この本の主題は、「法解釈はどのような意味を持つか」ということらしい。つまり、人は法文を読んでそれを解釈しなければならない。どのような根拠でその解釈が正しいと言え、またその解釈が強制力を持つことが許されるのか、といったことを問題としているようだ。
第1章は「「法解釈」とは何か」だ。大屋は、この本の副題にもあるように、根源的規範主義の立場をとっている。その立場とは「規則の適用はすべて直接的な規約である(6ページ)」とするものだとのことだ。彼はその立場を詳細に説明する前に他の立場を論破していくのだが、最初に取り上げられるのが「限定的規範主義」である。こちらの立場では法文に対する社会的合意と、法的判断の客観性あるいは必然性が前提とされるそうだ。
第1章ではそこから法的判断、つまり法律の解釈の客観性についての議論が始まる。そしてそのまま第1章が終わり、第2章「「解釈」とは何か」に続く。私は第1章を読みながら、限定的規範主義に対する最終的評価がいつおこなわれるのかと考えていたのだが、それなしに、今度は「解釈」の定義に入った。第1章の議論の結論がないまま、それを棚上げにするかたちでさらに深い議論になる。両方の主義について予備知識がある読者ならいいのかもしれないが、私には負担が大きかった。
第1章自体もわかりやすいとは言えなかった。この章ではヴィトゲンシュタインの『哲学探究』の中から「石工の言語」(この名前は大屋が付けたものらしい)が紹介されている(25ページ)。この言語は石工と助手の意思疎通に使うもので「台石」「柱石」「石板」「梁石」の4語からなる。石工がどれかを叫ぶと、助手が対応する石を持っていく。
大屋は、井上達夫の法理論を論破するためにこの例を持ち出している。井上の説を認めれば、この言語が原始的な法律になっているというのだ。確かに「石板!」という言葉は、助手が何をしなければならないかを表している。
ここで大屋は助手がロボットである場合を仮定する。その場合、この言葉は「しなければならない」という意味を失うと指摘する。さらに、「あらゆる言明にはその深層構造において遂行動詞(TELL, WARN, ASK...)・深層主格(I)・深層間接目的格(YOU)が存在している(27ページ)」とする「遂行分析」が紹介され、それによって井上説はさらに否定される。
だが、私はこの議論の進め方に賛成できない。まず、話し言葉と書き言葉は異なるレベルの現象だ。『プルーストとイカ』にあったように、読字障害の人は話し言葉はわかるが、字を読むことは難しい。脳内の回路が違うのだ。書いた文章である法律の解釈に、「石板!」のような簡単な音声言語の解釈を使うことはできない。音声言語の基層はおそらく本能だ。助手は「石板!」と言われれば、とっさに石板に手を伸ばす。解釈などない。そしてこの言葉は単なる命令にすぎない。
さらにロボットを相手にした場合、ロボットの言葉の理解は人間の理解とは異なる。ロボットの回路に「石板」という言葉を認識する機能を組み込んだのであれば、ロボットはその音のパターンを認識したので、「石板」という言葉を理解したのではない。「「あ」と言ったら石板を持ってくる」とプログラムすれば、「あ」と言えば石板を持ってくるが、「石板」と言ってもロボットは動かない。
また、「遂行分析」にしても、簡単な文であれば成り立ちそうにない。人間は直感と本能のレベルで言葉を認識していると考えられるからだ。