第3章は「法哲学の教室」で、人間・環境学研究科教授の那須耕介が担当している。講義のタイトルは「人間は〝おおざっぱ〟がちょうどいい」で、副題が「安心、安全が人類を滅ぼす」となっている。いかにも私が好きそうな題だ。
昨日も「安心・安全」という言葉の使い方に文句をつけたが、那須も「『安心・安全』のおかげで、なんだか変なことが起きているぞ」と気づいたという(105ページ)。
「安心・安全」という言葉の問題点を、那須は次のように整理している。
- 「安心」と「安全」がいつもセットで扱われている。
これは私も述べたことだが、「安心」は主観的な感覚、「安全」は測定可能な確率的事象で、本来一緒に扱えないものだ。
- 人任せ、国任せにしてしまいがち
人が「安心・安全」というとき、その裏に「誰かに安全性を見極めてほしい」「誰かに安心させて欲しい」といった「人任せな心情」が見え隠れすると那須は指摘する。
すべての「安心・安全」は自分で確保すべき、などというつもりは毛頭ありませんが、国に丸投げして当然という認識もいただけません。人任せにすることで、問題がさらに増幅されてしまうという側面もあるからです。(113ページ)
現在問題になっているCOVID-19(新型コロナウィルス)感染問題でも、国がもっと規制すべきというようなことをいう人がいる。だが、そのような強力な権限を国に与えることには非常に大きな危険を伴うことに注意すべきだ。国の規制に任せるのではなく、国民一人ひとりが考え、責任を持って行動することが必要なのだ。
- キリがない
安心は主観的な問題なのであるから、どこまで追求しても「安心できない」という人がいてもおかしくない。実際に、今回のCOVID-19問題でも、神経質だが非科学的な人の発言がまかり通っていると思える。
那須は、「安心・安全」の問題点を列挙し、詳しく説明しているが、長くなるので、明日書くことにする。
なお、今日取り上げたCOVID-19感染症について付言しておく。国はこの感染症を指定感染症(2類)として定めた(https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000589748.pdf)。このため政府に強い権限が与えられたが、感染者の人権は容易に無視される。また、軽症の陽性者が数多く収容され、重症者の収容どころか一般の入院ができなくなる可能性すらある。この指定が混乱に拍車をかけるものとなる可能性が高いと思うが、混乱をどこまで抑えられるかは現場の医療者の冷静な対応にかかっていると思う。