阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2018年08月

この本の記載から、米国のレジデントの様子や、病棟の問題点が垣間見える。

米国卒後医学教育認定評議会(ACGME)は、米国のレジデンシー・プログラムにおける労働時間抑制の第1段階を2003年に実行した。これによってレジデントの労働環境と患者安全が若干向上したというエビデンスが公表されている。さらにACGMEは労働時間抑制策の第2段階を2011年7月に実施した。以前は寝る時間が極端に少ない過重労働で有名だった米国のレジデントの生活が大きく変わった。ただし、勤務時間が短くなった分、労働が過密になりかえってストレスが増したという報告もある。

この本には次のような記載がある。

ただし、臨床上の責任が減じたことに伴い、エラーの報告が増えたとする論文も最近出ている。これは勤務時間制限によって、投薬の安全性は改善されないばかりか、むしろ悪化しているという過去の論文を裏付けている。(214ページ)

原文に当たったわけではないので、訳の質に言及することはできないが、エラーの報告が増えたとする論文(Sen S, et al: Effects of the 2011 duty hour reforms on interns and their patients: a prospective longitudinal cohort study. JAMA Intern Med. 2013 Apr 22;173(8):657-62. doi: 10.1001/jamainternmed.2013.351 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4016974/)が原因としているのは責任が減じたことではない。

この論文では、新規の規制により労働時間は短縮したものの、睡眠時間の増加はみられず、うつ症状や生活状況の改善もなく、逆に自主的に報告された医療ミスの件数が増加していたと結論している。コメントでは著者らがエラー増加の原因について考察しているが、そこで挙げられているのは引き継ぎの増加である。勤務時間が減少したので、とうぜん引き継ぎの回数が増加する。引き継ぎ時にはエラーが起こりやすい。引き継ぎ手順の標準化がエラーを減らすと著者らは指摘している。

私が思うに、労働時間と業務密度の積で表されるべき労働量が変わらないため、労働時間が短くなった分、一部は業務密度が上昇してストレスが増え、自己申告のエラーも増加したのではないか。さらに業務時間に収まりきらなかった仕事や勉強を家に持ち帰るために睡眠時間が増えなかったのだろう。引き継ぎの回数は客観的に計測できるので著者らは重視しているのだろうが、すべてを一元的に理解したほうがわかりやすいように思う。

日本でも「働き方改革」が叫ばれており、医師も遅れて労働時間の制限が導入されることになるが、勤務時間が減った分、勤務がきつくなったり、家でせざるを得ない仕事が増えたりすれば、本末転倒だろう。この論文にあるように、米国のレジデントたちは、実際に勤務時間が短くなったにもかかわらず、睡眠時間は増えず、心理的にも改善がみられなかった。米国ではこのような研究がしっかりおこなわれる。日本での働き方改革では、このような調査はおこなわれているのだろうか。また医師に対してはおこわれるのだろうか。

昨日、「米国は患者安全の考え方が非常に進んでいる」と書いたが、患者安全にそれだけ力を注いでいると言うことは、それだけ患者の安全が担保されていないということなのだと、この本を読んで改めて思った。日本も米国も同じように悩み、苦しんでいる。しかし、日本では医療安全の担当者が表に出ない事件に対処しながら苦しんでいるのに対し、米国では患者安全に関する事象が収集され分類された上で解析されて論文化され、患者安全の担当者はデータを元にしつつ有効な対策に悩んでいるという印象だ。患者安全に対する向き合い方が違う。私はやはり米国社会の力(自律する力、自浄する力)を感じる。

この本には米国の現状を指摘する率直な文章が多い。

医療従事者の多くは良質な医療を提供するために努力し続けているが、うまくいってはいない。医療が直面しているのは努力の問題ではなく、実行力の問題である。(14ページ)

この文は最たるものだろう。マニュアルにここまで書いていいのかと思う。もちろん英語のニュアンスがそのまま和訳されているとはかぎらないのだが。

インシデント・アクシデントレポート(ヒヤリハット報告)が充分に機能しないとの指摘もある。

エラー報告の障壁として、報告システムに関する知識の欠如、エラー報告にかかる時間、報復の恐怖・非難の文化、そして患者に害を及ぼさないエラーなら報告する必要はないとする信条がある。(140ページ)

私たちからすると、欧米人もアジア人も、総じて外国人は日本人よりよく質問するし、自分の意見をはっきり述べると感じるものだが、米国内ではやはり患者は医師にかなり遠慮するもののようだ。

医療では他のサービス業と同様に、おそらく高頻度にみられることであるが、提供されるケアの質についての疑問や不満を医療提供者に言う前に一瞬躊躇する傾向がある。この議論の欠如は、患者が今後の臨床的なケアに悪影響を与えるような何らかの報復を恐れていることに起因すると思われる。(184ページ)

レジデントに対する指摘もある。

レジデントは医療サービスの多くで不可欠な存在であるが、自身がチームのメンバーであるという自覚がなく、プロセスに対する責任感がないことがある。(30ページ)

米国のレジデントは非常に忙しいことで有名だったが、最近は米国の「働き方改革」で連続勤務時間などが厳しく制限されている。チームメンバーとしての自覚がないというのは、労働時間が短縮された最近の話なのだろうか。

フォンダン他著『ワシントンマニュアル 患者安全と医療の質改善』(メディカル・サイエンス・インターナショナル)を読了した。400ページの「マニュアル」であり、要点を凝縮して記載してあるので、通読するのが大変だった。だが通読する価値がある本だと思う。翻訳しているのは臨床医が多い。大学のスタッフは数える程だ(彼らも臨床に従事しているかもしれない)。臨床からの要求があって翻訳されたのだろう。説明されている事項には米国の組織や医療制度に関することも多い。日本に直接当てはめることができないとはいえ、米国は患者安全の考え方が非常に進んでいるためとても参考になる。日本でもこのような本ができると良いと思った。

だが実は日本でこれだけのデータや研究結果が集められるかというと、きわめて心もとない。日本では医療安全(患者安全)の研究、取り組みとも非常に遅れている。おそらくは医療環境の違いと国民性の違いの両方に理由があるのだろう。

日本はいわゆる国民皆保険で、ほとんどの医療が保険でカバーされている。ところが米国では民間保険(任意保険)が主流である。患者の側にも高い保険料を払って医療を受けているのだから、不手際は許せないと言う感覚があるだろう。また、医療事故の場合、保険会社が医療費の支払いを拒否することもあり、医療事故をなくすことには医療側にも大きなインセンティブがある。さらに米国が訴訟社会で、さまざまな対立の解消を訴訟に頼ろうとする傾向があることも大きい。

国民性の違いとして感じるのは、米国人が率直であることだ。良いことも悪いこともはっきりと口に出すことが多い。日本だと事故の発生率など、悪い面についての発言や研究が少ないが、米国では悪い面に関する研究も多い。ただし、このマニュアルを読んで、米国でも日本と似たような現状があり、やはり都合の悪いことについては隠そうとするし、公開も消極的であるのだと感じた。

翻訳について言えば、分担翻訳なので、訳者によって読みやすさがかなり異なる。そしてそれは英語力の問題というより、日本語の作文能力の問題であることを痛感した。どの翻訳者も、現文の意味はほとんど理解できているようで、いわゆる誤訳はかなり少ない(私が怪しいと思ったのは3か所ほどである)。ところが、訳者の理解がうまく日本語で表現できているかというと、「読解」しなければならないような日本語の文章を書く訳者がいる。

全体としては非常に良い本だ。通読したので、今後は「マニュアル」として必要に応じて各部分を読み返すようにしたい。いつものようにこの本について考えたことを書いていくと、20日も30日もかかるような気がする。特に注目したいところだけ取り上げたいと思う。

もうひとつ気になる報告があった。鼻粘膜焼灼術中の脳出血の事案である。非常に難しい事案だと思った。事案の概要は次のとおりだ。

患者は、おそらく鼻出血の治療のため、某病院の耳鼻咽喉科で鼻粘膜焼灼術を受けた。この手術は鼻出血の止血や予防(この場合は鼻中隔粘膜が対象)、アレルギー性鼻炎の症状緩和(この場合は下鼻甲介粘膜が対象)などを目的としておこなう。焼灼とは「焼く」ことで、電気(高周波)、化学物質(硝酸銀、無水クロム酸、トリクロロ酢酸)、レーザ光などを用いて物理的・科学的に粘膜を焼く。もちろん痛いので、局所麻酔薬(外用のキシロカイン液)を塗布して表面麻酔するが、粘膜の浅い部分しか麻酔できないので、深部に痛みを感じることがある。深部の痛みをコントロールするには局所麻酔薬を注射するが、痛みはそれほど強くないことが多いので、注射せずに表面麻酔だけでおこなうことが多い。また、塗布した局所麻酔薬は血行により「洗い流されて」しまうので、局所の出血予防・視野の確保も兼ねて、血管収縮剤(ボスミン)をキシロカインに混ぜて塗布することが多い。

患者は電気焼灼の処置中に強い痛みを訴えたが、医師は処置を続行したようだ。その後の状況の詳細は不明だが、患者は脳出血を起こし、現在「重い後遺障害が残存している」とのことだ。

鼻出血は死に至る病ではない。鼻が脳に近いことから恐れる患者が多いが、鼻出血と脳出血はあまり関係がない。鼻出血を頻回に繰り返すと(毎日の鼻出血が2週間以上続くなど)貧血になることがあるが、それでも死に直結することはない。だから逆に鼻出血の処置で重度の後遺症を残すことは避けなければならない。

鼻出血の処置で困るのは、処置が出血を誘発することがあることだ。出血が治っている患者に処置を開始し、再出血が始まると、出血が止まらないまま処置を終えるのは非常に勇気がいることだ。どうしても深追いすることになる。

局所麻酔下の処置や手術で重要なことは、患者が痛みを訴えたら先に進むのを控えるということだろう。術中・処置中の副損傷があると患者が痛みを訴えることが多い。痛みを訴えるということは、麻酔が充分でないか、麻酔範囲の外に影響が及んでいるということだ。局所麻酔は必要な範囲をカバーするようにおこなう。操作が範囲外に及んだということは不必要な範囲に及んだということで、周囲の臓器を損傷する可能性があるということだ。

麻酔が充分でない場合は、この患者のように脳出血を起こす可能性が高まる。術中の心不全や脳出血・脳梗塞は防ぎきれないものであり、多数の手術をおこない続ければいつかは遭遇すると考えられる恐ろしい合併症であるが、疼痛があって血圧が上昇すれば、当然発症の確率は上がる。この患者の場合、激しい痛みがあるにもかかわらず処置を継続したことが脳出血の引き金になったと考えるのだ妥当だろう。裁判の争点のひとつに血圧上昇作用のあるボスミンを高血圧のある患者に使用したのが妥当かどうかがあるようだが、問題はそこではない。最大の問題は痛みがあるのに処置を継続したことなのだ。脳出血の可能性を医師がどれだけ認識していたか、それを患者や家族にどれだけきちんと説明できたかも問題ではあろうが、それは副次的なことだと思う。

シンポジウム後には定期総会が開催され、数人の「被害者」や支援者が事件や経過を報告している。その中で「林田医療裁判」の報告が気になったので、書いておきたい。

これは、入院中に他界した実母の亡くなり方の是非をめぐって、娘が「医療と親族とを相手に裁判」を起こしたものだ。

林田さんのきょうだいが、親の介護をしたくないという理由で、医師に「母は高齢だから医療を施さないでほしい」と強く進言しました。あろうことか、医師はそのとんでもない申し入れを是認し、呼吸もできずに苦しむ患者をネグレクトしてしまいました。酸素吸入程度の基本的な医療も施されなかった患者は、回復する可能性さえ与えられず、無念にも死に追いやられたのです。(68ページ)

最高裁まで争ったが棄却され、再審請求をおこなっているとのことだ。上の引用は支援者の北穂さゆり(ノンフィクションライター)の発言からのものだが、林田悦子本人の状況報告もある。

彼らの訴えが事実であるとすれば、家庭内で起これば保護責任者遺棄致死に該当する犯罪だろうし、病院内であれば不作為による殺人だと言える行為だ。このような事案まで「医療事故」と言うことに違和感を感じる。勝村は、自身が経験した陣痛促進剤死亡事案は医療事故ではなく「犯罪だ」とする李啓充の手紙を紹介していたが、林田事案はまさに犯罪であり、兄と担当医師を殺人罪で告発すべきような事案ではないかと思う。

たしかに患者に対して治療をおこなうべきかどうか迷う症例はある。先日経験した症例は精神発達遅滞のある男性だった。重症の糖尿病があるが、食べ物を我慢することができないため、コントロールが非常に悪い。足に感染症を起こし、それが悪化して敗血症を起こした。治療としては下肢の切断が第一選択だが、切断すればその状況に適応できずリハビリもできないだろうと予想された。環境に順応することができず、入院の継続も困難である。リハビリをあきらめ早期に退院するしかないが、そうなると寝たきりになってしまう。

両親は高齢で、もし患者が寝たきりになれば、自宅での介護は一家共倒れの危険性がある。患者は自宅以外の環境に適応することができないので、施設入所は考えられない。そこで臨床倫理コンサルテーションチームに相談があった。

チームは関係者にヒアリングをおこない、家族が患者を大切に思い、また主治医も非常に熱心に患者の治療に当たっていることを確認した上で、下肢切断をおこなわず、抗生剤での濃厚治療をおこなう(患者は点滴を受けるだけでも非常な困難があった)という治療方針をやむを得ないものと判断した。

だが、この場合は患者を大切に思う関係者のジレンマである。林田事案とは天と地の開きがある。

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