阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2018年01月

最近になって「大人の発達障害」としてアスペルガー症候群が注目されるようになった背景を、宮尾は次のように説明する。

絶対数が増えているというよりも、日本の家族や社会のあり方が変化し、見えやすくなってきたのだと思います。昔のようにお父さんは仕事ばかりして、遊ぶのも外で、ろくに家にいないし、家族のことは妻に任せきり。妻は妻で女同士で過ごしていて、男女7歳にして席を同じくせずという環境であれば、アスペルガー症候群の人は目立ちません。しかし、コミュニケーション能力がずっと問われるようになった今は、空気が読めない人は「KY」と言われ、仕事ばかりではなく、『お父さんも育児を』となれば様々な役割を演じなくてはならず、アスペルガーの人の問題が様々なところで見えてきます。

医師の中にもアスペルガーだと思われる人はけっこういる。大学教授にもそれらしい人がいる。真面目であるとか、マニュアルに沿って同じことを繰り返すのが得意というのは、医師や研究者にとって有利に働くこともある性質だ。医師の場合、ガイドラインを熟知し、それに沿って厳格・厳密な治療をおこなうのであれば、良い医師だと思われる可能性がある。しかし、権威主義的なパターナリズムがまかり通った昔ならよかったが、チーム医療だの、ナラティブだの、他職種の同僚や患者とのコミュニケーションが重要になってきた現在では、それでは通用しなくなってきているのだ。

パートナーがどのように対処したら良いかについて、宮尾は次のような例を挙げている。

ある人のだんなさんは予備校の人気講師で、年収が数千万円ということでしたが、やはりアスペルガーでした。その奧さんは、『私はうちの夫に、息子をどういう風に遊ばせればいいかを伝える場合、すべてストーリー仕立てで書く。夫がその通りにしてくれたときには、彼が好きなコーヒーをいれてあげると、嬉(うれ)しそうに飲むんです』と工夫を話してくれました。してほしいことを具体的に伝えて、ご褒美を上手に与えるということでうまく回しているのですね

パートナーをうまく手の上で転がせば良いということだ。だが、それで満足できる人と、満足できない人がいるだろう。自分が求める夫婦の姿がしっかりしていればしているほど、それとかけ離れた夫婦関係はストレスになる。

私が診ている中ですごくうまくいっている人がいて、その人のご主人はどうも純粋なアスペルガーの方のようでしたが、『あなたはなぜカサンドラ[引用者注:1月23日のブログを参照]にならないの?』と聞いてみたら、彼女いわく、『私はお見合いですから、最初から何の期待もしていません』と。お見合い結婚では、この人はこれぐらいの地位の人で、将来の見通しはこうだという条件で結婚して、それ以上は求めなかったことが良かったようです。

宮尾は、「自分の旦那と思わずに、誰か困った男性のヘルパーに入ったのだ」と思うと気持ちが楽になるという。たしかに他人からものを貰えば何でも感謝できるのに、配偶者からだと「何でこんなものを」と逆に腹が立つことがある。身内だからこその期待がそこにあるのだろう。期待しないことがうまく付き合うコツ……はたしてそうなのだろうか。期待をしない相手であれば、結婚する意味はないと思う人もいるだろう。結局、究極の選択をせざるをえなくなる。

宮尾はアスペルガーの配偶者について述べているのだが、「役割をちゃんとすればいいと思うのですよね。お金をちゃんと稼ぎ、困った時に知恵と力を貸してくれることができればいいじゃないですか」と言う一方で「最終的に考えるべきは、あなたにとってこの結婚を続けることにメリットがあるかどうかということ。別れることはいつでもできる。自分が1人になった時と、旦那と一緒に暮らすことをてんびんにかけて、どちらが得なのかを考えてくださいと僕は伝えますね」とも言う。だがこれはアスペルガーの配偶者に限ったことではない。他人と一緒に暮らすには、何らかの割り切りが必要ということのなだろう。

親子関係についても興味深い記述があった。「男の子にとって、父親と母親はいつまでも父親と母親」なのだそうだ。おまけに「結婚して自分が夫として生活を作っていくということを考えない。未来を想像できないのです。どういう家庭を作るのか、自分の家族で学んでいない」という。これは一般の男子にも言えることだろう。一方「女の子にとっては、父母は未来の夫婦像」だ。宮尾は「だからこそですが、母親と娘の関係はややこしいこともあります」と言う。

ままごとをしたがるのは女の子のほうが多い。女の子は遊びを通して家族の構築や家庭の運営を学んでいくのだろう。それに対し、男の子は女の子の遊びに参加するだけで満足してしまうのではないか。理想の家庭像を求めたりということをしないで過ごすのかもしれない。

アスペルガーの男の子がいつまでも「親の子」でいるために、結婚すると問題を生じることがある。

アスペルガーの男性は新しいことになじむのが苦手です。家族関係から考えてみると、ある時期までは母親の息子ですよね。思春期になって恋をして、結婚する。そこでの問題の一つは、自分が『母親の息子』という意識のまま、母親とつながったまま、結婚してしまうことなのです。女性は母しか知らないですから、女性の未熟な時代も知りませんし。新婚時代から、自分の母親と同じ役割を妻に求めてしまいます。

さらに父親が不在の家庭では母と子(夫)が共依存を形成していることがあり、そうなると妻は抑うつ状態になってしまう。さらにアスペルガーの夫は、そのような妻の状態を察するということができない。

母と子がうまくいかない場合もある。ひとつは、子どもが男になったことに母親が気づき、遠ざけるようになった場合だ。「昨日まで僕のことを抱っこしてくれていたお母さんが急に僕を避けるということで、アスペルガーの男の子は理由がわからなくて混乱するわけです。一般的な子どもは、ほかの子どもとグループを作って、お母さんと徐々に距離ができていく」。これが急に避けられるようになるので、中には母親に暴力をふるい始めるケースもあるという。

もうひとつは母親の二面性を許せない場合だ。

基本的に母親は、社会の中でうまくやっていくために、二面性があります。例えば、PTAの担当の先生について陰で悪口を言っていても、先生の前ではぺこぺこしてゴマをすってばかりいる。それを見てアスペルガーの息子は『あの女はうそつきだ、許せない』と、母親と断絶してしまうのです。

このような場合、夫は妻がすべてになる。

2人でいる限りはハッピーなんです。そこに子どもが生まれ、特に男の子が生まれると、自分にとっての恋敵になってしまうのです。奥さんに「おまえは人妻なんだから、子どもといちゃいちゃしてはだめだよ」と言ってしまいます。母であることより、妻であることのランクが高いというわけです。

恋人時代や新婚時代はとても関係性がよかったのに、子どもが生まれたとたん妻が自分に注目してくれなくなったので、子どもにライバル意識を持って不機嫌になるのだ。

アスペルガーは男性に多いので、当然のことながら夫や父親が問題となるケースが多くなる。

私の診ていたアスペルガー症候群のお子さんのお母さんに話を聞いていくのですが、お父さんがほとんど出てこないことが多かったんです。シングルマザーかな、離婚されたのかなと思うぐらいに。勇気を出して聞いてみたら、同じような疑問を持ったお父さんたちの行動パターンは全部一緒でした。家庭内での社会性がないし、人の心がまったく読めていない、奧さんとのコミュニケーションがまったく取れていないとのことでした。お母さんはほぼ全員がうつになっていました。そこでそのお父さんを変えれば、母のうつはよくなり、子どもも思ったように改善するのではと考えました。そのような、お父さんだけを集めてみたら、みなさん立派な紳士たちでした。

社会的地位の高い人ばかりで、質問も理路整然としていた。妻から「家庭内で社会性がない」と言われていたので、どうやって社会性を身につけたか訊くと、損得を考えることで社会を渡ってきたのだという。知的能力が高いからからこそできたことだろう。だが、家庭の中では損得が使えない。

翻って、家庭の中では損得は生じないわけで、せいぜいおいしい食事、温かいもてなしが得としてあるわけですが、それはあまり意味をなさないとのことでした。だから、家庭内での社会性である夫婦関係に反映されないのではと考えるに至りました。

また、家の外の世界では有効であった「素早い判断、冷静な分析、冷徹な人への評価」が家庭内では逆の効果を生んだと宮尾は分析する。妻が夫に求めるのは判断や分析ではないことが多い。悩みを打ち明けても、愚痴をこぼしても、欲しいのは解決策ではなく「大変だね」という同情や共感だったりする。アスペルガーの人はそれがわからないのだ。それがわかったうえで鬱陶しいと思うのとは違う。アスペルガーの人は、自分ではそのつもりはないのに、妻から冷たいと思われてしまう。

ではどのように付き合えばいいかというと、すべてを口に出せば良いという。

人と人とのコミュニケーションは70%が非言語で、言葉を使うのは30%だけなんです。アスペルガーの人は、その30%だけで判断しているわけです。文字通りのコミュニケーションと言っていいでしょう。

だから、思っていること、して欲しいことなど、すべてを口に出して伝える。

例えば、奧さんが風邪をひいてゴホゴホせきをしながら皿を洗っているとします。夫がやってくれないと心の中で不満を抱えるのではなくて、『私は風邪をひいて咳(せき)をしながら洗っているけれども、誰も変わってくれる人がいない。代わりに洗ってくれるとうれしいし、とても感謝するわ』と言えばいいわけです。代わってくれないのをひどいと責めるのではなくて、心の声を言語化しましょう。体調が悪い時に、心の中で優しい言葉を期待するのではなく、『私はあなたの優しい言葉があったら元気になれるわ』と言えば、アスペルガーの人は優しい言葉を言えるわけです。アスペルガーの人の考え方は、『咳をしながらでもできている。だから手伝わなくてもいい。病気を治すのは本人と医者だから、自分には何も関係がない。早く薬を飲んだ方がいいぞ』というだけですよ。どうしてほしいか全て言わないと、わからない。

アスペルガーの人は裏表がなくまっすぐなので、これが非常に有効だ。口に出すだけで人間関係が非常にスムーズになるはずだ。もっともこれはアスペルガーの人との付き合いに限ったことではなく、一般の付き合いでも言えることだ。自分がどれだけ腹が立っているかをメモリで示して家族に見せるようにしたところ喧嘩が減ったという事例を読んだことがある。

読売新聞のウェブサイト「yomiDr.」に連載されている「性とパートナーシップ」シリーズの記事として2017年12月8日から22日にかけて掲載された「夫婦関係と発達障害」がとても面白かったので、それについて書きたい(上:https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20151208-OYTEW55372/、中:https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20151215-OYTEW55394/、下:https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20151222-OYTEW55406/)。インタビューに応じている宮尾益知は子どもの発達障害を専門とする医師で国立成育医療研究センターこころの診療部などを経て現在開業している。子どもの発達障害を診るうちに親の発達障害が背景となっている場合があることに気づき、成人の発達障害にも関わるようになった。『大人のアスペルガー症候群』などの著書もある。

発達障害について宮尾の言葉を借りて整理しておく。

「今は、『自閉症スペクトラム障害(ASD)』という診断名に統一されていますが、一般に『アスペルガー症候群』や『自閉症』という言葉もまだよく使われていますね。ASDは、社会生活に必要な三つの能力に問題がある発達障害です。三つの能力とは、①コミュニケーション能力②想像力③人と社会的関係を持つ能力です。ASDのうち、知的能力が正常範囲以上で、言語発達の遅れもない方をアスペルガー症候群、知的発達に遅れがある方をカナー型自閉症と言います。アスペルガー症候群は、真面目で規則を守り、決まったパターンの仕事については集中力があり、専門的な職種で力を発揮するなどの長所がある一方、変化に弱い、周りの空気が読めない、言葉で表現するのが苦手で誤解されやすい、社会の暗黙のルールがわからないなどの短所があります。その人の個性や生い立ち、社会的な経験によって様々な症状が表れるので、一人一人抱えている問題も異なります」

アスペルガーの人はだいたい130人に1人くらいの割合で存在し、男性に多く「医師や弁護士、企業の管理職など社会的に高い地位にある人も数多く含まれて」いるという。また、アスペルガーの夫とのコミュニケーションがうまくいかないのを自分が悪いからと考えて自信を失い、心の葛藤から心身に苦痛が生じてしまう状態を「カサンドラ症候群」と呼ぶのだそうだ。

宮尾は病気の成り立ちを次のように説明する。

アスペルガーは論理性が高く、論理で説明すればわかる人たちなんです。男性脳、女性脳という説があって、男性脳は論理、女性脳は感情や共感性と言われますが、論理性が高い人がアスペルガーや自閉症になり、感情や共感能力の高い人がヒステリーになると言われています。

医師、弁護士や学者は論理性が重視される。だからアスペルガーの人が多いのだろう。

2017年7月頃にチャーリー・ガードという英国の男子新生児のことが話題になった。そのことについて書きたい。彼についてはウェブ上に多数の情報があるので、ここでは引用元をいちいち挙げない。私はといえば、「ネット」で何が話題になっているかについてまったく関心がないので、最近までこの話を知らなかった。新聞にも取り上げられたようなので、きっと見過ごしていたのだろう。

彼は2016年8月に生まれたが、「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」という先天性疾患であると診断された。この病気は、日本でも小児慢性特定疾病の対象となっている重篤な難病で、短期間で死亡する場合が多い。彼は自分で呼吸することもできず、人工呼吸器を装着して生命を維持することになった。病院の医師団は、彼が脳に回復不可能な重大な障害を負っているとして、両親に生命維持装置を取り外す尊厳死を勧めたという。

両親は、彼を米国に連れて行き実験的な治療を受けさせたいと希望したが、英国の高等法院は4月、これ以上の治療継続は患者に不要な苦しみを与えることになるとして、病院側が求める尊厳死を認めたという。病院が裁判所に安楽死の許可を申請したとのことだが、英国ではこのような経過をたどるのが普通なのか、詳細は知らない。

両親は上告したが、英最高裁判所と欧州人権裁判所は6月に訴えを棄却し、両親が求める国外治療を禁じた。このことが報道されると、6月末から7月初めにかけて、ローマ法王やトランプ大統領が治療の継続を求める両親を支持する発言をした。また、「病院に対し、職員らを殺害するなどと書かれたメールなどによる脅迫が大量に届く騒ぎ」も起こった。

病院側が2017年7月22日に発表した声明によると、医師や看護師に対する殺害予告も含む数千という脅迫のほか、病院に入院する他の子どものお見舞いに来た人へも、嫌がらせをする人がいるという。(http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/24/charlie-gard_n_17568488.html)

その後も紆余曲折があったが、結局アメリカ・コロンビア大学の専門医らが訪英して検査をおこない、その結果治療を断念することになった。

ロンドンを訪問しMRI検査を実施した同大学の平野道雄博士らの診断で、チャーリーくんの筋肉の消耗状態が判明。脳に回復不能の損傷があり、チャーリーくんが治療を受けるにはすでに手遅れだということが確認されたという。(http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/28/charlie-gard_n_17621706.html)

最終的に両親はこの決定を受け入れ、7月24日に治療を断念すると発表、彼は7月28日に死亡した。

この問題には大きな倫理的ジレンマが含まれていることは言うまでもない。宗教的な問題や政治的な問題も絡んでいる。またSNSに寄せられた感情的で一方的なコメントも問題となっている。

英国内外で非常に多くの人が、チャーリーちゃんの運命を誰が決めるべきかという問題に関心を寄せ、インターネット上でコメントしているのを受け、ニコラス・フランシス裁判長は、事情をよく知らず投稿されたネット上のコメントを非難した。
「ソーシャルメディアの世界は、確かに非常に多くの利点もあるだろうが、本件のような裁判がネットで拡散される場合、事実に基づいていようとなかろうと、誰もが意見を表明する資格があると感じることを、落とし穴の1つとして挙げておきたい」と同裁判長は語った。(http://toyokeizai.net/articles/-/182527)

だが、私が驚いたのは、このような問題が裁判所で扱われ、それも4か月間という短期間(英国では長すぎると批判されているようだが)で結論が出ているということだ。日本では患者家族と病院の対立が法廷にまで持ち込まれることはない。病院は結局のところ家族の決定に従うからだ。病院がそこまで主体的に患者に関わろうとしないと言い換えてもいい。英国の病院は家族の意向ではなく、何が患者にとって最善であるかを考えて行動した。裁判所もそうなのだろう。裁判所は迅速な決定が必要であると判断して、早々に結論を出した。結論の内容については議論のあるところだろうが、日本では4か月で結論が出ることはありえないということには誰もが同意するだろう。これが患者中心の医療のひとつの形なのだと気づいて、日本との差に驚いたのだ。

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