阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2017年07月

宮本太郎『生活保障—排除しない社会へ』(岩波新書)を読了した。宮本は比較政治、福祉政策を専門とする政治学者で中央大学法学部教授である。宮本は2009年の春に当時の麻生内閣のもとで設置された「安心社会実現会議」の委員であり、この本の内容は同会議の報告書の趣旨と重なることが多いという(211ページから212ページ)。だが、この本は2008年末から2009年夏にかけて執筆され、2009年秋に出版されたもので、報告書を書き直したものではなく、逆に、部分的に報告書に先行するものである。報告書の趣旨と重なることが多いということは、宮本が委員会で強い影響力を持っていたということだろう。

この本で使われている「生活保障」という語は、一般的なものではないらしい。宮本は「雇用と社会保障を包括する鍵概念(225ページ)」として使っている。生活保障の2つの機能として彼が挙げるのは、「生活資源の確保」と「生きる場の提供」である(223ページ)。この本を読んで、なぜ雇用と社会保障を一体として考えなければならないのかがよくわかった。社会保障で生活を支えても、雇用が安定しないようでは生活資源を自分で確保することが困難となり、生きがいも見つけることができない。

この本では、日本の社会保障と雇用について、歴史的経緯とともにその構造の特徴を説明している。全体が関連して描かれており、今まで事実や制度の集合体としか見えていなかった日本の社会が、すっきりと整理されて理解できた。宮本が社会を捉える捉え方は、私の今までの捉え方と大きく違っていた。宮本のように社会を構造として理解している人は、政府の政策や政党の政策案を、私とはまったく違ったしかたで理解していたのだろう。ある意味で、私と宮本とでは、同じものを見ているのに、まったく違ったものとして見ていたのではないだろうか。この本を読むことで、私の社会に対する理解が深まったように思う。

たとえばこの本では、日本ではなぜ非正規社員の賃金が低いのか、日本の生活保護の欠点は何か、などの問題に明快な解説がされている。日本の社会を見つめ直し、理解を整理することができたことは私にとってとてもよかったことだ。

河合薫の連載「新・リーダー術 上司と部下の力学」に2017年5月30日に掲載された「がんに勝ったのに生活破綻、そんなのあり?!」(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/052600106/)では、癌患者が置かれた経済的苦境について、会社、政府、政治家を批判している。

登場するのは3年前に余命1年と宣告された膵臓癌患者(女性)だ。「医師が驚くほど抗がん剤が効いてしまった」とのことで、当初は副作用もほとんどなく、現在も治療を継続している。現在は体調に波があり、ときに起きられないことがあるだけでなく、足に痛みを抱えて長く歩くのも厳しく、杖を使っている。

治療の費用がかさむが、6年間契約社員として勤務した大手企業は治療に入る前に解雇された。

検査で休む必要があったので、上司に『がんの疑いがあり検査をしている』と上司に伝えたんです。そしたら『仕事を辞めて治療に専念しろ』と。事実上の解雇です。
でも、それ以上にショックだったのが、退職にあたり朝礼で挨拶をしたいと申し出たら『みんなが動揺するので挨拶はさせられない』と断られたことです。
私はがんで辞めると言うつもりも無く、ごく普通のご挨拶がしたかっただけなのに…。

日本では、医療者の間であっても、癌を隠す傾向がまだある。癌患者だからといって露骨に差別されることがない職場でもそうだ。だから癌を隠すのは、不利な扱いを避けるためではなく、癌が忌み物であるからなのだろう。私たちの心の中に、癌という言葉を口に出すのをはばかる「こだわり」があるのだと思う。

だがそのために患者は職場から排除される。彼女は治療費と生活費を得るために仕事をしたいが、病院にいる癌患者就労支援のためのキャリア・カウンセラーに相談すると、「私の状況では『就職するのは無理』だと」言われた。

治療費を稼がなきゃならないのに、無理だって言われてしまったんです。
まるで『病院に来るな』って言われてるような気がして。目の前が真っ暗になりました

今、彼女は生活保護を申請しているそうだが、「がん患者って、申請するのに最初の一歩でつまずくと、なかなか生活保護受給に至らないんです」とのことで難渋した。

家賃ももっと安いところに引っ越さないとこれ以上は無理。とはいえ、引っ越す費用もありませんから、とにかく必死でがんばって、どうにか申請までこぎ着けました。

自民党の大西英男が「がん患者は働かなきゃいい」と発言したことがこの記事のきっかけになっているようだが、働かなくて済むものなら、困る人は少ない。質の悪い議員を選んでいるのは質の悪い選挙民であるという事実は、私に絶望感を抱かせる。

ウェブマガジン「日経ビジネスオンライン」に河合薫が「新・リーダー術 上司と部下の力学」を連載している。河合についてはあまり多くを知らない。つい最近までコンサルタントのような職業だろうと思っていたが、当たらずとも遠からずかもしれない。健康社会学の博士課程を修了して保健学博士を取得しているとのことだ。

連載のタイトルはいかにもビジネスコンサルティングのようであるが、最近の記事は社会の矛盾に対する怒りを表明しているものが多い。2017年4月4日に掲載された「転勤を命じた相手は、親を介護する52歳の元上司」(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/033100099/)では、介護について、企業の対応、政府の無策を批判している。

取り挙げられている話は52歳の年上の部下を持つ48歳の課長職の男性の話だ。この部下は、以前彼の上司であったが、「昨年ラインを外れて、部下になった」のだ。

なので、人事から彼の転勤を打診されたときは、正直ホッとした。関係が悪いわけではなかったんですが、やはり難しい部分もあって。彼も僕が上司だとやりづらそうだったので、彼にも転勤は朗報だと思いました。
ところが、『親の介護があるので、転勤は勘弁して欲しい』と相談されて。どこに配属されてもいいから、転勤だけは勘弁してくれと泣きつかれてしまったんです。

部下は数年前から父親の介護をしており、妻ひとりに任せることができないと言う。彼は上長に相談したが、当然受け入れらなかった。

彼の会社では50歳以上の社員はお荷物なのだという。そこで、まず転勤させ、その後に賃金を減額して働き続けるか退職するかを選ばせるのだ。表向きは「賃金維持で転勤や出向も受け入れる」という選択肢があることになってはいるが、それを選んだとしても本社には戻れない。

そんなことしたら、恐らくもっと遠隔地に飛ばされます。実際には追い出し部屋みたいなものです。社内には『定年までイキイキ働こう!』とかポスターが貼ってあるんですけど、なんかブラックジョークですよね

実はその男性自身が、将来の介護不安を抱えている。

僕の両親はまだ元気ですけど、妻には『あなたの親の下の世話はできない』って、宣言されている……。だから他人事じゃないんです。一方で僕は、かつての上司に肩たたきをしてる……。なんか自分に嫌悪感ばかりが募っています

河合は政府の資料を示して、介護に関する政策が非常に貧弱であることを指摘しているが、それをここで繰り返すこともないだろう。河合が指摘するとおり、政府の戦略は「家庭」を中心とした制度の整理にある。自由民主党の憲法草案が家庭を中心に据えたものであるのと何らかの関係があるのだろうか。だが、そうであればひとり家庭は立ち行かなくなるし、親ひとり子ひとりの世帯も社会保障制度からはじき出されてしまう可能性がある。

ウェブマガジン「JBPRESS」に2017年6月14日に掲載された、鎌田實「福島で増え続ける甲状腺がん、意図的隠蔽かも—私たちは何かに支配されやすい、だからこそ支配されない体質を作ろう」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50244)について書きたい。鎌田は諏訪中央病院名誉院長で、現在も医師として国際的に活動しているだけでなく、多くの著作がある。

甲状腺癌は非常によく見られる疾患である。米国の癌専門誌に、1949年から2007年までの35編の論文に記録された12,834件の病理解剖の結果のメタアナリシスが掲載されているが、それによれば、解剖体の11.2%に甲状腺癌が見つかったという(L Furuya-Kanamori, et al. J Clin Oncol 34: 3672-3679, 2016. http://ascopubs.org/doi/full/10.1200/jco.2016.67.7419)。つまり、米国では10人にひとりが甲状腺癌を、それとは気付かずに持っていることになる。

人種差があるだろうと予想されるので、これがそのまま日本人に当てはまるわけではないが、日本人でも10%台の報告が多い(古い論文だが、たとえば、高橋真二、日本内分泌学会誌, 45: 65-79, 1968、坂本穆彦、癌の臨床, 28: 106-110, 1982)。

甲状腺癌のほとんどを占める乳頭癌は進行が遅いことが多い。したがって発見されたときに、それがいつ頃からあったものなのかを推測することはできない。子どもに甲状腺癌が発見されても、もしかしたら大人になるまで悪さをしないかもしれない。それは放置してみなければわからない。

福島の子どもたちに対して甲状腺の検診をしており、ときに癌が見つかっている。しかし、福島に多いのかどうかは、他の地域についても子どもの甲状腺検診をしてみなければ、比較はできないというのが私の基本的スタンスである。

だが、この鎌田の報告を読んで、福島県と福島県立医大は事実を隠蔽している疑いが濃厚であると考えた。福島県の検診は、いったん「経過観察」とされた子どもをフォローアップから外してしまった。

福島の事故当時4歳だった甲状腺がんの子供は、県内の他の専門病院でフォローされていたのかとぼくは勝手に憶測していたが、実際には検査も手術も福島県立医大で行われていた。
検討委員会の中心的役割を担う病院である。
この症例に関しては、単に報告が遅れたという不注意ミスではなく、「不都合な真実」だった可能性がある。
しかもこのほかに、甲状腺がんの確定診断が下されている5人の子供が、甲状腺がん152人の中に入っていない可能性があるという。事故当時4歳の子供ががんになっているのは重要なファクトだ。

おそらく、東京オリンピックを控え、できるだけ早く放射能汚染に幕を引きたいのだろう。だが、外国からの信頼も、国内の信頼も、得るためのいちばんの近道は正直であることだ。事実の隠蔽やずさんなデータ操作をおこなうようでは、かえって信用を失うということがわからないのだろうか。

私は、医師が一般の労働者と同列に扱われる傾向は、今後ますます強まっていくと思う。医師の特権階級への返り咲きが許されることはありえないだろう。だが、医師の労働を一般の労働と同じに扱うなら、社会は医療の質の低下を甘受しなければならない。ここで言う「医療の質の低下」は、医学的レベルの低下だけではなく、アクセスの悪化も含んでいる。夜間勤務する医師が確保できなければ夜間救急はおこなえない。休憩時間を確保しなければならないなら、昼休みには外来を閉じなければならないし、休憩時間にはPHSのスイッチを切らねばならない。ただし、これは厳密に言えば「質の低下」ではない。質が低下するのは研修時間が短縮するためである。

今書いたようなアクセスの悪化が「非現実的」であるとは、私は思わない。実際にヨーロッパなどの先進諸国でもおこなわれていることなのだ。たとえ窓口に人が並んでいても、時間になれば窓口を閉める。文字入力が単語の途中であっても、時間が来ればそこでやめて帰る。それが当たり前の国もある。

それではあまりにひどいと、医療の提供側も受療側も合意するのであれば、医師の労働は一般の労働と違うということに合意できるだろう。もっと広く言えば、医療という業種は他の業種と異なると認めることができるだろう。

医師の労働をどのように扱えばいいのかについて、私に名案があるわけではない。だが、過労死を避けることと、好きなだけ仕事に打ち込むことが両立できる制度であることが望ましい。

ひとつには定額給与制をやめることが考えられる。毎月の給与交渉は非現実的なので、年俸制にして、毎年労使で合意するようにする。すでにそのようにしている医療機関もある。評価基準を年度当初に合意してあれば、対立や紛争が生じることは少ないだろう。

別の方法として、医師の裁量権あるいは自己管理権を認めることが考えられる。公的機関に医師自身が申告した場合は、労働基準法の規定が緩和されるという制度はどうだろうか。医師自身が自由意志で申告することが重要で、使用者からの強制があってはならない。医師はいつでも申告を撤回・変更をすることが可能であることにすれば、一般の労働者と同様に扱われることが保証される。

だが、医師が他の職種の労働者と同様に扱われる傾向が進むかぎり、自分の生活を犠牲にしてまで研鑽を積もうという医師は減少するだろうから、平均的な医師の「ウデ」が落ちていくことは防げないだろうと思う。それは良い悪いを超えた「医療のあり方の変化」だ。

投稿のタイトルを「臨床研修と労働」としたが、実は医師の仕事はすべて労働であると同時に研修でもある。つまり、臨床研修と研修終了後の労働を厳密に分けることはできない。

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