ヒトが言葉を発明するまでは、声、表情、動作などで直接コミュニケートするか、絵で間接的にコミュニケートしていたのだろう。その場合のピラミッドは層構造が不完全だったかもしれないが、声や絵などで「概念」を伝えていた可能性は高いので、ピラミッドは徐々に構造化されていったのだろうと考えられる。
その後、言葉が発明され、ピラミッドの構造は確立された。コミュニケーションには、感情などの最下層の情報を伝える従来の方法に加えて、アイコンやシンボルを伝える言語コミュニケーションが加わった。言葉は音声として伝えられるので最下層を通ることになるが、言語化されたアイコンやシンボルは、相手がその言葉を話し手と同じ程度に理解するなら、アイコンやシンボルを直接伝えることにほぼ相当する。ただし、音声には感情など別の要素も相乗りすることになるので、意図しないシンボルなども伝わってしまうかもしれない。
文字が発明されると、アイコンやシンボルの伝達はより確実におこなえるようになった。文字も視覚を通してやりとりされるので、経路としてはピラミッドの底辺を通ることになる。また手書き文字には感情や体調などが現れ、文章にも同様に感情などが現れるものなので、シンボル化されたもの以外にも伝わる情報があるのだが、基本的に文字はシンボルをやり取りするチャンネルだと言える。文字によるコミュニケーションをおこなう場合、指標や類像も象徴化されてコミュニケーションに載せられる。
近年になって、コミュニケーションに載せられるものが増加した。現在では音、映像、文字の他に、端末の位置、速度・加速度、持ち主の脈拍などの生体情報といったものが通信されている。また、通信の方式(モダリティ)も増加した。直接の対面、電話、テレビ、ラジオ、印刷物以外にスマートフォンやパソコンを使ったテレビ電話、SNS、VR(仮想現実)などIT技術を使ったさまざまな情報伝達法が生まれている。マウスによる操作やタッチスクリーンに触れる、あるいはスマートフォンが振動するというのも情報伝達法の一種だ。そして各モダリティは伝達できるものと伝達のしかたに特徴がある。
たとえばSNSは文字による伝達だが、文字以外にも「伝達されてしまうもの」があり、それに配慮する特別なスキルが必要になることがある。そのスキルを身につけないと「炎上」を引き起こす可能性がある。「炎上」はSNSの性質に根ざした現象だ。
チャットやメールも文字によるコミュニケーションだが、対面の会話と違い、表情や声のトーンを意識する必要がない。決まり文句で済ませることもできる。そこで実際に対面して会話することを嫌い、メールやチャットを好む人が出現する。
つまり、すべてのコミュニケーションはピラミッドの底辺を通るのだが、そこにはいわば多数の「コンセント」があり、それらのコンセントは上層と強く結びついている。私たちはそのコンセントを使ってメディアと接続している。
コンピュータもそのようにメディア(主にインターネット)と接続している。ポート番号がコンセントに相当する。私が手に持っているスマートフォンは、タッチスクリーンやイヤフォン・マイクを経由して私と直接接続しているがスマートフォンがスマートフォンとして機能するにはインターネットとの接続が不可欠である。それなら手の中のスマートフォンもタッチというメディアに接続している下のピラミッドの一部とみなせる。
現代社会の個人は、メディア生活において、それぞれがアカウントを持ち、それを通してWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)のようなネットワークの中に位置付けられて相互に結びついています。ぼくはそこで、人間とコンピュータ、それぞれの「記号の正逆ピラミッド」が紡錘形のようなかたちになって、相互リンクによって結びついていると考えます。つまり、現代のメディアは、記号過程と情報処理の双対的プロセスとしてネットワーク化されて成立している。みんながiPadやスマホを端末として、身体も心もWWWで相互に結びついている今日のコミュニケーション状況を思い浮かべてください。(236ページ)
このような整理のしかたも興味深いが、下のピラミッドは実はひとつのものだということに注意しなければならない。ヒトは生物としての個体を分けることができるが、下のピラミッドが表すデジタルワールドは分割することに意味がない。石田の整理も面白いが、その整理のしかたの必然性は何かという検討が必要で、その整理法から何が生まれるかが重要だろう。
石田は「第1の追伸 文字学ついて」で記号のピラミッドに実際のピラミッドを重ね、ヘーゲルとフロイトを論じている(361ページ以降)。ここまでくると、「お話として聞いておきましょう」というしかなくなる。