阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2018年12月

日本の税は、権丈に言わせれば「情けないほどに財源を調達する力が弱い」。だから社会保障の精度設計をする際に税を財源とすることには問題がある。

もちろん、税を財源とする制度を強く求めて政治活動をするのもありだと思います。そして、強く激しく政治に働きかければその願いはある程度かなうかもしれません。でも日本の政治家は、その財源を税によって調達することはしてくれないんです。つまりは赤字国債頼み。
そうなると、僕らが税を財源とした社会保障制度を求めるということは、残念ながら赤字国債を出すことを政治家に求めていることにも近い話になってしまいます。この国で税財源を求めるということは、やはり、どこか無責任さと背中合わせであると批判されることは否めません。(98ページ)

給付は財源がなければ継続しておこなえない。社会保険料は一種の目的税(使途を特定して徴収される税金)として見ることができるので、有用であると権丈は主張する。

「目的税は給付の硬直性を招く」という批判が財政学における伝統的な評価ですけど、給付が硬直的であるからこそ、権利性のある給付を守ることができるわけです。(99ページ)

政府が消費税の導入と税率のアップに苦労している反面、「リーマン・ショックの時も東日本大震災の年も、年金保険料、医療保険も介護保険料も上がっている様子をみれば(99ページ)」社会保険料の財源調達力は確実であると言える。

それと関連していることと思うが、医療費の財源の重要な部分を占める国民健康保険の制度改革が進んでいる。2018年度から国民健康保険の保険者が市町村から都道府県に移っている。提供体制でも主導権を握ることになる都道府県に財政運営の責任も担わせようという制度改変だ。

こうして、これまで協会けんぽ、前期高齢者医療制度、後期高齢者医療制度と進められてきたリスク構造調節導入の動きは、この度、ようやく国民健康保険にも適用されることになったわけです。こうした動きは[中略]医療政策の政策単位が都道府県単位に再編されていく中で進められてきたとも言えます。(124ページ)

この改革は、組合保険の立場に立てばかならずしも歓迎できるものではない。だが、権丈は次のように述べている。

僕らが、リクス構造調整の拡大の歴史と評価している公的医療保険をめぐる四半世紀の動きは、所得が高く高齢化率が低い組合健保の人たちは、政治闘争における敗北の歴史と受け止めているのかもしれません。でも、社会保障というのは生きるのに厳しく冷たい市場経済の中で、ほっとする存在としての助け合いの制度でして、この制度に、高所得の組合健保は積極的に協力した方が、広く世論の支持を得て、永く存続していくことができるようにも思えるんですけどね。(125ページ)

組合健保に属している人たちも、いずれ退職し、高齢者となっていく。社会保障を年齢層などで切らず、各個人の一生をつうじたものとして考えれば、今回の総報酬割の導入は必要な措置であったと思える。

第5章「地域医療構想と地域包括ケアという車の両輪」は「日本経済新聞 電子版」で2016年3月25に配信されたインタビュー記事の引用がほとんどを占めている。この記事(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO98496930W6A310C1I10000/)は有料会員限定限定だが、登録さえすれば無料で(月10本まで)読める。

ところがこの記事を実際に読んでみると、本に掲載されているものと文章が異なっている部分がある。特に私が引用しようとしている部分が違っていたのが印象的だ。おそらくインタビューの際には自分の言葉で述べたものを、本にするにあたって国民会議の報告書を正確に引用する形に書き換えたのだろう。本の中で権丈は医療介護改革の方向性を次のように述べている。

『医療の機能分化を進めるとともに急性期医療を中心に人的・物的資源を集中投入し、後を引き継ぐ回復期などの医療や介護サービスの充実によって総体としての入院期間をできるだけ短くして早期の家庭復帰・社会復帰を実現し、同時に在宅医療・在宅介護を大幅に充実させ、地域での包括的なケアシステムを構築して、医療から介護までの提供体制間のネットワークを構築することにより、利用者・患者のQOL(生活の質)の向上を目指す』(76ページ)

方針としてはこれでいいと思う。だが、気になる点がいくつかある。ひとつは「家庭復帰・社会復帰」とあるが、高齢者の場合「復帰」にはならないことがあるということ、もうひとつは急性期医療に資源を集中した場合、その後の回復期や維持期の資源はどうなるのかということだ。現在の政府は小さな政府を目指しているように思えるが、福祉を充実させようとすれば政府の規模は大きくならざるをえない。小さな政府を目指し地域での包括的ケアシステムの構築は民間に任せようというのでは、短期的な構築は難しい。7年後の2025年にシステムが有効に稼働している可能性は小さいのではないだろうか。

日本経済新聞の記者は、そのことをある程度懸念しているのだろう。次のように質問している。

——頼りになるかかりつけ医が近所にいるかなど、地域の医療・介護の不安を持つ人も多いようです。(80ページ)

それに対して権丈は次のように答えている。

「13年8月に日本医師会・四病院団体協議会が合同提言として『医療提供体制のあり方』を厚生労働相に渡していて、そこでは、かかりつけ医を『自己の診療時間以外も患者にとって最善の医療が継続されるように』努力する存在であると規定している。速やかにそういう体制になってもらえるよう、みなで応援したい」(80ページから81ページ)

またネットワークの構築は「問題意識をもってアイデアを持った人たちが手を挙げて、どんどん積極的に進めてくれればいい」とも述べている。つまりプロフェッショナル集団としての医師の自律性に頼るということだ。だが、彼はただ手をこまぬいているわけではない。2014年8月19日に日本医師会で「賽は投げられた。次はあなたたちの番」という講演をしているそうだ。そうであれば、一番の問題は日本医師会がすべての医師の代表ではなく、医師を統率する力も権利もないということだろう。

彼の「医療費は基本的に所得という支払能力が決めているのであって、高齢化のような医療ニーズが決めているわけではない(54ページ)」という話も面白かった。実際に、名目経済成長率を横軸に取り、医療費の伸びを縦軸にとってプロットすると一目瞭然とのことだ。彼の著作に図があるそうだが、原図は確認していない。だが、彼が「東京経済ネット」に執筆した記事があり、そこに同様の図があった(https://toyokeizai.net/articles/-/231525)。

要するにですね、経済が比較的順調だった1994年の試算では2025年の医療費が141兆円になり、経済が停滞していた2000年の試算では2025年の医療費が81兆円、さらに数年前の試算では54兆円[引用者注:2012年厚生労働省推計]になるのは当たり前の話なんです。(54ページから55ページ)

つまり、1994年の試算が最近のものの3倍ほどあり、それが徐々に下がってきたのは、厚生労働省が過大な見積もりをして世間の危機感を煽ろうとしたわけでも、行政による低減の努力により下がったのでもなく、名目経済成長率が下がってきたからだというわけだ。そこで権丈が参加した「医療費の将来見通しに関する検討会」の報告書には「将来見通しの前提となる診療報酬改訂率は経済との関係を勘案して設定」という文言が記されることとなった(55ページ)。

なぜ医療費が名目経済成長率に連動するかといえば、それは家計の出費に占める医療費の割合がほぼ一定であるからだろう。将来、医療費を削減していくには、当然出費の割合そのものを低めねばならず、言い換えれば需要(あるいは供給)そのものを低下させねばならない。そこで、その約1年後に社会保障国民会議に参加した権丈は次のように提案したと言う。

増税の必要性を国民にいくら言っても分かってもらえない — だから、いっそのこと、あるべき医療、あるべき介護の絵姿を描いて、それを実現するのにいくら必要となるのかの見積書を作りましょうと提案します。(55ページ)

シミュレーションでは量×価格を基本的な考え方とし、「価格を分離して、量のあるべき姿を描き出す準備をした」。そのようにして2025年の「あるべき医療介護」の姿を描き、それに基づいて社会保障給付費を算出し、さらにそれを消費税換算したのだという。

現在、医療供給体制が都道府県単位に再整備されつつある。国単位の制度運営で制御しきれない部分を都道府県に集約しようという考え方だ。権丈は次のように述べている。

今後、都道府県に期待されている、今は潜在的な保険者としての可能性が顕在化するよう、都道府県が強い自覚を持って、医療介護の一体改革が県の行政の中では最も優先順位の高い事業として取り組んでもらえるようになることが大いに期待されているところです。(71ページから72ページ)

地域医療構想は多くの県で成果を上げているが、首都圏では東京・埼玉・神奈川の関連性が強く、ひとつの自治体だけでは調整しきれない。またその他の地域でも、国立大学である名古屋大学と岐阜大学が法人の運営統合に向けた検討をしていることも報道されているように、県をまたいだ調整が必要となる可能性もある。現在の県の区分は明治政府の戦略に基づいたものでかならずしも地域の伝統や人の流れを考慮していない。財源の絡む話なので簡単な解決はできないが、人口減少が続けばかえって自治体の再編がしやすくなるかもしれない。都道府県を基本としたうえで、柔軟な調整が実現することを望む。

さらに権丈は次のように述べる。

医療に詳しい人はみんな知っていることですけど、先進国の中で日本の人口当たり医師数は少ないにもかかわらず、医師1人当たりで見た外来患者数や入院患者数は圧倒的に多いです。これは、取り扱い患者数で測った日本医療の「物的生産性」は極めて高く、場合によっては、日本の医療関係者が生活を犠牲にして働いており、過労死の瀬戸際にいる人も中にはいるのではないかと考えるのが普通だと思います。(18ページ)

この問題に対して「国際的に見て目立って多い外来受診回数や病床数を調整する方向から解決していこうとしているのが、今の医療改革の柱」である。需要に応じて医療職を増やすには限界がある。現在の医療需要は「掘り起こされた」需要である。需要を諸外国並みのものにするというのは正しい方向だろう。だが、医師が全員国家公務員であったり、病院の多くが公立であったり、皆保険でなかったりする諸外国と違い、日本は民間医療機関が基本である。諸外国と同様にはいかない。

日本の医療提供体制の改革が困難である例として、第4章「医療提供体制の改革とご当地医療」では障害者の脱施設化を例としている。

[障害者福祉の関係者の会合で]僕が話したことは、日本で他の国のように脱施設化ができないのは、日本は他の国と違い、病院の所有が民間だからだということでした。よく、イタリアなどでは脱施設化が進んでいるということが紹介されているのですけれど、よくみてみると、そうした国で病床を減らしているのは主に公的な病院なんですね。(49ページ)

報告によれば、「公的病床は大幅に削減されたものの、私立病院の病床には大きな変化は[ない]」という。米国も同様で、「精神病床に限って言えば、州立群立が圧倒的に多く私立はわずか — ところが日本は、ほとんどが民間立」だという。

そして僕は、「日本における『施設から地域へ』、『医学モデルから生活モデルへ』というのは、成田空港問題や、すでにそこに住んでいる人たちに他の場所に移ってもらう区画整理のような分配問題と同じ構造の問題なんですね。……この分配問題は解決が最も難しい類の問題 — ところが、脱施設化に成功している国では、医学モデルから社会モデルへの転換の過程で分配問題が発生していません」と話しました。(49ページ)

日本独自の問題を解決するために、行政は「データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図る」という方法で医療介護の一体改革を進めようとしている。それには広範囲に正確なデータが収集されることと、そのデータが公開されて誰もが自由に解析や検証をおこなえることが重要だろう。DPCデータも公開され、さまざまな研究者や民間企業がデータを解析し独自に方針や戦略を提案している。そのような環境が整ってはじめて政策の客観性が担保される。

需要を抑えるには国民の理解と自制を求めるしかない。また、医師側にも、基本的に「医師の仕事は自分の仕事をなくすこと」であることを徹底して理解させなければならないだろう。

また第1章では「生産性」という言葉の意味について、詳しい説明があった。経済学者が本来の意味で使った場合と、新聞などで「素人」が使った場合とでは、意味が異なる可能性が高いことがよくわかり、参考になった。

権丈は経済学辞典を引用して説明しているが、それによれば本来の生産性とは文字どおり「物的生産性」で、生産物の量を労働時間で割ったものである。だから、「生産性の比較は、工場内の同じ工程をとって比較する以外にない(15ページ)」ということになる。これはとてもよくわかる。問題はサービス業など、物を生産しない業種の生産性だ。

生産性にはもうひとつ「付加価値生産性」がある。付加価値生産性は物的生産性に利益(価格 - 原材料費)を掛けたものだ。だが、この付加価値生産性は(式を見れば明らかだが)価格を上げれば上昇し、価格を下げれば低下するというものなので、本来の生産性を評価するのには適当ではない。ところが「エコノミストや新聞」は通常これを生産性と呼んで使っているという。権丈は次のように述べる。

[付加価値生産性を生産性の意味で使うと]我が社の生産性を上げようと思って賃金を下げれば下げるほど、そして診療報酬や介護報酬を下げるほど、医療介護関係者たちの労働生産性は下がっていきます。そしてこの国の人たちは、働いている人たちの賃金、つまり労務費の節約こそが生産性向上の秘訣だと考えているわけですけど、それは逆に、いま用いている労働生産性の定義上、生産性を下げることになるわけなんですね。(16ページ)

介護報酬は価格であるから、それを下げれば付加価値生産性は低下する。実はなぜ賃金を下げると付加価値生産性が下がるのか私にはわからないのだが、おそらく賃金を下げるのは競争力を高めるために価格を下げるためだからなのだろう。賃金を下げても価格を下げず利益だけを増加させようという経営者はあまりいないのだろう。

2011年ごろにマスコミで医療・介護の生産性が低迷しているとの報道があった(17ページ)。ここで論じられているのは付加価値生産性であり、権丈は「なんだか、医療・介護の現場で働いている人たちが、とっても怠け者であるかのような書かれ方です(17ページ)と批判している。

生産性という言葉が流行(はやり)はじめた時に、専門家たちは「生産性の定義と測定」について、付加価値で測るのは間違いであると散々唱えていました。しかしながら、残念なことに世の中では、生産性といえば付加価値生産性の方こそが一般的になり、物的生産性のことを考える人は稀になってしまったようです。そしてそうした世の中は、医療介護の付加価値生産性が落ちてきている原因など考えることもなく、もっと働けとしばきあげる。バカですね。(21ページ)

医療介護の付加価値生産性が落ちてきている原因は、もちろん診療報酬と介護報酬の切り下げである。

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