阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2018年06月

医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」にVol.126として配信された井上清成「脳性麻痺訴訟の提訴が急増している」(http://medg.jp/mt/?p=8387)について書きたい。井上は弁護士である。

産科医療補償制度のついては、うまくいっているという意見とうまくいっていないというまったく逆の意見がある。これこそエビデンスに基づかない議論の典型だろう。何をもって「うまくいっている・いっていない」と評価するのかがまちまちで、それを突き合わせて議論しようとする気配がない。医師や弁護士が名前を連ねているのに、情けないことだと思う。

補償制度を設立・運用している側が制度を弁護し、成果を強調したいことはわかる。しかし、はじめから完璧な制度などないのだから、見直しは当然である。場合によっては廃止もやむをえない。制度を立ち上げるのであれば、そのくらいの覚悟で臨んでほしい。専門医機構もそうなのだが、制度を維持運営する側は、保身のためのみに必死になっているように私の目には映る。たしかに日本の社会は失敗に対して不寛容である。自らの失敗を認めることは非常に辛いことだろう。だが、だからといって真摯な議論まで避けようとするのは間違っている。

公益社団法人日本産婦人科医会の医療安全部会が2018年4月11日に日本記者クラブにおいておこなった記者懇談会で、産科医療補償制度により紛争・訴訟が減少したと述べたことに対し、井上は「近年の産婦人科全体の訴訟件数の推移は、減少傾向にあると言ってよい」と断ったうえで、次のように反論している。

前半期[2009年から2013年5月末まで]における「産婦人科」すべての「訴訟事件」は合計370件(ただし、ここは丸々5年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は33件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は17件であった[中略]。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、4.6%である。ところが、後半期[2013年6月から2017年12月末まで]における「産婦人科」すべての「訴訟件数」は合計216件(ただし、ここは丸々4年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は64件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は34件であった。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、15.7%である。
したがって、後半期は、前半期と比べて、重度脳性麻痺に関する訴訟件数が17件から34件に倍増してしまった。さらに、産婦人科全般に占める重度脳性麻痺の訴訟件数の割合も、4.6%から15.7%へと3倍にも増加しているのである。

産科医療補償制度は、原因分析のあり方に問題があると、以前から指摘を受けている。つまり、医療安全の向上を目指すための基本とされる、責任追及よりシステム改善を優先する原因分析ではなく、個人や病院のミスや責任を追及するような原因分析になっており、WHOのガイドラインにも沿っていないとの指摘だ。訴訟は原告被告双方が傷つく。またシステム改善が二の次になれば将来傷つく患者家族が生まれる。井上の示すデータは、この制度が充分に機能していないことを示すものだ。関係者は勇気を持って改善に臨んでほしい。

医療ポータルサイト「m3」で2018年6月15日に毎日新聞社から配信された「HPVワクチン:再開は「政治案件」 — 厚労省幹部首相も後ろ向き」(https://www.m3.com/news/general/609211)について書きたい。

HPVワクチン接種により子宮頸がんが予防できることが明らかになっており、海外では接種が進んでいるというのに、日本では接種の推奨が差し控えられたまま経過している。そのために何万人という女性が将来子宮頸がんに罹患し、苦しむことになるのだ。この話題は今までこのブログでも何度も取りあげた。

この毎日新聞が配信した記事によれば、「接種勧奨を再開するかどうかは、首相官邸中心の政治案件になっている」という。2016年12月に厚労省研究班が「同様の症状は未接種の少女でもみられる」との疫学調査結果を発表したにもかかわらずだ。

厚労省関係者によると、調査結果が出た当時は勧奨を再開すべきだとする声が省内で強まったものの、官邸に相談すると前向きな回答ではなかった。関係者は「疫学調査など手続きを進める承諾は得られたが、その先は『余計なことをするな』という雰囲気だった」と明かす。

政府は評判ばかり気にし、国民の不利益を顧みない。また、安易に「被害者」を応援してしまった議員は今更後に引けない。

副作用被害を訴える裁判は原告が120人を超え、支援者の中には自民党や公明党の地方議員もいる。来年に統一地方選や参院選を控え、厚労省幹部は「再開となると政治的なリスクがある。安倍晋三首相も後ろ向きだ」と話す。

政治家たちの科学リテラシーが低いから、国民に対してきちんと話をすることができない。だが役人たちもそんな政治家を教育できていない。

HPVワクチン「被害者」に、その症状がワクチンの副作用でないと告げることは容易なことではないのはわかっている。告げるだけでも大変なのに、それを理解させ、納得させることはさらに大変だ。「被害者」を「支援」する医師や弁護士までいる。彼らを納得させることは原理的に不可能に近い。となれば彼らに囲まれた「被害者」を納得させることは無理なのかもしれない。だがそのために多くの女性が犠牲になるとすれば、何の手も打たないというのは「不作為」に当たる。

将来、子宮頸がんに罹患したHPV感染者たちが国の不作為を訴えて訴訟を提起するような事態になるのだろうか。

ウェブマガジン「JBpress」で2018年6月1日に配信された遠藤希之「新専門医制度に新たな疑惑、データ改竄か」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53219)について書きたい。遠藤は仙台厚生病院の医学教育支援室室長であり、日本専門医機構に対して批判的な発言が多い。なお、この記事は医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」にVol.116(http://medg.jp/mt/?p=8355)として転載されている。

遠藤によれば5月末から「日本専門医機構(以下、機構)の内部資料が流出し続けている。ネット上でも広がっている「速記録」をご存知の読者も多いだろう」とのことだが、私は知らない。いろいろとしなければならない仕事があり、そのようなものを検索している時間がないというのが本音だ。くだらない問題だと考えているわけではない。逆に非常に深刻な事態だと考えている。少し説明しておきたい。

私は総合診療専門医養成コースの指導医を養成・認定するために2016年に開催された「総合診療特任指導医養成ワークショップ」にかかわっていた。そのため、機構の上層部に非常に熱心で信頼の置ける人がいる一方で、野心や自己利益のためのみに動いている人がいることを知っている。その後機構では理事の入れ替えがあったが、一部幹部のいい加減さは肌で感じている、内部の混乱についても承知している。

専門医制度の構築について、機構が作業を実質的に各学会に丸投げしていることには腹立たしさを覚えていた。また最近は医師の地域偏在を懸念する声に対して機構が出してきたデータがいかにも言い訳くさいことが気になっていた。機構の発表する文書を医学論文になぞらえてみれば、元資料も論理もあやふやで、とても査読を通るとは思えないようなものだ。そのような文書を仮にも医師という職業についている、知的レベルも倫理観も高いものを要求される人びとが発していることに、強い違和感を感じていた。私の周囲には医学生や初期臨床研修医がたくさんおり、機構の機能不全は他人事ではない。

遠藤は「新専門医制度」反対派として有名であるからか、彼の元に「その速記録とともに他の「複数の資料」が送られてきた」という。彼は「そこには世に出ていない多数の真実と疑惑が満載であった」として、記事でその資料を引用している。だが、その資料の真正性が担保されていないのは明らかだろう。私は、状況証拠からいって、その資料は真正なものであると思う。だが、「科学者」の端くれであるなら、まったく別の情報源からの資料と付き合わせて、食い違いがないかどうか確かめねばならない。
その2週間後の2018年6月14日に同じ「JBpress」で上昌広「内部資料流出で追いつめられる日本専門医機構 — 機構設立の目的と正反対に東京への一極集中が加速、崩壊する地方の医療」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53314)が配信された。上は医療ガバナンス学会の関係者なので、遠藤と別の情報源とは言えないだろう。上は次のように書いている。

知人の日本専門医機構関係者に資料を見せたところ、「それは本物でしょう」と言われた。どうやら、大変な事が起こっているらしい。

膨大な「ニセ資料」を現実との整合性を保ちつつ一貫性をもって作成することは非常に困難である。おそらく遠藤・上の資料は本物なのだろう。
ではなぜ私はネット上の資料を探して、実際に内容を確かめ、資料の真正性を検討しないのか。それはそうするまでもなく機構が腐敗していると感じているからだ。私にとって、歪んだ新専門医制度に対処する正しい情報を周囲の学生や初期臨床研修医に伝えたり、将来の医療予測をおこなったりすることは重要なことだ。だが、機構の機能不全や不正を追求することには意欲がわかない。私が機構や厚生労働省に対して影響力を持っていないことが最大の理由だ。だが、ダメなものはダメ、悪いものは悪いとはっきり言っておくことはしたい。機構がダメなことは歴史が証明してくれるだろう。

雑誌「日経ヘルスケア」の2018年6月号に掲載された渡辺優「病院単独の対応に限界も、地域全体で打開を」を読んで考えたことを述べたい。渡辺は医療介護・健康関連データ分析をおこなう会社の社長である。

日本は人口に比べて病床が多い。医療費は病床数に比例して増加することが明らかになっているので、日本の財政を圧迫している医療費も、病床が減少すれば、一緒に減少するかもしれない。厚生労働省は急性期病床を減らし、さらに患者を在宅に誘導することで慢性期病床も押さえ込もうとしている。その背景には今述べたような考えがあるのかもしれない。

病床が減少するのには3つのパターンがあると思う。閉院、合併、自主的減床である。最近は病院の倒産のニュースをときどき聞くようになった。まだ「ときどき」なのだが、2019年10月に消費税が10%になると、かなりの医療機関で経営が困難になると危惧されている。実際どうなるかは診療報酬の動向や医療費にも消費税が課税されるかどうかで大きく変わるので何とも言えない。しかし、急性期病院のほぼ半数が赤字であると言われている現状を見ると、やはり閉院する病院がある程度出るのではないだろうか。

病院経営者として倒産や閉院は避けたいところなので、合併を考えるところは多いだろう。病院グループの中には目障りな病院の経営を圧迫し、吸収合併した上で廃院にしてしまうところもあると聞く。厳しい話だが、競争社会ではやむを得ないことなのだろうし、病床が減るのであれば、問題視されることもないのだろう。

上の2つはいずれも病院経営者にとって幸せなこととは言い難い。渡辺が提案するのは、周囲の病院と協調しての病床数調整である。だが、地域医療構想は本来そのような調整を目的として策定されたものであり、DPCデータなどを厚生労働省が公開しているのも、実データから見える「確定した未来」を見据えての病院運営を期待してのことだろう。渡辺が言っていることは、当然のこと、厚生労働省が望んでいること、健全な経営感覚からすれば必然とも言えることなのだ。だから逆に、渡辺が危機感を持って雑誌に投稿しなければならないほど、現場は動いていないということなのだろう。

私は病院を経営しているわけでもなく、病院の少ない社会に何の不安も抱かないので、このような議論については傍観者にすぎない。ただ、日本の社会が崩壊するのではないかと思われるほどに少子化と高齢化が進んでいるのに、有効な議論すらできていない社会の現状には苛立ちを覚える。

坂本によれば、誤嚥性肺炎の患者に対し「大部分のスタッフは、(抗生剤投与などの)治療はすべきであった」と言ったそうだ。

私も、一旦は治療するという意見に賛成する。一旦治療をすることで、今後の方針を考える時間的猶予を持つことができるからだ。

彼女が挙げる4例目は、家族の協力があった誤嚥性肺炎患者だ。

直ぐに家族に連絡がつき、一旦治療をすることとなった。誤嚥性肺炎に対して、抗生剤の点滴をした。その後、本人の身体状態は落ち着き、会話もできるようになった。
しかし、認知機能の低下により、予後に対する理解や意思決定は難しい状態であった。本人への意思確認が困難であるため、家族に本人の状態を説明し、意思を確認した。[中略]
家族は、本人の身体状態は年齢相応であり、無理はせずに看取りたいと希望した。その後、口から食べることは難しく、少量の点滴をしながら穏やかに亡くなった。

たしかにこの方が良いだろう。だが、3例目との差は心情的なものに過ぎず、本人からすれば苦痛さえなかったのなら同じようなものだったのではないだろうか。家族の協力はあるに越したことはない。だがそれは(残念ながら)求めて得られるものではない。嫌な考えかもしれないが、家族の協力なしに医療がおこなわれるようにならなければならない。

終末期の意思決定について、原則は本人が決め、本人が決められないときは医療代理人が、それもいないときは病院の委員会など、複数の第三者が決めるべきだろう。家族は患者と利害関係があり、時として自己満足のために非倫理的な決定をする。家族に決定させるべきではない。

また彼女は5例目として、地域とよく繋がっていた認知症患者の例を挙げているが、地域との繋がりは言うまでもなく重要である。ソーシャル・キャピタルと言われるが、地域が密接に繋がっていると、健康度が上がり、認知症患者も自宅で暮らせる。昔の農村のような地縁血縁はかならずしも必要ではない。自分たちがそのコミュニティに属し支えているという帰属意識が重要なのだ。

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