阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2018年03月

訳語に文句ばかり付けたが、訳文を見ていて考えさせられた点も多い。

訳者はdevelopmentをほぼ常に「開発」と訳しているが、日本語では通らない場合が多い。「ドキュメンテーションを開発(341ページ)」とは言わないし、階層構造を持ったシソーラスを設計する場合「何階層を開発するか」とも言わない。逆に英語のdevelopmentの意味の豊富さを改めて意識した。

英語のdevelopmentには、発達、成育、発展、開発、造成、(音楽の)展開(部)、(写真の)現像などの意味がある。いずれも「何もないに等しいところから複雑な形のものを生成する」という意味を持っている。だから説明文書(ドキュメンテーション)をdevelopするのだし、シソーラスの階層をdevelopするのだろう。

また、次のような文があった。

さて、ここまででユーザーは強力であることが確認できました。ユーザーは複雑で予測不可能でもあります。[中略。あるサイトで得られた知見を別のサイトに]盲目的に当てはめてはいけません。そのサイトと、ユーザー人口の独自性を考慮する必要があります。
ユーザー人口を研究する方法は数多く存在します。市場調査はフォーカスグループを実施してブランドに関する嗜好性を調べます。(362ページから363ページ)

この「人口」はおそらくpopulationだろう。最初の「人口」は違和感が少ないが、後のほうは違和感が強い。なぜだろうと考えさせられた。

日本語の「人口」は「多い」「少ない」など、規模を表す際に使われることが多い。だが、ときにはその内わけを表し、「若者がユーザ人口に占める割合は…」などと使う。ところが人口は人そのものではないので、人口を分析したり研究したりすることはない。これが私の当面の結論である。このpopulationは、たとえば「集団」と訳すと良いだろう。 

保守という言葉の使い方も改めて意識させられた。保守は「メンテナンス(maintenance)」だが保守的は「conservative」とまったく別の意味になる。訳者はメタデータ(データの属性を表すデータ)フィールドの分類として「保守的、構造的、記述的」を挙げているが、これではまったくわからないのではないか。おそらく「meintenance, structural, and descriptive metadata fields」なのだろうが、「保守用、構造記述用、内容説明用のメタデータフィールド」とすべきだったろう。

本の内容も有意義だったが、翻訳もいろいろ学びの多いものだった。

さらにvalueを決まって「価値」と訳しているのが気になった。技術専門用語の節に次のような語句解説がある。

優先語(PT: Preferred Term)
受容用語(accepted term)、受容価値(accepted value)、件名標目(subject headings)、ディスクリプタ(descriptor)としても知られる。すべての関係は優先語に関して定義されている。(305ページ)

話はそれるが、まずこのacceptedに対する「受容」という訳語が気になる。acceptedはMac内蔵の「辞書」によれば「一般に認められている、公認の、確立した」という意味だし、アルク(https://www.alc.co.jp/)によれば「一般に認められた、ほとんどの人が正しいと考える」である。この語をあえて訳せば「公認語」だろう。だが、Preferred Term(辞書によっては「基本語、優先使用語」)の同義語を英語で並べているのに、それにいちいち無理して日本語訳を付ける必要があるのだろうか。むしろ今後の学習の便を考えれば、英語の同義語と同時に日本語の同義語を出しておけばよかっただろう。

話をvalueに戻そう。accepted valueはaccepted termの同義語あるいは類似語として挙げられているのだから、value(= term)は価値ではなく「値」である。日本語の「値」という言葉は「変数の値」というような、変化するものや測定の対象となっているものの取りうる数値などを意味することが多いが、文字列であっても「値」となりうるのはITに関わる人の間では常識だろう。したがってこのaccepted valueは「公認表記」とでもなるのだろうか。

このvalueを「価値」とする不適切な訳は297ページにも登場する。ここでは「[ある語句を]受け入れられる価値として区別する」という文脈で登場するのでおそらくaccepted valueなのだろうが、不適切訳と直感できなければ「なぜこの語句に価値があるのだろう?」と迷うことは必至だと思う。

Related termを「同義語」と翻訳しているのは明らかに間違いだ(306ページ)。少なくとも「関連語」と訳すべきだろう。訳語の検討をもう少し重ねて欲しいと感じた本だった。監修者の篠原稔和は多くの大学の非常勤講師を歴任し「著書・監訳書など多数」と紹介されているが、充分な監修業務をおこなったのかどうか、判断に苦しむ。

2018年3月15日付の東京新聞夕刊のコラム「大波小波」は「その訳に異議あり」として柴田元幸が新たに翻訳したマーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)を取り上げている。

[柴田は]主人公ハックは12歳くらいで無知であり、原文にスペルミスが多い。もし彼が日本の子供だったら、「冒険」なんて難字は書けないはず。だから「冒けん」としてみたという。

コラムの筆者は、この柴田の態度を「正規の教育を受けていない者だから稚拙な表記をするという」偏見だと言い、永山則夫の例まで持ち出して反論している。コラム筆者の考えに直ちには同意できないが、最後の言葉は胸に刺さった。

[訳者君、]翻訳とは暴力だ。どんなに理屈を並べても、原文を自分の解釈でねじ伏せることなのだ。そのとき置き去りにされるのは、君のようには外国語が読めない読者である。

肝に銘じたい言葉だ。

ローゼンフェルド、モービル、アランゴ『情報アーキテクチャ 第4版 見つけやすく理解しやすい情報設計』(オライリー・ジャパン)を読了した。初版は1998年刊で、著者らによればその頃は「Webはまだ誕生して数年」だったという。情報アーキテクチャという概念がまだ確率していなかったころから、図書館学と建築の理論なども参考に、ウェブページで提示する情報の整理、収集から提示法まで含んだ「情報建築物」構築の理論を研究し続けて来たのだ。第4版を書くにあたり、著者らは内容を見直し、大幅に書き直したという。500ページ近い力作で、著者らの熱い想いが伝わってくる本だった。ウェブサイトの立ち上げに関わる人や、コンサルタントには必須の本だろう。

私は翻訳を仕事のひとつとしている関係上、このような翻訳本では訳語がとても気になってしまう。この本ではそのような「気になる言葉」が多かった。

いちばん気になったのが「制限語彙」だ。ウェブサイトを構築していくのに、どのようにして種々雑多なデータを整理していくかを解説した章の初めのほうに出てくる。文字面を見てもどのような意味なのかはわからない。本文を読むと次のように説明されている。

語彙の制限は形も大きさもさまざまです。最もあいまいなところでは、制限語彙は自然言語の中で定義された部分集合です。簡単に言うと、制限語彙は同義語の輪の中にある適当な言葉のリストであり、典拠ファイルのフォーム内の同意義用語のリストです。(291ページ)

この説明がさっぱりわからない。さらに先を読むと、制限語彙のタイプとしてシソーラス、分類体系、典拠ファイル、同義語の輪があるという。やはりわからない。わからないまま読み進めるのは非常に苦痛なのだが、20ページ以上読み進むと、ぼんやりと意味がわかってくる。おそらく、何らかの基準を元に集めて整理した標準用語集のようなものらしい。脚注や参考文献を当たって、元の英語がおそらくcontrolled vocabulariesだと結論するに至った。おそらくただ単に集めたのではなく、ある分野で使われる語を偏りなく集め、同義語や表示の揺れを整理して正規化・標準化した「語彙集」だろう。

このcontrolled vocabulariesはたしかに辞書にない。アルク(https://www.alc.co.jp)で調べると「管理[統制]語[用語]」と表示される。「制御された語彙」と表示されるウェブ辞書もある(https://ejje.weblio.jp/)。だが、学術系のウェブサイトを調べると「統制語彙」という言葉に行き当たった(臨床研究情報センター、慶應義塾大学文学部など)。「統制語彙」でもわからないと言われてしまえばそれまでだが、コントロールは「制限」ではなく「統制」であるのは明らかだ。このような、まだこなれていない言葉の場合は、元の英語を示すのが親切だろう。

そういう意味では「分類体系」も「典拠ファイル」も、具体的にどのようなものを指しているのかがわからない。どのようにして原語を知るか、いろいろ考え、原著を米Amazonのサイトで検索し[Look inside]で索引を覗くことにした。すると「分類体系」はclassification schemes(2回ほど「分類スキーム」という語も使われている)、「典拠ファイル」はauthority filesだとわかった。英語を見ると、日本語がわかる。日本語を見ただけではいろいろな解釈が思い浮かび、何を言っているのかが漠然としているように思えてしまうのだが、英語を見ると解釈の幅が狭くなって、意味がはっきりしてくる。たとえば「分類体系」は「分類されたものの体系」ではなく「どのように分類するかという体系」の意味だとわかり、「典拠ファイル」は「単に参考としたファイル」ではなく「人びとがある分野の知識を得たいと思ったときに必ず手にするファイル」だとわかる。やはり英語が欲しかった。

SPEEDIというシステム自体に対する評価は、両陣営とも大きな違いが無いと言える。問題は活用の方針なのだ。少し長くなるが引用する。

これまで見たように、緊急事態の際の「SPEEDI」の活用に関する両者の意見は鋭く対立してきました。しかし、私たちの聞き取り調査の結果によると、両者は、以下のような点について考えがほぼ一致していたのです。
  • 緊急時に「SPEEDI」がもたらす計算結果は、誰もがそれを見れば直接的に避難などの防護の行動を取れるというようなものではないこと。
  • 他方で、原子力事故や原子力防災について高い識見を持つ専門家にとっては、参考情報として極めて重要なものとなりうること。
  • そのため、実際に「SPEEDI」を緊急時の避難などに活用するためには、そうした専門家が計算結果を解釈した上で、決定権者(対策本部長である首相など)への助言を行うことが必須であること。
  • 逆に、「SPEEDI」の計算結果を、助言や解説を付けずにそのまま一般公開することは、図表が示す意味に対する誤解を生じ、不適切な防護行動による無用な被ばくの危険を生じ、かえって人びとにとってのリスクを高めるので、適切ではないこと。

ここで重要なのは「専門的助言」が必要だという判断だ。逆に専門的助言なしでの運用はあまり意味がないどころか危険ですらある。日本の運用はこれをまったく無視して決められた。2016年3月11日に発表された原子力関係閣僚会議の決定「原子力災害対策充実に向けた考え方」では、SPEEDIのデータを「自らの判断と責任により大気中放射性物質の拡散計算を参考情報として活用することは妨げない」としているが、ここでも専門的助言の必要性は無視されている。

一方、フランスでの聞き取り調査の結果を著者らはこう述べている。

興味深かったことの一つは、フランスでも「SPEEDI」に似た拡散計算システムは持っているものの、それとは別に、事故後の復旧・復興について検討することを主な目的とした、シナリオ型の予測システムを開発しているという点でした。

また、運用に関しても、「計算結果をもとにした「専門的助言」を行うことまでを、技術支援機関の拡散計算専門家が制度上の役割として担うことが、あらかじめ明確に定められている」という。やはり核大国のフランスはしっかりした制度設計をしていると感心せざるを得ない。

著者らは日本の問題点を次のように指摘している。

もっとも「SPEEDI」そのもののことをよく知っている「SPEEDI」開発者の意見や、地域の実情や住民の皆さんの願いに応えて、地方の現場から「SPEEDI」の活用方法を専門的に検討している地方自治体の技術専門家の意見が、論争にうずもれて(福島原発事故以前とある意味で同様ですが)十分に参照されていないことも、重要な問題であるように思われます。

この報告書が充分に活用されることを願っている。

報告書「SPEEDIとは何か、それは原子力防災にどのように活かせるのか?」(http://hse-risk-c3.or.jp/itaku/report/research-report2016.pdf)を作成したのは東京電機大学の寿楽浩太と電力中央研究所の菅原慎悦である。寿楽は原子力を専門としている。彼らは日本の関係者(研究者、自治体担当者)20名とフランスの原子力災害対策関係者9名に聞き取り調査をおこなった。その結果明らかになったことは、福島以前のSPEEDIの運用計画自体が誤りであり、虚構の上に築かれたものだったということだ。昨日紹介した、SPEEDIについて対立する意見のうちの一方は、SPEEDIを限界をわきまえて正しく運用すれば使用できるというものであり、もう一方はSPEEDIが誤解されているかぎり使用すべきでないというものだった。結局、認識に大きな差があるわけではなく、その先の対処方法を巡って対立しているだけなのだ。

SPEEDIはリアルタイムにシミュレーションできるシステムではない。そもそも原発事故における放射性物質の拡散をリアルタイムにシミュレーションすることは不可能だ。天候や風向きは刻々と変化するし、どれだけの量の放射性物質がいつ放出されるかは予測することもできない。専門家たちはそれをよく知っている。ところが国は、2000 年に施行された原子力災害特別措置法(原災法)に基づく政府の「原子力災害対策マニュアル」で、SPEEDIの計算結果を「住民避難等の防護措置を決定する際の基本情報」としたのだ。そこに誤りがあった。

福島原発事故以前の、原子力災害の際に避難などの防護措置の意思決定をする制度は、「SPEEDI」の活用の仕方も含めて、ほとんど「虚構」、絵に描いた餅であったということを認めなければなりません。専門家が(当時からすでに)持っていた識見に照らせば、最初から「うまく行きようがない」備えがなされていたことの問題性は重大です。関係者はこのことを厳しく反省しなければなりません。

「災害から学ぶ」と安易に言われるが、本当に学ぶべきことは「絵に描いた餅」を放置してきたということだ。寿楽らは次のように述べる。

やはり、問題は「SPEEDI」に関する制度と、それをつくり、運用し、必要に応じて修正・改善していくしくみ全体にあることになります。なぜ過度な期待に基づく制度設計が行われたのか、なぜ専門家は声を上げなかったのか、なぜ未だに過度な期待がなくならないままなのかが問題だと言えます。

現在、避難計画が策定されないまま原発の再稼働が次々と計画されていることも同様の問題だと思うし、繰り返し書いていることだが、半端なJアラートが運用されていることも同根ではないだろうか。

私は防衛の専門家ではないが、弾道ミサイルが日本上空を通過しても、落下物がある可能性は非常に低いことは知っている。むしろ弾道ミサイルのコースと、標的が日本国内であるのかどうかが重要だ。「ミサイルが発射された」というだけの情報では、ほとんど意味がない。また、核ミサイルの標的にされた場合、屋内に避難してもほとんど意味がないし、地下に避難しても、大深度地下街でなければあまり意味がない。さらに、通常の弾道ミサイルでも、原発が標的になった場合は別の対処法が必要となる。一部ではこのようなことが議論されているが、議論の成果がちっとも現れて来ず、太平洋戦争中の空襲警報のような無意味な演習が繰り返されていることに苛立ちを覚える。

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