阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2017年06月

医療費削減策の一環として医薬分業と後発医薬品(いわゆるジェネリック)導入が推進されているが、著者らは効果に疑問を投げかけている。

調剤薬局が大きな利益を上げていることは、一時話題になった事実である。厚生労働省がそれを問題視している可能性があることは、在宅療養支援診療所の制度が設けられた際に、24時間対応の薬局がほとんどなかったことからもうかがわれた。在宅療養支援診療所は24時間の対応を求められているのだから、提携する薬局も24時間対応とするか、院内処方で薬を出すしかない。実質的な院内処方への誘導策で、医薬分業を見限ったのだと言われたものだ。

医薬分業が進めば、外来での薬代(入院外薬剤料)が調剤薬剤料にシフトするはずなので、入院外薬剤料は減るはずであるが、入院外薬剤費も実際には上昇している。著者らは「調剤薬剤料の増加の原因は,医薬分業だけではないはずである(147ぺージ)」と述べているが、これは医薬分業が調剤薬剤費を押し上げる要因のひとつであると暗に伝えるものだ。

後発医薬品の効果についても分析し、「ミクロレベルでの効果は明白であっても,調剤医療費については医薬分業その他の要因による増加を打ち消すほどの効果はないということになる(152ページ)」と結論づけている。ここで言う「ミクロレベルでの効果」とは、患者が負担する薬剤費のことだ。単価の低い薬を処方するのだから、薬剤関連の費用が減少するのは当然だろうと思うのだが、数字によれば調剤医療費は減少していない。ただ、医薬分業が調剤医療費を押し上げるメカニズムについては分析がない。

この本で繰り返されるのが、医療費適正化の方策として「魔法の杖はない」という言葉である。「こうすれば良い」という単一の方策はない。したがって、著者らが言うように、まず理念を定め、それに従って臨機応変に政策を立案し実行していくというのが、もっとも望ましい方針ということになる。

現在の医学部定員は、2003年から2007年にかけていったん抑制された後、2008年の閣議決定以降、毎年増員されている(196ページ脚注)。さらに最近、医学部が2つ新設された。著者らは医学部定員が増加したまま推移することの問題を指摘している。

このまま医学部定員が増えたまま推移すると,日本の人口および患者数が大きく減る2035年以降には,深刻な医師過剰問題が起きるからである。OECD諸国の人口対比で医師不足を指摘する声もあるが,分母の人口数が減少するため,医学部の定員を削減しても,その意味での問題は生じない。(196ページ)

だが、もちろん医師偏在を放置したままで定員を削減しようというわけではない。医師の偏在管理政策としては、地域別定員制を提案している。ひとつは医学部受験の際の、いわゆる地域枠を存続させることを基礎とするもので、もうひとつは地域単位で診療科別の保険医定員数を設けるというものである。保険医定員制は過去に検討されたことがあるのだそうだ。

[保険医定員制は]1952年に健康保険組合連合会第一分科委員長で,ときわ通運健康保険組合の倉品宝重氏から提起された。つまり保険者サイドから提案されたものである。[中略]この提案を受けて,厚生省(当時)でも検討が進められ,上述した1957年3月の健康保険法改正で,入院承認制度と二重指定制度に加えて,保険医定員制も導入されることになった。(198ページのコラム)

この法改正は審議未了と再提出を繰り返した後、3度目の再提出で成立したものだった。医師の反発は強く、4月には改正案を受け入れた当時の日本医師会執行部が不信任となり、武見太郎が会長に選出された。

武見会長は,就任後すぐに神田博厚生大臣に要求し,3月に成立した健康保険法改正の政省令の原案を入手して,[ブレーンと]相談しながら,修正案をまとめた。(6ページのコラム)

武見は療養担当規則の該当する条文をすべて削除させることに成功し、みごとに法改正を骨抜きにしたのだ。武見はこの交渉を「暁の団交」と呼んだのだそうだ。

以後,厚生省内で保険医定員制が検討された記録は見当たらない。こうして保険医定員制の導入は立ち消えとなったのである。(198ページのコラム)

一度ボツになった制度を再検討するには、再検討しなければならない理由が必要だ。場合によっては過去の過ちを認めねばならない事態に陥ることもある。役人は、過去にしたことをすべて正しかったと考えたがるものだから、あえて火中の栗を拾うようなことはしないのだろう。

この本で「理念」が登場するのは第9章(206ページ)になってからで、全体の約5分の4を過ぎてからだ。それまでは、医療費に影響を与える要因の探索と評価、今までの医療政策の効果の検証がおこなわれる。それについてもここで述べておきたい。

医療費と密接に関連するのが医師数であることが解析により示されている。もちろん「そもそも医師がいなければ,患者は診断されず,病気として判断されることもない。病床がなければ入院医療も生じない。したがって,医療費も発生しないということになる(70ページ)」のだから、医師が減れば医療費は減る。だが、医師が増えても医師が余るだけで、かならずしも医療費が増えるとは言えないのではないか。この疑問に対し、著者らは「供給誘導需要」が起こると指摘している。つまり供給側の医師のほうが需要を「掘り起こす」のだ。

病床数にも同様の効果がある。

アメリカでは,当初病床数と入院受診率との相関を問題にした「作られた病床は埋まる(A built bed is filled bed)」(レーマーの法則)を根拠に,地域医療計画,高額診断機器等の必要性証明制度などが整備された。その後,供給誘導需要の議論は医師による供給誘導需要の議論として展開された。(81ページ)

米国では医師による供給誘導はそれほど大きくないと結論されたらしいが、日本の場合「中医協における議論を詳細に追っていけば,実務は供給誘導需要の存在とその大きさを当然の前提にしているとも言える(85ページ)」というのが著者らの分析である。

そこで、当然のことながら医師数を抑制することが必要だとの結論に至る。

著者らは医療費の無料化に明確に反対している。

無料化は一部の者に一方的に過剰な負担を強いることを認めることにつながる。自己負担無料化政策は,コスト意識を当事者から失わせるだけでなく,高額な負担を強いられている国民の自由を軽視するというメッセージにつながる。
現在生活保護対象者や一部の障害者,難病を抱える者,特定の低年齢の者(未就学児)やさらに就学児の自己負担を無料化する政策があるが,これは原則禁止にすべきであろう。(249ページ)

だが、給料日前に現金が100円しかないというような貧困世帯が現に存在することを考えると、子どもの医療費を無料としない制度には抵抗感がある。実際に、子どもの医療費が還付制(いったん窓口で支払って、後から手続きするとかえってくる)になっている自治体では、貧困家庭の子どもの受診が抑制されている。

出生率が低下する中、すべての子どもは貴重な存在なのだ。健やかに育った子どもは、将来の医療費も少なくて済む。良き納税者になる確率も高いだろう。子どもには「社会から大切にされている」という実感を与えたい。医療費が無料になったからといって大切にされていると思うかどうかはわからない。もしかしたら「タダは当然」と思ってしまう子どももいるだろう。だが、それでも良いと思う。いつか「なぜ子どもは無料で医療が受けられるのだろう」と考える日が来る。

もちろん、すべての医療を無料にする必要はない。怪我、中等度以上の感染症などに限っていい。ちょっとした風邪なら病院にかかる必要はないのだから、かかった場合に無料にする必要はない。ただ、風邪を引いていて少々熱があっても保育所が預かるような体制を整えるべきだろう。風邪で子どもを医院に連れて来る母親の訴えでよくあるのが「熱があると保育所が預かってくれないので、仕事に行けない。熱の下がる薬が欲しい」というものだからだ。

先の2つの理念で保証されるのは救命医療を受ける機会である。救命医療以外の医療は患者の自立を促すためのもので、著者らは「自立医療」と呼んでいる。第3の理念では「個々人の自立支援のための自立医療は、他者の幸福追求の自由とバランスを取るべき」としている。さらに議論の別れるところだろう。著者らは次のように述べる。

医療費は天からの贈り物(マナ)ではなく,皆の拠出した保険料と現在および将来世代の税金で賄われているということを忘れてはならない。(251ページ「おわりに」)

さらに次のようにも述べる。

本書の理念は,国民一人ひとりの自由を尊重することから出発している。公的医療保障は,国家権力を用いて誰かの経済的自由を制限することで確保した税金や社会保険料で賄っている。(249ページ)

したがって自立医療については利用者の負担が大きくなる。では、自立医療の負担に耐えられない貧困家庭はどうするのか、また、自立医療の効果が見られない人にも自立医療を提供し続けるのか。それについての議論はない。この本は医療費に関する本であり、社会保障費全体を扱う本ではない。だから、そのような議論が欠けていることを責めることはできない。しかし、自立医療の供給についてしっかりした考えを示さないなら、この第3の理念をそのまま受け入れることは難しいのではないか。それこそ自立医療に関する「理念」が必要である。

財政危機が深刻化したり破綻したりした場合、この自立医療について負担割合を上げたり、供給量を制限したりするのはやむをえないだろう。だがその場合「皆が少しずつ困難を分け合う」というのが良いと私は思う。金さえ払えば際限なく受けられ、金がなければまったく受けられないという医療では困る。他人が味わっている困難の量を比較することはできないから、「分け合う」といってもかなり感覚的なものになってしまうかもしれないが、格差を少なくしようと努める運用が優れた運用だと思う。

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