阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2019年01月

医療ポータルサイト「m3」の「著者インタビュー」の記事として、2019年1月5日から4回にわたって「佐々木淳・医療法人悠翔会理事長に聞く」が掲載された(https://www.m3.com/news/iryoishin/650733、他3件)。佐々木は首都圏で11の在宅医療専門クリニックを運営する医療法人の理事長で、勉強会「在宅医療カレッジ」を運営している。その講演録を上梓したので「著者インタビュー」に取り上げられたようだ。彼は「患者を不幸にしていた反省」から在宅医療に軸足を移したということだが、彼の発言にはそのような経歴の人らしいすぐれたものが多かった。彼の発言の中からいくつかを選び、コメントしたい。

在宅医療チームについて次のような発言がある。

多職種の中に上下関係はなく、誰がやってもいいのです。ただ便宜上、介護保険の給付管理はケアマネさんの仕事であり、医療系専門職への指示書を書くのは、医師の役割なので、何となく医師とケアマネさんが中心になりがち。けれども、気付いた人が「これを入れた方がいいんじゃない?」「これは要らないんじゃない?」などと、ケアマネさんや在宅医にきちんと言える関係が大事。(vol.1)

実際に、医療関係で配布される資料などを見ると医師のリーダーシップを前提としたチーム編成が示されていることが多い。私は医療における権威勾配は害悪意外の何物でもないとみなしており、「医師が指示を出す」というのは単なる役割分担と考えねばならないと信じている。現状では、フラットな関係の提案がこのように医師の側から出ることが非常に重要である。

また、医学教育について、次のような指摘があった。

「高齢者は、若者とは全く違う」ことを学ばなければいけいない。私が医学を学んだ1990年代の教科書を書いたのは、1960年代、1970年代に医師になった世代です。当時、高齢者は少なく、大半は若い患者。だから我々が学んできたのは、「若者の医療」。しかし、実際に臨床の現場に入ったら、患者は高齢者ばかりだった。その高齢者に対して、「若者の医療」をやってきた結果、食事が食べられなくなれば胃瘻を作る、最後まで点滴をする、100歳でも、開胸心マッサージや気管切開をする……といった事態になってしまったのです。(vol.1)

現在の教科書は「高齢者をたくさん診てきた医師らが書いた」ものなので、今の若い医師たちは「少しは変わってきている」だろうというが、疾病構造の変化や医療環境の変化を具体的に自覚しているかどうかは非常に重要である。私が学生のころは高齢者医学・老年医学は医学のごく狭い分野として始まったばかりだった。ところが現在、65歳以上の高齢者は4人に1人であり、2040年には3人に1人を上回ると予想されている(https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1131.html)。医学のすべての分野が高齢者医学を基礎として組み立て直されねばならないだろう。

まつもとゆきひろ『まつもとゆきひろ 言語のしくみ』(日経BP社)を読了した。まつもとはコンピュータ言語Rubyの作者として非常に有名である。この本は、新しいコンピュータ言語を実際に設計し、実装していく過程を本にしたものだ。

「プログラミング言語を作る」というテーマの書籍はたくさんあります。私の家の本棚にも何冊も並んでいます。
これらの「プログラミング言語を作る」系書籍のほとんどはプログラミング言語の実装について取り扱っています。例えばyaccやlexというツールをどう使って構文解析器や字句解析機を作るかとか、インタープリタをどのように実装するかというようなことを、サンプルとして比較的単純な言語の実装を通じて解説しています。(3ページ「はじめに」)

ところがこの本は新しい言語をどのように設計していくかに重点が置かれており、非常に珍しい。まつもとはRubyという世界中で広く使われている言語の設計者であり、さらに言語オタクを自認している。このような本を書くにはまさに適任だ。

本によると、彼は1980年代初頭、まだ鳥取県在住の高校生時代にコンピュータに興味を持ったが、当初からプログラミング言語に興味を持っていたという。

まだコンピュータを個人で所有しておらず、ろくに自分でプログラムを書けない頃からなぜだかプログラミング言語の方に関心があったのは不思議なことです。(44ページ)

当初はmrubyという組み込みシステム向けの軽量なRuby言語処理系を改良しようと考えていたそうだが、結局はまったく新たな言語を設計することになった。数値データの種類、文字列の実装法などを、文法のわかりやすさ使いやすさと、処理の高速性やメモリ消費とのバランスを考えながら設計していくので、大変面白かった。言語の設計から考えることで、既存の言語に対する理解も深まった。

作成された言語は「Streem」と名付けられている。ただ、私は手続き型言語に馴染みすぎていて、関数型言語の影響を強く受けているStreemによるプログラミングが理解しにくかった。もっとも、まだ完成していない言語であり、自分で使ってみることもせずに本を読んでいるのだから、イメージが湧きにくいのは当然かもしれない。だが、私は自分の思考過程そのものが、手続き型になっていることを実感したのだ。別の形式の思考過程をなぞることに非常な困難を感じた。自分の思考過程が柔軟でないことを自覚したと言ってもいい。

関数型言語については、LispやPrologはかじったことがあるものの、HaskellやOCalmは名前しか知らない。そのような言語を少しでも使ったことがあれば、もう少し実感を持って読めたのかもしれないし、私の思考過程ももう少し柔軟になっていたかもしれない。

オンブズマン東京が作成した報告書は1件しか掲載がない。次のような事例紹介文がある。

申立人は乳がんに対する乳房部分切除を受け、その際、同時に欠損部に乳房外側の脂肪を充填する処置がなされたところ、術後に手術部位ではない背中に強い痛みが生じた。申立人は、自分に無断で広背筋皮弁を用いた同時乳房再建術が行われたのではないかと強い不信感を抱き、苦情調査申立に至った。(223ページ)

広背筋皮弁を用いた再建術がおこなわれたかどうかは、手術創を見ればわかる。それなのに患者がそのような疑いを持つようになったというのなら、患者と医療者の間のコミュニケーションがまったく欠如していたか、あるいは患者に強い不信があったかのどちらかだろう。

患者は術後、手術部位から少し離れた背中に強い痛みを感じるようになった。病院側は「申立人の現在の痛みは医学的には説明ができないものであると考えている(227ページ)」としている。それに対し、オンブズマンは独自に医学的検討をおこなっている。

例えば、乳癌の手術後にPost Mastctomy Pain Syndromes(以下、「PMPS」という)という神経障害性の痛みが生じることがある。厚生労働省の研究班による2004年のアンケート調査によれば、再発のない976人(手術後平均8.8年)のうち21%がPMPSと思われる慢性的な痛みを抱えていると報告されている。(237ページ)

なお、註によればPMPSとは「乳房の腫瘍摘出術から根治的乳房切除術にわたるいろいろな手術を受けた後に腋窩の後方、胸壁の前部に起こることがある痛みであり、肋間上腕神経の損傷を原因とするものであるとされている(240ページ)」ものだ。

私は、患者の疼痛は、神経の損傷をきっかけにして起こった身体表現性障害ではないかと考えている。メカニズムがよくわかっていないので、疼痛と外傷(手術)との関連を通常の医学的知識で説明することは難しい。そこで医師たちは「申立人の現在の痛みは医学的に説明が困難である(238ページ)」と述べることになるのだろう。だが、整形外科領域や精神科領域では比較的よく知られている病態ではないだろうか。医師たちに慢性疼痛に対する知識が不足していたために、患者の訴えをじゅうぶん汲み取ることができず、患者の不信を呼び、そのために患者が事実と異なる疑いを持つに至ったのだろうと思う。

だが、私も彼らを責めることはできない。私が身体表現性障害患者を経験することで疾患について知ったのは比較的最近のことだからだ。私が経験した患者は、腰椎穿刺後に発症した両側大腿前面の強い接触痛を訴えていた。着るものにも困る状態だった。痛みは両側で、穿刺後しばらくしてから出現し、2、3か月後に強まったので、脊髄の損傷からは説明できない。だが、身体表現性障害と考えられるので「医学的に説明が困難」なわけではない。この患者は幸い3年ほど苦しんだ後に自然軽快した。この事案の申立人の疼痛も時が経って消失することを祈りたい。

7件目の事案は、かかりつけの循環器科を受診した翌日に患者が死亡し、かかりつけ医が一方的に在宅での治療を決めたのではないかと訴えた事例だ。この事例でも担当医に過度なパターナリズムがあり、患者の終末期のあり方を医師が勝手に決めてしまっている。問題化するのも当然と考えられる事例だ。

循環器系の疾患では急変や突然死が起こりうる。この事例でも、患者が受診の翌日に死亡したからといって、担当医の診断ミスとは言えないだろう。だが、急変や突然死の可能性はきちんと患者・家族に告げ、理解させておく必要がある。特に、入院しても防げるものではないことは事前に話しておかねばならない。担当医はそれをしなかったので、患者が死亡したことで家族は医師の診断や判断を疑うことになる。もし患者が入院していて死亡すれば、「入院していたのに」「管理に手落ちがあったのでは」と責められ、場合によっては紛争となるのだ。

だが、この担当医の場合、いちばん問題なのは患者遺族からの手紙に対し、感情的な返書を送ったことだ。この返書自体は掲載されておらず、断片的に引用されているだけだが、病院も問題視したようだ。

主治医の手紙は、申立人からの手紙に感情的に反応したもので、相手方病院としても問題があると認識しており、事務局から相手方へ電話をし、手紙に関する謝罪を行っている。(178ページ)

だが謝罪をするなら事務局では失礼だ。主治医本人もしくはその上司から電話するのが社会的な常識だろう。

8件目の事案は、患者が死亡した際に医師などの適切な診察がなかったという苦情だ。患者は30代の男性で、膵頭部癌に罹患しており、緩和目的で入院していた。末期の膵癌患者で、いつ急変してもおかしくない状況であり、また経過を正確に予測するのが不可能な状態でもある。父親はそれを頭ではわかっていても、諦めきれない心情であろうと思う。だからこそ余計に医療に対する不信感・不全感が湧くのだろう。

看護記録の抜粋などを読んで感じるのは、この病院では医師・看護師間の権威勾配が大きいのではないかということだ。5月の連休中のことであり、主治医は出勤していない。看護師は、主治医に電話で状況を報告しているものの、実際の対応は何とか現場だけで済ませ、医師を極力呼び出さないように配慮しているように感じられる。そのために、希望的観測や判断の甘さが生じ、患者の訴えに適切に対応できなかったのではないだろうか。次のような記載がある。

午後3時15分ころ、主治医が病棟にやってきた。病室に入るまではさほど急ぐ様子もなく、「頭のCTを撮りますから」などと話していた。しかし、病室に入って息子を見たとたん慌てて、「何でこんなことになっているのか」と看護師を叱っていた。(207ページ)

看護師が医師を呼びやすいような雰囲気作りが大切だ。叱ったのでは効果がない。

6件目の事案は、緩和ケア科の病棟に入院した患者に、患者の意思に反してコルセット装着と安静を課し、耐えられない患者に対して薬物による抑制をおこなったものだ。患者・家族は耐えきれず転院となったが、転院先で5日後に死亡している。

ここでも問題になるのが医師の独断による治療方針の決定だ。報告書を読むかぎり、この病棟の緩和ケアとは(少なくともこの患者に対しては)名ばかりで、苦痛の緩和がなされていない。

患者は肺癌で脳、肝、胸腰椎転移があり、緩和治療目的で緩和ケア病棟に転棟するために自宅待機していたところ、腰痛が発生して緊急入院となった。腰椎転移による圧迫骨折と診断されたため、硬質コルセットによる固定と安静が指示され放射線治療待ちとなった。

患者はこの安静に耐えられなかったのだが、硬質コルセットを装着してのベッド上安静がどれほど辛いものか主治医は理解していないようだ。「安静」という言葉の響きとは裏腹に、実質的には動くことの禁止であり、拷問に近い。多発転移があり、予後は1〜2か月程度(160ページ)と推定されている患者に、そこまでの苦痛を与えて放射線治療をおこなうことに利点があったのか疑問だ。私には、主治医が「治療」のことしか考えず、転移による骨折は放射線治療で治すものと決めてかかっていたように思う。患者は18週間安静を強いられたあげく、放射線治療を受けられなかった。主治医の判断ミスとしか言いようがない。

主治医は患者が「安静」を我慢できないことを性格の問題として片付けている。カンファレンスの記録には「性格的な要因が大きいと思われる(160ページ)」とまで記入されている。さらに次のような診療記録もある。

娘さんが病状を心配して[中略]不満を看護師に言われていた。「指示にも従わず、興奮して不穏行動を起こす患者さんに対して、精神的に抑制する薬剤を使いました。もし、この対応で不足があるのであれば、自宅に退院するなり、他の施設での加療を受けてください。とても、当科では対応できません。」と話した。[中略]
このような頑迷な家族にどう接してよいのかわからない。(161ページ)

私自身がこのような安静を命じられても、やはり守れないだろうと思うが、同じように「患者の性格に問題がある」と言われ、私を守ろうとする家族は「頑迷な家族」と言われるのだろうか。

医師の資質にばらつきがあることはやむをえないことだ。専門医の資格認定制度を各学会は工夫している。だが、資格認定が知識や技術偏重になっていることは否定できないし、医療の現場で必要とされているのは、場合によっては知識や技術ではなくコミュニケーション能力と人間性である。この事案の場合、担当医以外の医療スタッフもカンファレンスなどで状況を把握していたはずなのに、病棟全体で患者のほうに問題があると判断しているように思える。病院名が公表されていないのが残念だが、このような病院には絶対にかかりたくない。

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