阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2017年12月

著者らの研究成果は、目新しい発見があるというより、人びとの行動を説明し推測する良い理論的枠組みを構築できたというものである。だが、この本に示されている数かずの実験結果には、あらためて考えさせられるものもある。

たとえば第9章「ダイエットの行動健康経済学」では、肥満の人にダイエットプログラムを提供して効果を見る実験が紹介されている。

[実験は]「京元気クラブ」という組織の会員を募集し、その会員に向けて行った「元気やせようプログラム」に基づいている。対象は、「BMI(Body Mass Index, 体重(kg) / 身長(m)2)が25以上、またはウエスト周囲径男性85cm、女性90cm以上、ないし20歳時本人基準体重より10%以上の増加のあった健康な対象者」であり、肥満を改善するための、行動変容介入法(電話などによる行動変容の支援)を6カ月間行い、心理社会学的要因、経済学的要因との関連を調査した。(116ページ、注を一部省略)

健康な人を対象としたので、高血圧の人は参加できなかったのだそうだ。肥満者には高血圧が多い。除外されてしまった参加希望者の多くから「なぜ高血圧のものが参加できないのか」との苦情があったという。肥満と血圧の関係を見る調査ではなく、肥満者の経済学的行動特性を調べる研究だったからしかたがないのだが、苦情は当然だろう。

研究の結果、ダイエットが成功するためには自分の努力が肯定的に評価されることが重要であることが確認された。また、BMIと楽観性(この本の言葉では危険回避度)に有意な関連があったという。著者らは「粗っぽい言い方をすれば、肥満の人には、人生に対して相対的に楽観的な人々が多いということである(120ページ)」としているが、これはまさに私たちの実感に即したことだろう。映画でも漫画でも、太った人に割り当てられる典型的な性格が「楽観的な人」である。太っていて神経質な人は出てこない。神経質な人といえば痩せた人である。そのようなことが実験で示されたということだろうか。

159ページに紹介されている最後通牒ゲームと独裁者ゲームも面白い。最後通牒ゲームは、PRの2名に対し「PRの了解があれば10万円もらえる。Pはそのうち何円かRに与えることを提案し、Rの了解を取り付ける」というものだ。RがいくらもらえればPの受領を受け入れるかということをテーマとして考えれば、理論的にはRは1円でももらえれば得をすることになる。ところがPは「1円あげるから」とは決して提案しない。

この最後通牒ゲームに対しては、かなり驚くべき結論が知られている。
  1. 60%から80%の申し出は、持分の0.4から0.5の比率の範囲である。
  2. Pから0.2以下の比率の譲渡はほとんどない。
  3. Rは低い比率の譲渡はしばしば拒否し、0.2以下の比率の譲渡は過半拒否される。
(159ページ)

しかし、だからといって人間が他利的だということにはならない。RPの申し出を断れない「独裁者ゲーム」では「Pの申し出の比率は大幅に下がり、平均して0.2程度となる(159ページ)」からである。さらに、Pをコンピュータにすると、Rの受諾率は大幅に向上する。

Rが憤りを感じているのは、結果としての不平等ではなくて、結果の不平等を引き起こす意図にあるようである。(160ページ)

つまり、私たちの利他的行動は利己的行動と真の利他的行動が混じったものであるらしい。また、その利己性、他利性は相手の意図(本当かどうかはわからないが自分が感じた、あるいは推測した意図)によって影響をうけるということだ。相手が不当に利益を得ようとすれば、人間はそれを意識的に排除しようとする。

私が感じる経済学数学の根拠の薄さを、筆者らも別の意味で感じているらしい。神経科学と経済学との類似性を指摘した文に続いて、著者らは次のように述べている。

[経済学が実証の根拠を経済データのみならず、神経科学の実験データやfMRIの画像データまでに広げていくと]神経科学の発展の結果、選択肢の評価基準を効用関数として一元化して考えてきた伝統的経済学の発想を、まったくもって生理学的根拠を欠く空想の産物として忘却の彼方へ押し流してしまう可能性もある。(135ページ)

著者らは、行動経済学の立場から、経済活動における感情の役割を重視している。彼らが対象としているのは、合理的に動くホモ・エコノミクスではなく、酒に溺れたり、ギャンブルで身を持ち崩したり、禁煙に失敗したりする人間なのだ。著者らは「感情が生得的であり、感情反応が自然淘汰によって遺伝的に埋め込まれてきたものである」とするカートライトの考えを紹介している(12ページ)。

感情が理性よりも先立つ[場合がある]。このように考えるならば、我々は、従来の経済学が経済行動における感情の果たす役割を無視してきた報いを受けているのだと言えよう。(13ページ)

著者らは、「人間の脳は長い進化論的な過程の中で発達してきたわけであり、脳の異なる部位では、異なる行動原理が働くとしても不思議ではない(14ページ)」として、脳内の異なる場所に埋め込まれている行動原理が葛藤することにより、人間は時に非合理的な行動をとるのだろうと考えている。これは脳科学の分野でほぼ実証されていることだろう。行動経済学を創始したカーネマンは認知科学の分野に踏み込んで研究を発展させたが、著者らは認知科学にあまり深く関わらなかったようだ。

著者の中に医学部出身の者がいることで、医療に関する指摘は現状を踏まえたものが多い。リスクは経済学一般でも重要なものだが、著者らは特に医療におけるリスクについて、次のように述べている。

一般人やマスコミの論調などを見て感じる、最も大きな誤解は、この種の事故に対する備えが、100%の万全を目指せば、それが叶うかのような議論が多すぎるという点である。例えば地震に備えるための設備がある程度整備されていることが必要なことは当然であるが、いくら多くの防災のための投資をしても、思いもかけない大きな地震が来る可能性がある。また交通事故を防ぐための道路の整備や信号機の設置も、ある程度までは必要であるが、これを十分に設置したからといって、100%事故を防ぐことはできない。(36ページから37ページ)

同様のことは原発事故についても、ITセキュリティについても言えることだ。原発事故を100%防ぐことはできない。これを認めないのは嘘をつき騙そうとする態度だ。また100%のITセキュリティはない。個人情報を預ける場合、それが漏洩する可能性を見込んで準備しておかねばならない。ところが現実は、「完全な安全を目指すので、万が一の場合に対策は後回し」になっている。ネットバンキングの際にも、システムに侵入があった場合に備えてユーザ側が取るべき対策は充分に告知されていない。原発周辺住民の避難計画は、まったくなかったり、あってもおざなりだったりしている。日本社会全体の質の問題だろう。

医師から、病気の治癒や治療の成功について確率で説明されることの意味合いについても正しい指摘がある。

医療提供者の側からすれば、多くの患者を相手にしているのだから、これらの確率数値は大きな意味を持ち、技術進歩などによる治療効果を実感しているのであろうが、大部分の場合、1回きりの経験をする患者からすれば「自分が助かるのかどうか」だけが関心事であり、いかに医療従事者が患者に対していかに正確に情報を提供しても、適切に受けとめられないことも少なくない。(39ページ、原文のまま)

そして、医療不信の背後には「悲しい(grief)事態が起きたとき、その悲しいという状態に対するケアサービスを提供することが社会的に望ましい」のであるのに、「このような配慮が足りない」ことがあるとしている(40ページ)。

さらに、「医師患者関係も、判断を間違うことのない医師が判断を間違う患者に正しい判断を教えるというよりは、犯しやすいミスに共に気をつけながら判断を行うという関係が現実的(148ページ)」であるとし、リスクの大きい外科系診療科に進む医師が減少している現状に対しては、リスクの低減策として「エキスパートレビュー」(専門家同士の審査)を提案している(149ページ)。

だが、前者については「パターナリズム」の否定(説明と同意の推進)や、医療安全への患者の参加(名前と生年月日を患者に言ってもらうなど)によりかなり以前から実施されていることであり、後者についても、カンファレンスや回診の充実という形で以前から試みられていることである。著者は臨床の現場から離れて久しいのかもしれない。

依田高典、後藤励、西村修造『行動健康経済学—人はなぜ判断を誤るのか』(日本評論社)を読了した。補章を含んだ本文が174ページという薄い本だ。著者らは京都大学で西村の主宰する研究室で研究をおこなった仲間のようだ。また後藤は医学部の出身であるという。この本は「経済セミナー」誌上の連載をまとめたものだとのことだが、「まえがき」の最後には次の言葉がある。

2009年3月14日、京都大学百周年時計台記念館で、西村が最終講義を行うにあたって、行動健康経済学研究の成果を分かりやすく皆様にお届けするものである。(ivページ)

最終講義と並行して準備された原稿なのだろう。そう思って読むと、いかにも最終講義といった内容である。行動健康経済学を俯瞰するというより、著者らの業績の紹介といったおもむきの内容である。

さらに付け加えれば、けっしてわかりやすいとは言えない。経済学の他の分野の専門家にもわかりやすくということなのだろうか。わかりにくさにはいくつかの要素がある。文法が複雑で修飾関係(文の中の言葉の繋がり具合)がわかりにくいというのも要素のひとつだが、この本にはそのようなわかりにくさはない。新しい単語が多いことと、議論が省略されていることがわかりにくさの原因だろう。たとえばニコチン依存と禁煙について論じた章には次のような文があった。

本研究では、被説明変数が禁煙継続の有無という離散変数となる。そのため、推定にはロジット・モデルを用いた。また同じ回答者に8回繰り返し質問することから、このデータを一種のパネル・データとして見なすことができる。そこで、観察されない個人属性を調整するために、ランダム・イフェクト分析を行った。(55ページ)

ロジット・モデルについては補章165ページに説明があるが、複雑な数式の羅列で、実際にその数式を筆算で展開して追っていかなければ本当にはわからない。さらにパネル・データ、ランダム・イフェクト分析についての説明はなく、「観察されない個人属性」が何を意味するのか、「調整」とはどういうことか、なぜランダム・イフェクト分析により観察されない個人属性が調整できるのかがわからない。

ただし、このように書いたからといって、私にはこの本にケチをつけるつもりは毛頭ない。面白いことも多く、得られるものも多い本だった。ミクロ経済学を学んだ者が読めば「なるほど」と感心するのだろう。私はむしろこのように考えをめぐらすことで、ものを書く身として自分の書いた文章がわかりにくいことはないかと反省し、また、読んだものを理解するためには自分に足りない知識は何で、何を学べばいいのかを知ろうとしているのだ。

だが実を言えば、この本で取り扱っているミクロ経済学自体に対しても、落ち着かない感情を持っている。この本では(ミクロ経済学でも)いろいろな数式が出てくる。それは皆「このような数式で表せると仮定する」ということで導入される。そして数式に実際の測定値を当てはめると、うまく現実の世界が説明できるので、その数式の妥当性が認められる。さらにその数式は、他の仮説を説明するために使われていく…というように経済学の論理は展開していく。だが私はその説明を読んでも「もともと仮定の上に成り立っている数式をあてはめても、それが説明したことになるのだろうか」と思ってしまう。「表せると仮定」した世界の数式を実世界に持ってきても役に立たないのではないかと思ってしまうのだ。

著者らは、最近の神経科学の手法に経済学との類似を見出している。

近年、[神経科学では]あらかじめ行動モデルを数理的に構築し、実験で得られた行動をうまく説明できるような内的な変数(たとえば予測報酬など)を推定し、さらにはその内的な変数と神経活動の関連を調べるという研究が行われている。
こうした方法は、効用という内的な変数を定義して、行動をうまく説明できるモデルを作るという経済学と同じような発想である。(134ページ)

ミクロ経済学の本を読んでも、ゲーム理論の本を読んでも、私が「ついていけない」と感じる原因はここにあった。量子力学のように仮定から出発しても、それが実験により厳密に検証されるならば納得がいくのだが、「うまく説明できる」では落ち着かない。たとえばAが増加するとBも増加するという関係があったとき、それをシミュレーションする関数は指数関数もあれば対数関数もある。多項式、双曲線、三角関数(の一部)でも説明できる。どの関数をどのような理由で選んだのかが明らかにされなければ納得がいかないのだ。私にとって数学は道具ではなく、考えそのものだからなのかもしれない。

西原理恵子(さいばら・りえこ)『女の子が生きていくときに、覚えておいてほしいこと』(角川書店)を読了した。西原は漫画家である。

この本には彼女が大学に入る前、故郷で暮らしていた頃の話も載っているが、家庭内暴力が当然で、女性の地位が極めて低い悲惨な状況だったようだ。貧困ゆえに「みんなひどくイライラしていた。それはすぐに暴力になって、男は女を殴り、最後は子どもにいく(8ページ)」という生き方をたくさん見てきたという。殴られる女が「よう辛抱した」と褒められる社会だった(27ページ)。次の言葉は、心の底からのため息だろう。

あぶなっかしいよね、女の子が生きていくのって。なんの心構えもできないうちに、いちかばちかの出たとこ勝負。
初心者のサーフィンみたい。
うまく波に乗れたらいいけど、最初の波でつまづいたら、あっという間に沖に流されちゃう。(9ページ)

彼女は、だから女は仕事を持つべしと言う。「若さや美貌は、あっという間に資産価値がゼロになってしまう(11ページ)」とはうまい言い方だ。

彼女は美大に進学したが、周囲の学生の絵のうまさに驚いたという。デッサンの成績は最下位だった。だが、最下位をとったことで自分の才能のレベルを自覚し、どのように生きるべきかの決断が助けられた。

私は芸術がやりたいわけじゃなかった。
私がやりたいのは、何でもいいから絵を描いて、食べていくこと。
だとしたら、最下位の自分にできることは、何なのか。そこで考えた。(47ページ)

自分に才能があると思う人が行かないところに居場所があると考え、エロを選んだのだという。

そこからは売り込み1000本ノックですよ。下手な鉄砲も、数撃ちゃ当たる。
「何でも描きます。よろしくお願いします!」
思いつく限りの出版社をまわって、頭をさげた。居酒屋でアルバイトしておいて、良かったなあって。じゃなかったら、挨拶ひとつだって、まともにできなかったかもしれない。初めてアルバイトした時に教わったんですよ。「まずは大きな声を出せ! それが出来るようになったら、走れ!」って。(48ページ)

話は変わるが、私の勤務先の防災訓練の話である。

日中に診療を継続しながらホールを使って訓練をするので、受診者や見舞客など、来院者の誘導が必要になる。誘導には新人職員が起用されたのだが、声が出ない。おそらく何と言えばいいのかの指導も受けていないのだろう。じっと立ってきまり悪そうにしている。「防災訓練実施中です。ご迷惑をおかけいたしますが、エレベータには壁際をお回りください」と声を張り上げ始めたのは私だ。しばらくやっていると新人もやっと声が出るようになった。居酒屋でアルバイトしたことがなかったんだ、あの新人君。

この本ではビッグデータに関連する数々のエピソードが取り上げられている。そのうちのいくつかを紹介しておきたい。

■自動価格設定システム
最近のオンラインショップは自動価格設定システムを採用しているのだそうだ。そのため、システムのアルゴリズムが不自然な値上げをすることがある。たとえば新型の登場で型落ち品が値下がりするかと思うと、逆に値が上がったりする。この本で紹介されているDecide.comは、価格だけでなく新製品情報など価格動向に影響のあるデータを分析し、ユーザに買い時を提案するシステムを開発した(189ページ)。現在同社はeBayに買い取られ、存在していない。

■コミュニティの活動性
大手の携帯電話会社と協力して通話データを分析し、社会レベルでネットワークを分析した研究では、新たな事実が浮かび上がってきた。
あるコミュニティ内で多くの接点を持つ人がいなくなると、残った人々の交流は低下するものの、交流自体が止まることはない。一方、あるコミュニティの外部に接点を持つ人がいなくなると、残った人々はまるでコミュニティが崩壊してしまったかのように、突如として求心力を失う。(53ページ)
さらに携帯電話の位置情報データとリチャージ額とを組み合わせて分析したところ、スラム街が単なる貧困の中心地ではなく、経済発展の出発点にもなっていることが判明した(141ページ)。
携帯電話利用者の動きを分析したところ、アフリカの貧困地区の中で経済活動が活発な地域が浮かび上がった。民族間衝突が発生しそうな地域が明らかになり、難民危機の広がる様子が判明した例もある。(285ページ)

■妊娠の推定
女性の商品購入状況をチェックすると、妊娠しているかどうかを推定でき、ごくわずかな誤差で出産日まで特定可能になったという。
女性たちの基本的な傾向としては、妊娠3ヵ月ごろから無香料ローションを多く購入し始め、その後マグネシウムやカルシウム、亜鉛といったサプリメントの購入傾向が強まる。(93ページ)
このデータに基づいて妊娠の各段階に関連しそうなクーポンを送付しているという。

■銃の見本市と暴力犯罪件数
銃の見本市が開催されると暴力犯罪件数が跳ね上がることは昔からリッチモンド警察の常識だった。実際にビッグデータ分析で見ると、それが正しかっただけでなく、もっと興味深い事実も浮かび上がった。犯罪が急増するのは、イベントの直後ではなく、2週間後だったのである。(238ページ)
なぜ2週間後なのか興味深いが、ビッグデータは事実を突きつけるだけで理由を教えてくれない。それにしても、暴力犯罪件数の急増が明らかになっているのに銃の見本市をやめられないのが米国社会の悩みなのだろう。

■相撲
公開されている相撲の星取表を分析した研究も紹介されている。負け越しがかかった力士が勝ち越している力士と千秋楽に当たった場合、「崖っぷち力士の勝つ可能性がおよそ25%も高くなっていた(50ページ)」という。「安泰力士から崖っぷち力士への施し」だろうと分析している。

■映画の興行収入予測
新しいツイートが投稿される頻度に注目した研究では、映画の興行収入を従来使われていた指標より高い精度で予測できるとのことだ(144ページ)。

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