、優しく、誇りを持った人びと」だと思ったこともなかった。そのような自分に気づかされて、考えを改めねばならないと思ったのだ。

センの「潜在能力アプローチ」について、もう少し述べておきたい。センは「実現されるべき潜在能力の体系的なリストを一度も提示していないし、さまざまな潜在能力の重要度をどのように測定するのか、どのように順序づけるのかという点に関しても不明確なものを残している(151ページ)」という。このセンの残した「余白」に苛立ちをおぼえるものは少なくないが、彼は20年以上この余白を埋めずに来た(171ページ)。若松はそのようなセンの態度を「潜在能力アプローチの具体的な内容やその哲学的根拠を説明する際には、彼の態度にはどことなく煮え切らなさが残る(151ページ)」と評価しつつ、その態度に「センの理論の重要な特徴の一つ」という積極的な意味を見出している。

センの煮え切らなさを示している一つの典型例は、彼が正義の女神にすべての選択肢を比較して、順序付けることを求めていないことに求められよう。センは正義の女神が部分的な順序を作成するだけで満足するのみならず、その部分的な順序の哲学的な根拠を深く探求しようともしない。[中略]これらの哲学的な問いに煩わされたり、完備的な順序を作り上げる没頭するよりも大事な問題をセンは正義の女神に課しているのであり、それが不正義の是正である。(152ページ。節番号の注記を削除。「作り上げる没頭する」は原文のまま)

センに言わせれば、ある理論が健全であるためにすべての選択肢が比較可能である必要はない。選択肢 xy とが比較不可能であっても、決定がその事実を考慮しておこなわれてさえいれば「健全な道徳理論」と結論できると言う。

センは「あらゆる問題を解決しなくてはならない」という強迫観念にとらわれるあまり重要な情報から目をそむけてしまうことに対して警戒しており、情報基礎の拡大のためであれば比較不可能性というコストもあえて甘受し、複雑なものを複雑なままにしておこうとする。(171ページから172ページ)

センの経済学者としての原動力がベンガル大飢饉であることを考えれば、彼は「使える経済学」を目指しているのだろう。もし潜在能力の体系的なリストや重要度の測定法を例示すれば、それに対する反例がそれこそ山ほど出てくるに違いない。そうなれば、最善のリストや測定法を求めて、際限のない議論が繰り返されることになる。センはそれを避けたいのではないか。具体的なリストはなくても、権利の実現をも含めた潜在能力をもとに正義・不正義を判断しなければならないという大きな枠組みさえあれば、あとは個々の事例に沿って最適なリストを考えていけば良い。問題解決に必要なのはすべてに通用するリストではなく、その問題に関するリストなのかもしれない。私はセンの態度をそのように理解した。

(承前)
センは潜在能力を説明するのに「標準的なミクロ経済学の概念である予算集合とのアナロジーを用いる」。

今、ある人が1万円の金銭を所持しているとする。この人が1万円で買うことのできる財貨の組み合わせの集合が予算集合である。予算集合はその人が選択できる選択肢の集合として、その人の「自由の範囲」を表現していると言えよう。さらに、この例では1万円がこの人の所有している「資源」であり、この予算集合からこの人が選択した財貨の組み合わせ、すなわち集合の一要素が「成果」である。(138ページ)

選択の結果である「成果」は、どのような事情でその選択が行なわれたかの情報を含まない。だから成果だけ見てもその人の自由さはわからない。正義論で有名なロールズは「資源」(ロールズの言葉では「財」)に注目している。だが、資源の大きさはその人の自由度の範囲を示しているとはいえ、実際の選択肢まではわからない。他の人と同じ選択ができるのか、選択肢に制限はないかといったことに関する情報は得られない。

「財」は「機能」に転換されねばならない。権利や自由は行使されなければ意味がないし、教育の機会は実際の教育に結びつかなければ機会がないに等しい。ところが「財から機能への転換率は身体的条件等さまざまな要因に依存しており、人によって大きく異なりうる(139ページ)」。財のみに注目すると、転換率の低い、たとえばハンディキャップを背負わされた人に不利になることがある。

すなわち、財に注目するアプローチは、身体に障害のある人たちの機能を向上させるために資源を優先的に分配することに反対したり、歩行が困難な人に自転車をあてがうことでその人に配慮したと考えてしまうような鈍感さを秘めているのである。(140ページ)

センはロールズの社会的基本財に注目するアプローチは「人間存在の多様性にはほとんど注意を払っていない」と批判し、「個人の自由を評価する際には、資源や財ではなく、それらを用いて実現される機能の集合である潜在能力に注目すべきである」と主張している(140ページ)。

とはいえロールズもこの問題を放置しているわけではなく、「格差原理」を導入して「格差原理で社会的基本財の不平等な分配を容認するという戦略を採って」いる。だが、格差原理は「最も不遇な立場にある人々」の状況を改善するためには財の不平等を容認するというものだから、実際に適用するにあたっては「誰が最も不遇か」を特定しなければならず、その特定には社会的基本財の予測所有量が用いられる。センが批判しているのはまさにその部分で、財の量だけでは捉えられないようなしかたで恵まれない立場に立たされている人を格差原理では救えないというのだ。

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