仏国では性病が広まっていたが、米軍は一貫して規制に消極的だった。
軍の指揮官には規制に乗り出さない、何より重要な動機があった。フランス人と同じく、彼らも思慮分別の問題に特段に気を使っていたからだ。軍はフランス人の性労働を隠したがったが、それは陸軍省高官の目からだけでなく、故郷アメリカの一般市民の目に触れることを嫌がってのことだった。(238ページ、太字は原文では傍点)
「思慮分別の問題」という表現がわかりにくいが、ここでは「不道徳なこと(つまり売買春)には手を出さない」という思慮分別が在仏米軍にあると本国の国民に思ってもらわねば困るという「問題」を指している。
米陸軍軍務局長は1945年5月の覚書で、軍が海外戦域で売買春を黙認したとわかれば、「軍職員の家族から訴えられるという不祥事に発展しかねない」とはっきり述べている(239ページ)。著者はこれを米軍の「二枚舌態度」と評し、「戦後の日本における性労働へのアメリカ軍の対応」と同じものだとしている(239ページ)。
米軍占領下の沖縄については、ヒルシュフェルト『戦争と性』について書いた2019年10月6日のブログで宮台の言葉を引用した。ここであたらめて繰り返すことはないだろう。管理売春の是非について、ここで簡単に述べることは困難だが、この米軍の二枚舌的態度により多くの仏国民が苦しみ、また多くの日本人、特に沖縄の人びとが苦しんだことに間違いはない。
戦争がなくなればいいとか、軍隊がなくなればいいというのでは現実的な解決にはならない。軍隊があり、世界の各地で戦争が起こっているという現実を踏まえた上での、現実的な対策が必要だ。禁止しておいて、破ったものは罰するというのも実効性に乏しい。破った段階ですでに取り返しのつかない被害が起きている可能性がある。
人間の性欲は種族保存にとって必要なものとして進化を遂げてきた。だた、社会が変化し、今は性欲のあり方と社会のあり方がずれてしまっている。性欲は今の社会に合うように何世代もかけて変化していくのだろうが、そのときには社会がまた変わってしまっている。いたちごっこなのだが、それをも踏まえた上での対策を考えねばならない。難しいことだと思う。