最近になって「大人の発達障害」としてアスペルガー症候群が注目されるようになった背景を、宮尾は次のように説明する。
絶対数が増えているというよりも、日本の家族や社会のあり方が変化し、見えやすくなってきたのだと思います。昔のようにお父さんは仕事ばかりして、遊ぶのも外で、ろくに家にいないし、家族のことは妻に任せきり。妻は妻で女同士で過ごしていて、男女7歳にして席を同じくせずという環境であれば、アスペルガー症候群の人は目立ちません。しかし、コミュニケーション能力がずっと問われるようになった今は、空気が読めない人は「KY」と言われ、仕事ばかりではなく、『お父さんも育児を』となれば様々な役割を演じなくてはならず、アスペルガーの人の問題が様々なところで見えてきます。
医師の中にもアスペルガーだと思われる人はけっこういる。大学教授にもそれらしい人がいる。真面目であるとか、マニュアルに沿って同じことを繰り返すのが得意というのは、医師や研究者にとって有利に働くこともある性質だ。医師の場合、ガイドラインを熟知し、それに沿って厳格・厳密な治療をおこなうのであれば、良い医師だと思われる可能性がある。しかし、権威主義的なパターナリズムがまかり通った昔ならよかったが、チーム医療だの、ナラティブだの、他職種の同僚や患者とのコミュニケーションが重要になってきた現在では、それでは通用しなくなってきているのだ。
パートナーがどのように対処したら良いかについて、宮尾は次のような例を挙げている。
ある人のだんなさんは予備校の人気講師で、年収が数千万円ということでしたが、やはりアスペルガーでした。その奧さんは、『私はうちの夫に、息子をどういう風に遊ばせればいいかを伝える場合、すべてストーリー仕立てで書く。夫がその通りにしてくれたときには、彼が好きなコーヒーをいれてあげると、嬉(うれ)しそうに飲むんです』と工夫を話してくれました。してほしいことを具体的に伝えて、ご褒美を上手に与えるということでうまく回しているのですね
パートナーをうまく手の上で転がせば良いということだ。だが、それで満足できる人と、満足できない人がいるだろう。自分が求める夫婦の姿がしっかりしていればしているほど、それとかけ離れた夫婦関係はストレスになる。
私が診ている中ですごくうまくいっている人がいて、その人のご主人はどうも純粋なアスペルガーの方のようでしたが、『あなたはなぜカサンドラ[引用者注:1月23日のブログを参照]にならないの?』と聞いてみたら、彼女いわく、『私はお見合いですから、最初から何の期待もしていません』と。お見合い結婚では、この人はこれぐらいの地位の人で、将来の見通しはこうだという条件で結婚して、それ以上は求めなかったことが良かったようです。
宮尾は、「自分の旦那と思わずに、誰か困った男性のヘルパーに入ったのだ」と思うと気持ちが楽になるという。たしかに他人からものを貰えば何でも感謝できるのに、配偶者からだと「何でこんなものを」と逆に腹が立つことがある。身内だからこその期待がそこにあるのだろう。期待しないことがうまく付き合うコツ……はたしてそうなのだろうか。期待をしない相手であれば、結婚する意味はないと思う人もいるだろう。結局、究極の選択をせざるをえなくなる。
宮尾はアスペルガーの配偶者について述べているのだが、「役割をちゃんとすればいいと思うのですよね。お金をちゃんと稼ぎ、困った時に知恵と力を貸してくれることができればいいじゃないですか」と言う一方で「最終的に考えるべきは、あなたにとってこの結婚を続けることにメリットがあるかどうかということ。別れることはいつでもできる。自分が1人になった時と、旦那と一緒に暮らすことをてんびんにかけて、どちらが得なのかを考えてくださいと僕は伝えますね」とも言う。だがこれはアスペルガーの配偶者に限ったことではない。他人と一緒に暮らすには、何らかの割り切りが必要ということのなだろう。