阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2017年11月

最後に「ともに考えるための臨床倫理チェックリスト」について述べておきたい(http://square.umin.ac.jp/endoflife/2017/pdf/rinsyou_rinri_check.pdf)。これは熊本大学大学院医学薬学研究部生命倫理学分野の臨床倫理支援・教育プロジェクトが2009年に公表したものである。

著者らはこのチェックリストを、「患者さんと家族、医療従事者がチームとして使」うことで「医療現場の様々な意思決定に関わる手続き(プロセス)をともに考え、結果的によりよい判断を下す」ための「臨床倫理ミニ・マニュアル」であるとしている。

メインのフローチャートでは、患者の理解を次のような項目でチェックしている。
  1. 期待できる利益に関する理解
  2. 予測できる危険に関する理解
  3. 代替手段に関する理解
  4. 無治療から予測できる危険に関する理解
いずれの項目も「患者さんは、担当医から治療法、入院等、判断能力評価の対象となる事項」について、病気に対する効果の可能性、副作用などの不快や困難の可能性、おこなわない場合の利点と欠点、代替手段などについて「聞いていて、その内容を十分にそして正しく記憶している」ことが「患者の理解」を判断する基準になっている。患者の理解が不足していると判断されれば、説明が不適切であったと判定され、結果を担当医に通知して再度説明させることになる。

数回の説明でも上記の項目に疑問が残る場合に、治療同意判断能力の低下を疑いましょう。そして[中略]外部の第3者等を交えた治療同意判断能力の正式な審査や治療同意判断能力に関するセカンド・オピニオン取得を行いましょう。

だが、これはかなりハードルの高いことではないだろうか。まず「完璧な説明」といったものがありうるのかどうかを問いたい。そもそも医学は不完全な学問であり、人体の生理、病気の原因や発症のメカニズムについてすべてがわかっているわけではない。医師の知識は断片的で不完全だ。そのような状態での完璧な説明はありえない。また、治療の効果や副作用についても、ある特定の条件で現れるものがある。

たとえば甲状腺癌では甲状腺全摘(全部を取ってしまうこと)が標準治療である。甲状腺がなくなれば当然甲状腺ホルモンが分泌されなくなるので、生涯甲状腺ホルモンを飲み続けなければならない。この薬には注射薬はないので消化管からの投与(経口投与、胃管や胃瘻からの投与)が必須である。だから、何らかの事情で経口投与ができず、中心静脈栄養となったときにホルモン欠乏状態になることがある。このようなことは起こらない可能性のほうが高く、説明されなかったり、説明されても忘れてしまったりしていることが多い。だが実際に経口摂取が不可能になったときには大問題となるのだ。

このようなことまですべて説明することはかなりむずかしい。さらに、患者側からすれば、膨大な量の情報を説明されても、それを短時間で理解して記憶することなど不可能に近い。おまけにその説明は不完全なのだ。さらに医療の過程には不確実なことが多い。臨床の現場ではむしろ不完全な理解のままで医療という共同作業をいかに問題なく進めていくかが問題なのだ。

このチェックリストに問題があるとまでは言わないが、架空の患者を想定した理想主義的なチェックリストであり、臨床の現場ではかなり修正しながら使わねばならないだろう。

なお、用語について苦言を呈しておきたい。引用文中に「第3者」という表現があったが、「第三者」とすべきである。また、「このような現状を鑑み(「目的」)」「患者に対する心理的サポートとエンパワーメントの重要性を鑑み」のような「〜を鑑み」という表現は誤用である。「鑑(かんが)みる」とは「(〜に)照らし合わせてみる」という意味なので「〜に鑑み」が正しい。ガイドラインとして公表する場合には、ある程度の格調が求められる。用語・用字については専門家の校閲を受けることが望ましい。

日本新生児成育医学会は2004年に「重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン」を公表した(「はじめに」http://jsnhd.or.jp/pdf/preface.pdf、「ガイドライン」http://jsnhd.or.jp/pdf/guideline.pdf、「あとがき」http://jsnhd.or.jp/pdf/afterword.pdf)。昨日取り上げたガイドラインの先駆けとなるもので、「プロセスのガイドライン」はおそらくこれが初めてのものだろう。ガイドラインを作成した研究班の主任研究員を務めた田村正徳(埼玉医科大学総合医療センター小児科)はワーキンググループを代表して「後書き」で次のように述べている。

疾患や病態別の機械的な治療区分を期待してこのガイドラインをお読みになる医療スタッフは、「これでは私達の悩みは解決しない!」と失望されることでしょう。そのとおりです。私達は、重症障害新生児に対する治療の“疾患別の機械的振り分け“や“ステレオタイプなマニュアル化”をしないために、この「話し合いのガイドライン」を作成したのです。

彼はさらに、このガイドラインを医師の裁量権に対する不当な制約と受けとめる医師がいるのではないかと述べ、このガイドラインは「医療スタッフと両親の悩みの安易な解消や思考停止」を目的にしたものではなく、「医療スタッフと家族がこどものためにしっかり悩みながら話し合っていただくためのガイドラインです」と断言し、さらに「このガイドラインではその手順も示しましたが、この手順に従えば結論がすべて正当化されるわけではありません」としている。

「あとがき」にはワーキンググループのメンバーである仁志田博司(東京女子医科大学母子総合医療センター )、船戸正久(淀川キリスト教病院小児科 )、玉井真理子(信州大学医学部保健学科)がかなりの長文を寄稿している。これを読むと、新生児医療の現場で重篤な疾患を持つ患児がどのように扱われてきたのかがわかり、このガイドラインの立ち位置が、ある意味で必然的に生まれてきたものであることがわかる。

仁志田は、いわゆる「仁志田のガイドライン」の作成者であるが、論文作成の意図と背景について説明し、さらに論文が彼の予期しなかった使い方をされたことについて反省の弁を述べている。仁志田は治療方針をAからDの4つに分け、疾患を例示した。そのために、たとえば「18トリソミーなら治療しない」というような短絡的思考が広まっていった。だが、そのように解釈された責任が彼にあるとは言えないと思う。患児の個別性を無視して思考を停止し、疾患名と治療を短絡的に結びつける解釈した側にも大きな問題があるだろう。

玉井は過去に現場で感じた違和感から初めて、仁志田の意図、仁志田論文の元となったダフ論文について解説し、さらに医療現場での話し合いの重要性について述べている。12ページにもわたる論説である。田村や仁志田が、感情を抑えた書き方であるのに対して玉井は自分の感情をかなり率直に述べている。現場の気持ちが直接伝わる文章だった。

日本小児科学会は2012年に倫理委員会小児終末期医療ガイドラインワーキンググループの名前で「重篤な疾患を持つ子どもの医療をめぐる話し合いのガイドライン」(www.jpeds.or.jp/uploads/files/saisin_120808.pdf)を公表している。小児の場合、年齢によっては本人の意向が確認できない場合があり問題が非常に大きい。また、患児に保護者がいる場合、その意向が患児のためになっているのかどうか判断に困る場合があり、問題をさらに複雑にしている。保護者自身が加害者であったり、ネグレクトしていたりする場合があるのだ。

このガイドラインの特徴は、患児、保護者、医療者を平等に扱い、患児の人権の保護を第一に重視し、保護者の立場にも手厚い配慮をしていることだ。前文で「このワーキンググループでは、特に医師の一方的な目線に偏らない事に留意し、メンバー構成においても、小児科医以外に医療の専門家以外の委員も加えて検討を重ねている」としているが、ガイドラインの計画段階で決定された方針に従って人選したのだろう。具体的なメンバーは記されていないが、加部一彦(母子愛育会総合母子保健センター愛育病院新生児科部長・当時)を委員長とし、倫理学者の河原直人、法学者の辰井聡子、先天性四肢障害児父母の会の野辺明子などが参加していたようだ。

このガイドラインのもうひとつの特徴は、最後にいくつものチェックリストがついていることだ。

チェックリストは、医療従事者が子ども・父母(保護者)の意見や考えをチェックしたり、監視する事を目的とするものではなく、むしろ、医療従事者が自分たちの考えを押しつけたり、独善に陥ってはいないかを内省するために作成されたものである。子ども・父母(保護者)の立場が医療の現場で確実に守られていることをあらためて検証するためのツールとしても積極的に用いていただきたい。

このガイドラインは、以前に新生児医療における治療方針の決定に関する論文が形骸化されて利用されたこと(いわゆる「仁志田のガイドライン」)の反省を踏まえ、2004年の「重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン」の流れを受けて、基準を提供するものではないことを明確にし、話し合いのプロセスのガイドラインであることを強調している。基本方針は次のように述べられている。

子どもの疾患やその時々の状態は個別性が強いことに加え、現在の我が国において、生命維持にかかわる治療の差し控えや中止についての意見が多様であることから、現時点におけるこのガイドラインの基本方針は次の2点とした。
  1. 子どもの終末期を具体的に定義したり、また、生命維持に必要な治療の差し控えや中止の基準は定めず、ガイドラインに当てはめる事で、何らかの回答を導き出せるものとはしないこと
  2. 小児医療の現場では、治療方針の決定にあたり、子ども・父母(保護者)と関係する多くの医療スタッフが、子どもの最善の利益について真摯に話し合い、それぞれの価値観や思いを共有して支え合い、パートナーシップを確立していくプロセスが最も重視されるべきであること

さらに、このガイドラインでは、保護者や医療スタッフの感情的ストレスにも配慮している。これも大きな特徴だ。

父母(保護者)および医療スタッフは、自らの感情を表出できる機会を持つべきである。[ここ]でいう医療スタッフの「感情」とは、子どもの治療にかかわる際に医療スタッフの中に引き起こされる様々な情緒的反応を指す。特に怒りや悲しみ、無力感といったような否定的な感情が生じる場合、スタッフ間で、そのような感情を十分に自覚し、率直な話し合いと情緒的な支え合いを行っていくことが望ましい。このような感情を抑制したままでいると、子どもと家族に対して共感的に接することや、スタッフ間の協力関係を維持することが難しくなるためである。

小児医療の現場の空気が伝わるガイドラインだ。

日本透析医学会では、2014年に血液透析療法ガイドライン作成ワーキンググループと透析非導入と継続中止を検討するサブグループの連盟で「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」を公表した(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsdt/47/5/47_269/_article/-char/ja/)。

どのガイドラインも、その背後に作成した関係者の価値観や倫理観が窺われるが、このガイドラインも例外ではない。だた、その立ち位置はガイドラインごとに微妙に異なっている。

このガイドラインでの用語について、次のような記載がある。

この議論の過程で、非開始や継続中止という用語は原則的に「見合わせ」という用語を使用することとした。この言葉は、状況次第では何時でも透析の開始または再開を再考するという含みを持たせられるからである。また、導入という用語は、医療側からの一方的な判断による決定という印象が強いので、患者と医療者との共同決定という意味を込めて、「開始」という用語を使用することとした。

合田薫子らは、「中止」という語よりも「終了」という語がふさわしいとして、「延命措置の終了」というような使い方をしている。非開始は「見合わせ」とすることに異論はないが、継続中止は「終了」としたほうが良いように思う。

提言1は「患者への適切な情報提供と患者が自己決定を行う際の支援」であるが、患者教育の視点が強いように感じた。要するに、患者の価値観が医療者の価値観に近づくように教育するという姿勢を感じたのである。個々の医療者によって具体的な説明の方法は違うのだろうが、少なくともガイドラインを作成した側は、患者への充分な情報提供があれば、患者も医療者と同じ判断を共有できると考えているように思えた。

また、提言2は「自己決定の尊重」の尊重であるが、その第2項は次のように述べている。

現時点で判断能力がなくなっていても、判断能力があった時期に本人が記した事前指示書が存在する時には、患者が希望した治療とケアの方針を尊重する。
患者にすでに判断能力はないが、判断力があった時期で記載された事前指示書が存在し、そこに示された患者の治療とケア方針について、家族が納得しない場合、医療チームは、患者の意思決定が尊重されるべきものであることを家族に繰り返し説明し、合意が得られるように努力する。どうしても、合意が得られない場合には、複数の専門家からなる委員会で検討してもらい、その委員会からの助言に従う。
維持血液透析開始あるいは継続によって生命が維持できると推定できる患者が自らの強い意思で維持血液透析を拒否する場合には、医療チームは家族とともに対応し、治療の有益性と危険性を理解できるように説明し、治療の必要性について納得してもらうように努力する。これらの努力を行っても患者の意思決定が変わらなければ、患者の意思決定過程を理解し、その意思を尊重する。

患者の事前指示書を尊重する態度は、日本老年医学会のガイドラインと根本的に異なっている。日本老年医学会のガイドラインが、人の考えは揺れ動くことを前提として作成されているのに対し、日本透析医学会のガイドラインは、患者が透析中に自分の行く末について熟考する時間が充分あるはずと考えているのだろうか。

このガイドラインの特徴は、同意書の取得に重きを置いていることだ。提言3として「同意書の取得」を取り上げていることからもわかる。透析治療の「終了」には、それが本人の意思であることの証拠が必要であるとの考えからだろう。本人が癌の末期であったり高度の認知症であったりすれば、証拠が必要なのかもしれない。家族の免責にもなるのだろう。しかし、本人がしっかりしているのなら、透析治療の終了は透析に行かないだけで達成できることであり、同意書の必要性はそれほど高くないだろう。

日本老年医学会は2012年に「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン — 人工的水分・栄養補給の導入を中心として」(http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/info/topics/pdf/jgs_ahn_gl_2012.pdf)を発表している。このガイドラインの特徴は、ガイドライン作成ワーキンググループの4人中2人が倫理学者だということだろう。具体的には清水哲郎が責任者を務め、メンバーとして会田薫子が参加している。医療のガイドラインを倫理学者が中心となって作成したのは、現在のところこのガイドラインが唯一である。

このガイドラインは方針を提示するものではなく、医療者が個別の症例について自ら考えていく上での「道案内」であることを明確に述べている。さらに「本ガイドラインの性格と構成」では次のように述べる。

AHN[引用者注:人工的水分・栄養補給法のこと。自分で水分や食物を摂取できない患者に対する、胃瘻、点滴などすべての水分や栄養の投与法を含む]導入に関するガイドラインとしては、医学的妥当性を確保するためのものも考えられるが、ここで提示するのはそういう性格のものではなく、倫理的妥当性を確保するためのものである。そして、倫理的妥当性は、関係者が適切な意思決定プロセスをたどることによって確保される。加えて、適切な意思決定プロセスを経て決定・選択されたことについては、法的にも責を問われるべきではない。

経口摂取ができなくなった患者に、AHNを行なうことにも行なわないことにも倫理的ジレンマが生じる。倫理学者を中心に据えたのは画期的なことであったが、まさに的確な人選だったと言えるだろう。

このガイドラインは倫理学者が作成したものらしい、患者に寄り添う柔らかいものとなっている。最初に掲げられている方針は次のようなものである。

医療・介護・福祉従事者は、患者本人およびその家族や代理人とのコミュニケーションを通して、皆が共に納得できる合意形成とそれに基づく選択・決定を目指す。

まず、関わる人びとのコミュニケーションがあり、合意の形成がある。コミュニケーションの重要性を強調する項目として次のような項目がある。

1.5 本人の表明された意思ないし意思の推定のみに依拠する決定は危険である。そこで、これと本人にとっての最善についての判断との双方で、決定を支えるようにする。また、あくまでも本人にとっての最善を核としつつ、これに加えて、家族の負担や本人に対する思いなども考慮に入れる。

本人の意思表明だけでは決定に至らない。これはAHNが緊急に必要とされる事態があまりなく、決定まで時間的余裕があることが普通だからだろう。コミュニケーションにより、本人の隠された意図が明らかになったり、死後に残されることになる家族のトラウマが減少することが期待されているのだろう。

全体を通読すると、いろいろ考えさせてくれるなかなか「味わい深い」ガイドラインである。

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