阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2019年04月

講義I-4は「〝理由を探る〟認知症ケア 関わりが180度変わる」と題し、介護相談職である裵鎬洙(ペ・ホス)が担当している。

彼は、癌という病名が一時期「死」を意味する病名だったのが現在ではずいぶん受け取りかたが変わっているのに対し、「認知症に関してはなったら終わりだっていう意識が、ぼんやり社会全体にまだあるような気がするんです」と指摘する。

私は、認知症に関しては「予防するだけではいけない」と言っています。
そもそも「予防」というのは、それにならないために取り組むものです。インフルエンザ予防であってもがん予防であっても生活習慣病予防であっても、それを避けるために行なうものです。ところが認知症予防に取り組むと「認知症は避けるべきものだ」という価値観が私たちの無意識に刷り込まれます。そうなると、予防運動・活動をやればやるほど、「なりたくない」とか、「なったら終わり」だというネガティブな価値観が強まってきます。そして自分や家族がいざ認知症と診断されたとき、「終わった」とショックを受けることになります。(35ページ)

この彼の指摘はまったく正しい。認知症を予防する手段は無い。ある種の認知症は疾患であると言えるが、多くの認知症は自然な老化の過程だろうと考えられているほどだ。その認知症に対して、エビデンスもないのに「予防すべき」と宣伝しているのは、ほかでもない医師であり、製薬会社だ。たとえば某大学で教授を務めた「認知症専門医」が開設するクリニックでは、60万円で「健脳ドック」なるものを開設しており、「アルツハイマー病発症予防脳ドック」と謳い、「発症する前に見つけ、早めの予防対策を取りましょう!」と恥ずかしげもなくチラシに記載している。

裵は「認知症を予防するだけではなくて、備えることが大事だろうと思います(35ページ)」と述べるが、彼の思考は健全である。もうひとつ彼の重要な指摘がある。

「認知症になっても安心して暮らせる街づくり」って、ここ数年よく耳にする言葉です。でもその取り組みの中身を見ると、だいたい徘徊の見守りとか、訓練とか、声かけとか、そういうことが出てくるんですね。それは、どっちかっていうと住民や介護者側にとっての不安を解消しようとしてるんじゃないかなあと。この「安心して暮らせる街」の主語として、そもそも当事者が入っていないというか。(36ページから37ページ)

この裵の指摘を読んで、私も今までの自分の考えが介護者中心であったことに気づかされた。認知症患者が安心できるようにするにはどのようにすればよいか、この視点が最重要であると気づいたのだ。彼はまた介護者の悩みというと入浴や服薬の問題、介助の困難さなどが挙げられることが多いが、「いかに笑顔にするか」「どうやっていい表情をしてもらうか」という悩みがあってもいいという(39ページ)。これもそのとおりだ。

そのために重要なのは「その人に関心をもち続けること(40ページ)」だと彼はいう。これも友人の介護士から聞いた話と重なり合う。利用者に関心を持ち続ければ、コミュニケーションが生まれ、理解が生まれる。人と人としてのつながりが生まれるのだ。

講義I-3は「なぜスウェーデンでは認知症が重症化しないのか」という題で、ジャーナリストの藤原瑠美が担当している。

スウェーデンではケアのことをオムソーリ(omsorg)と呼ぶが、藤原は次のように解説している。

[omsorg]はスウェーデンに古くからある言葉です。(誰かの死を)「悼む」言葉に類似していて、「援助する・面倒を見る」という意味があります。英語の「ケア」に当たる言葉ですが、ケアは人間以外にも使いますが、オムソーリは人間だけに使われている言葉です。(27ページ)

オムソーリは次のように「整理されている」という(ストックホルム大学のマルタ・セベヘリによる)。

  1. オムソーリは感情を持つ人間により営まれる入念な、心遣いのある、実際のはたらき方である。
  2. 人と人との関係性が問われる概念である。
  3. 質のよし悪しが問われる概念である。(28ページ)

藤原は、「オムソーリのケアは自立の支援です」と述べる。

本人ができることは手伝わない。できないことだけを見極めて、ニーズを絞ったケアなんです。利用者さんができることを奪うのはとてもいけないことだといわれています。(29ページ)

具体的には次のうようなケアになる。

非マニュアル的に機転を働かせ、臨機応変・入念・丁寧にケアをする。それくらい手間をかけても、介護する本人が楽しいからやり続けることができる。心静かに、気ぜわしくなく(作業でないことが重要です)。そして豊富な言葉で会話を交わし、その声の力や発声にも気を配る—。友だちのような親しさ感がありながら節度がある。日本でもそういうようなケアが認知症の方々にもされるようになったら、重度化は防げるのではないかと思っています。(29ページ)

スウェーデン語にもケアに当たる言葉は複数ある。その中でもomsorgが選ばれたのだが、それ以前はvård(ヴォード)と呼ばれていた。ヴォードは「病気の回復を目指す」という意味があって感情とは無関係、オムソーリは「病気の現状維持か、悪化する」という意味があり感情が伴う言葉だという。omsorgはomとsorgからなり、sorgには「悲嘆、悲しみ」という意味があるので(omにはさまざまな意味がある)、そのようなニュアンスを持つのだろうか。

いずれにせよ、藤原の主張はスウェーデンでは感情の伴ったケアをすることで、認知症が重症化していないというように読めた。それはそうかもしれないが、そのようなケアは一朝一夕にできたものではないと思う。ヴォードからオムソーリへと呼び方を変えただけで達成されるものではないだろう。そのようなケアをする社会的風土があると考えるのが妥当ではないか。

藤原が述べるように、20世紀初頭まで、スウェーデンは欧州の最貧国だった。19世紀中頃から20世紀初頭まで、当時の人口400万人のうち若者を中心に120万人が、主に米国に移民した。

そのため、1890年ころから高齢化が始まり、実に82年という歳月をかけて、1972年に高齢社会に到達しています。(25ページ)。

オムソーリの概念を導入した社会サービス法の施行は1982年である。ある社会でどのようなケアがおこなわれているかを知ることは重要であるが、なぜそのようなケアがおこなわれるようになったかを知ることのほうがずっと重要だと思う。なぜ、どのような経緯で社会サービス法が制定されたのか、機会があったら調べてみたい。

藤原が描写するようなケアが実現できれば確かにいいだろう。だが、マンパワーが不足し、賃金も高くない普通の介護の現場で、「心静かに、気ぜわしくなく」「豊富な言葉で会話を交わし」といっても、あまり意味がない。昨日のブログで触れた加藤が運営する「あおいけあ」のように、体制から変えた運営が必要になるだろう。逆に、体制を変えれば題目を唱えなくても良いケアができるようになると思う。

講義I-2は「認知症プロアクティブアプローチケア」で、介護施設を運営する加藤忠相が担当している。彼はデイサービスにありがちな問題を指摘する。いくら清潔で便利な環境であっても、そこに半日ずっと座っているのは苦痛だというのだ。

[デイサービスを利用する高齢者は]困っている方ですよね。足腰が痛かったり、いろんな記憶がなくなってしまったりするのがお年寄りです。その相手に僕自身でも難しいこと[7時間座り続けること]を要求して、あちこち動かれたら、「○○さん、徘徊」などと記録に書かれてしまうわけです。そのあとは「ご飯だから座ってて」って抑制されちゃう。おかしくないかっていうのが、僕の考えです。(14ページから15ページ)

彼はケアの目標を(1)回復を目指す、(2)現在の機能を保つ、(3)最後まで寄り添う、の3つによる自立支援だとする。標題の「プロアクティブ」とは「先を見越した」という意味だ。先回りして現在の機能を落とさないためのケアを提供すべきだと彼は考えている。ところが現状では高齢者は「世話になる」立場に追いやられていると批判する。

でも、介護保険法で「自立支援を考える」というのは、「一緒に」掃除をしてはじめて自立支援ですし、「一緒に」お茶を淹れてもらっていいですかとコミュニケーションをとって、はじめて自立支援です。そうされると、お年寄りは自分が何かの役に立つってことがわかるわけです。(18ページ)

彼は、現在の介護の現場が支援ではなく支配になっているという。介護職の離職が多いのはこのためだという。介護職を選ぶ人たちは「じいちゃんばあちゃんが好きだから」「人の役に立ちたいから」という動機で選ぶ人がほとんどで(21ページ)、「基本的に優しい」(19ページ)。「優しい人材がちゃんと優しさを発揮できる現場ではない(19ページ)」ので、離職が多くなるし、残れる人(強い人、我慢できる人、気にならない人)しか残らない職場になる。

彼の運営する施設では、利用者が当然のように働いている。職員がするのは車の運転と記録だけだという。食事の支度も入浴も、職員がすれば「業務」だが、利用者がすれば「自立支援」だ。

たとえばレクと称して皆で折り紙をやって、何が自立支援ですかって言いたいです。元々折り紙が大好きな人なら自立支援になるかもしれない。でも一律に折り紙をさせて、それで介護保険使っていいですか? って話です。(20ページ)

私も、デイサービスや高齢者施設に対し、自分が利用したいというような感じは持っていない。童謡を歌ったり、演歌を聞いたり、手遊びをしたり、折り紙を折ったりというのは、私がしたことではない。私が聞きたい音楽はロックであり、ジャズであり、J-Popである。したいのは読書と映像視聴とプログラミングだ(いつまでプログラミングができるかはわからないが)。そんな興味を満たしてくれるデイサービスなら行ってもいい。少なくとも私はインターネット環境が整っていない高齢者施設には入所できない。

最初の講義(I-1)は木之下徹によるものだ。木之下は認知症クリニックの院長である。彼は、よくある「認知症になると、壊れるの? おしまいなの?」という質問に対して、次のように答えている。

「おしまいになる」のではなく、他人が「おしまいにしている」。
薬でコントロールする前に当事者、本人の話を聞くべきでは無いか。本人はなぜ怒っているのか。家族の話だけ聞かずに、本人の視点で考えるべきではないか。周囲の人が、本人の話も聞かず、「ひと」扱いせずに、「おしまい」にしてしまってはいないか。(9ページ)

さらに次のようにも述べる。

「暴言、不穏…」といった周辺症状は「ケアの結果」であって、「ケアのはじまり」ではない。それらをはじまりと考えるから、抑制、制圧の対象という発想になる。(10ページ)

この講義の最後に「お福の会」宣言が紹介されている。唐突に出てくるのでいささか面食らうが、認知症を「普通の出来事」として捉えようとする宣言だということはわかる。前半を引用する。

人は人として生まれ人として死ぬ
そしてその過程で誰もが認知症という病に遭遇する可能性をもっている
かつて認知症になると「人格が崩壊する」「こころが失われる」と
おそれられた時代があった
だが、いまや私たちは知っている
認知症になっても自分は自分であり続けることを
月が欠けているように見えても
月が丸いことに変わりはないのと同じである(11ページ)

インターネットで検索したところ、この会は次のようなものであることがわかった。

始まりは2008年1月に放送された、NHKスペシャル「認知症 なぜ見過ごされるのか」。この番組製作スタッフと出演者が収録後に、『まだ話し足らない!』と新宿の小さな居酒屋『お福』で認知症について議論したことが発端となり、全国の認知症に関係する仲間たちに声をかけ、職種、立場を超えて『認知症』を共通言語として理解する場が創られました。
残念ながら新宿の居酒屋「お福」は存在せず、今は品川区大井町にあるバーロマンに不定期とはなりながらも継続的に開催されています。(http://taiyo-ie.com/blog/2844.html、句読点を適宜追加)

死について考えるときも、いずれかならず自分は死ぬということを意識することが重要だが、認知症に関して議論するときにも同様のことが言えるだろう。だが、なかなかそれが実行できていない現実がある。

佐々木淳:編『在宅医療カレッジ — 地域共生社会を支える多職種の学び21講』(医学書院)を読了した。佐々木は在宅医療中心に活動している医師だが、多職種協働の重要性が叫ばれつつもスムーズに進んでいない現状を打開しようと多職種に向けた「合同の学びの場」を提供することにした。月1回ほどのペースで、彼が関心を持った講師を招き、有料のカンファランスを開催している。この本はその講演録である。

カンファレンスを開催した背景には、彼の次にような考え方がある。

専門職は「自分が提供すべき専門性」ではなく「自分が求められている専門性」という視点で、自らのスキルを磨いていくことが重要であると考えています。(ivページ「はじめに」)

第1回のときは、「果たしてどれくらいの人が在宅医療やケアを「学ぶ」ことに関心を持っているのだろう」と非常に不安だったという。

ドキドキしながら開催情報を告知・リリースしたFacebookのイベントページは、しかしその翌日には200人分用意した一般公募枠を大きく超える参加表明であふれていました。さらに枠を100人増やしても全然足りず、当日のドタキャンに期待するまでに(251ページ「おわりに」)

この本に登場する講師は、どれも自分の道を邁進している人ばかりで、講演は非常に迫力がある。もちろん講師の意見にすべて賛成できるわけではないが、その人が実践で結果を出しているという事実は重い。

カレッジの「学長」をジャーナリストの町亞聖が務めている。町は1990年代から10年間、母親を在宅で介護して看取り、父親も癌で看取った経験から、医療・介護をテーマとして取材を続けているが、このカレッジには当事者として参加したという。彼女は多職種連携が進まない理由を次のように推測している。

連携がうまくいっていない理由として「ルールの違う競技をしているようだ」と表現した介護職の人がいたが、病気を治すことを第一の目標とする医療と生活を支えることを目標にする介護は、そもそも始めからルールが違うのである。また、どうしても医療が看護の上に、看護が介護の上に…という職域意識が払拭できないでいることも連携を阻む要因になっている。(247ページから248ページ「学長より」)

まさにそのとおりだと思う。しかしサッカーのチームにはフォワード、ディフェンダー、ミッドフィールダーなどの役割分担があるだけでなく、手を使ってもいいという異なるルールのメンバーまでいるのに、試合では協働している。「ルールの違う競技をしているようだ」という言葉はまさに至言だと思うが、ルールが違っても一緒に協議ができるはずなのだ。それにはお互いのルールをよく知り、共通の目標を設定し、お互いの働きをどのように組み合わせるのが最も良いかを考えねばならない。そのためにはこのような「カレッジ」が大いに役立つだろう。

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