阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年12月

岸本和裕『ほんまもん—未来を変えるために私がしていること、きみたちにできること』(健康ジャーナル社)を読了した。岸本は福島県の総合病院に勤務する皮膚科の医師である。

岸本は福島県の皮膚科医療は崩壊しているという。皮膚科医が非常に少ないことに加えて、「皮膚科医の質が低い(236ページ)」と言い切る。彼自身は必死で働いて、少しでも多くの皮膚科患者を治療しようと奮闘しているが、もちろんひとりの医師の力でどうにかできるものではない。そこで、一時は若手医師の教育に力を注いだのだが、彼によれば皮膚科を選択する理由自体が「楽な科に行きたい」であることが多いそうで、結局、教育しても地方医療の過酷な現場に飛び込もうという医師は出現せず、彼の努力が空回りすることになった。だから彼は皮膚科医を育てることを止めた。
私は考え方を変えました。皮膚疾患患者さんを「笑顔」にするという「目的」を達成するのは「誰」でもいいと。「誰」が担当するかは「手段」に過ぎないのですから。
そもそも皮膚科医だけが担当する必要なんてないのです。内科医、小児科医、看護師、薬剤師などの医療人が担当してくれるのならそれでいいじゃないかと。(235ページ)
彼は大学でも講義を担当しているが、看護学校などでも講演し、患者の「涙」を「笑顔」に変えるのが本当の医療であると、医療人としてのあり方を話している。会社の新人研修でも講演し、自分のなすべきことは何であるのかを見失わない生き方を説いているようだ。そして、講義で伝えられる人数には限界があることを感じ、講演内容をまとめてこの本を執筆した。それだけに止まらず、彼は著書を主要な医療機関に配布したのだ。私がこの本に出会ったのは、勤務先に送られてきた本が回覧に回されたからだ。

この本には岸本の情熱が詰まっている。この本を読んで感じたこと、考えたことを書いていきたい。

心の問題は、存在することがわかっても、それを直接伝えたからといって治るものではない。かえって悪化することすらある。記事の筆者たちが、心の問題の存在を認めたのは、患者の症状が軽快したからだろう。症状が持続している間は、心の問題を指摘されると「気のせいだ」と言われたような気がして、傷ついたり反発していたりしたのだ。だから、林は心の問題は取り上げず、体の問題を治療することにより心の問題が自然に解決されるのを期待したのだろう。

メールマガジンの編集者である上昌広が、これらの投稿を配信した理由は明らかではない。しかし、投稿の共通点こそが彼の訴えたかったことではないか。HPVワクチンについて注目している上は、いわゆる「副反応」が、純粋に身体的な現象ではなく、精神的な変化も含んだ非常に複雑な現象であることを訴えたかったのではないか。

筆者らが匿名であることも意味深長である。以下に述べることは私の推測にすぎない。事実とは異なる可能性が低くないことをあらかじめ断っておく。
  • 推測:筆者らは「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」に関係している。連絡会は副反応をワクチンに含まれる化学物質の薬理作用で説明しており、その立場から国にも訴訟を提起している。副反応に心因反応が混ざっているとなると、その部分は「自分たちのせい」になってしまうので、国の責任が不明確になり、訴訟にも悪影響が出る。副反応の症状に精神的要素を認めることは絶対にできない。もし筆者らが認めたことがわかれば、連絡会から脱会せざるをえなくなる可能性がある。また、筆者らが実名を公表すると、マスコミの取材や、患者家族からの問い合わせで生活が乱される可能性がある。
私は患者たちの治癒過程に非常に強い興味を持っている。これは、HPVワクチンに関する問題に関心のある医療者なら当然のことだろう。林は「医療国家資格を有する治療家」として紹介されている。医療者であれば自分の得た知識を公表する責任がある。林の投稿を待ちたい。

医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」で、昨日紹介したVol.278に引き続き、2016年12月23日にもVol.283として(ペンネーム)前澤圭、礼子「ヒトパピローマウイルスワクチン接種後に起きた娘の体調悪化とその回復について」が配信された(http://medg.jp/mt/?p=7222)。このメールマガジンで同様のメールが続けて配信されることは珍しい。両者ともテーマがHPVワクチンであり、接種後の体調悪化とその回復があり、筆者が匿名という共通点がある。

Vol.283で取り上げられた症例も女性で、年齢は明らかにされていないが、思春期の少女のようだ。HPVワクチン接種後3年経ってさまざまな症状が出始め、その後数年間増悪していった。当初は微熱、倦怠感、頭痛、めまい、動悸息切れなどであったが、その後「手首や膝関節が痛み始め、次第に体全身の痛みに悪化しました。痛む場所も毎回異なり、常に中等度の痛みを感じており、日に何度か来る発作的な強い痛みの時は、苦しんだ後に気絶するほどでした」という。慢性疲労症候群、線維筋痛症、自律神経の異常などを疑ったが改善しなかった。最終的には西岡久寿樹が「遅延型の子宮頸がんワクチン副反応」と診断したが、治療法は無いと言われたそうだ。

彼らが同様の患者のブログで見つけたのは、Vol.278にも登場した林たちである。両記事の共通点として、林という人物が加わることになる。林は施術台の患者を時間をかけて診察した後、摂るべきでない食材、摂るべき栄養素を細かく指示したという。
食事のアドバイスに従い、指示されたサプリメントを摂り始めると、まもなく効果が感じられました。これまでは食べると気持ち悪くなる事が頻繁にあったのが、3食しっかり食べられるようになりました。[中略]娘の様子からは、治療の効果が出ている事がよく分かり、作る私にとって、[制限された食材の範囲で食事のメニューを考えることは]とてもやり甲斐のある事でした。
体調は徐々に回復した。
それまで服用していた薬は、処方した医師の指導の元で徐々に減薬していくことが出来ました。そして、3回目の治療家の施術の時には症状が無くなり、徐々に制限食材の解除を始めました。4回目の施術の時には、何でも食べてよい、と言われました。
患者が回復した今、筆者たちは過去を振り返り、「多かれ少なかれ心の問題もこの病態には関係していたのではないか」という。

医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」で2016年12月17日にVol.278として配信された、(ペンネーム)二宮ゆい「ヒトパピローマウイルスワクチン接種後の症状から回復して」について書きたい(http://medg.jp/mt/?p=7209)。ヒトパピローマウイルスワクチンとは、いわゆる子宮頸癌ワクチンである。
娘は、接種半年後から下痢や便秘、強い倦怠感、睡眠障害、抑うつ症状、不安、いきなり暴れだす、心臓周辺の痛みといった症状が出始めました。多岐にわたる症状に、どの科の診療を受けたら良いのか分からず狼狽えました。

内科、心療内科、整形外科、小児科などを受診し、X線検査、リウマチの血液検査、心理テスト、24時間心電図など受けたが異常はなかった。「次第に倦怠感が強くなり、楽しく通っていた学校でも体育は見学が多くなり、保健室に担架で運ばれることが増え」たという。

その後、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会の会長とソーシャルメディアで繋がる機会があり、「藁にもすがる気持ちですぐに入会」した。そこで他の会員から柔道整復師を紹介され、受診したところ「初回の治療後すぐに、それまで長期間苦しんでいた痛みがとれて」しまったそうだ。治療開始後1年半ほどで症状はほぼ消えたようだ。
娘の症状がほぼ消えて、治療も必要なくなった頃、林先生[引用者注:柔道整復師]に「あなたのお子さんの症状は心因性の要因もありますよ」と言われました。それまでも医療機関で暗に「気のせい」扱いされたように感じ、さんざん嫌な思いをしてきた上に、治してくれた林先生にまでその言葉を言われ、初めはショックでした。ただ、「症状が消えてもまた出るかも」、「この症状はワクチンのせいだ」というようなことを娘の前では言わないように指示されていたことを振り返ると、もうずいぶん前から心因性の疾患としての治療も受けていたように思えるのです。

筆者はワクチンに対する恐怖感が植えつけられてしまい、西洋医学に対する信頼も失ったと言うが、ことの当否は別問題として、ある意味では当然のことだろう。だが、症状が消えたのは何よりも良かったし、柔道整復師の言葉をそのまま公表したのも、非常に良いことだったと思う。

まつもとゆきひろ監修『ネットを支えるオープンソース―ソフトウェアの進化』(角川学芸出版)を読了した。まつもとはコンピュータ言語Rubyの作者である。参考のために目次を示す。
第1部 プログラミングがすべてをつくった
  • 序章 インターネットはソフトウェアでできている
  • 第1章 インターネットを支えるソフトウェアを知る
  • 第2章 プログラミングとは何か
  • 第3章 プログラミングと教育
  • 第4章 ハッカー精神とは何か
第2部 オープンソースが高めたネットの価値
  • 第5章 ライセンスというプロトコル
  • 第6章 オープンソース化が生んだ変化
  • 第7章 企業とオープンソース
初心者向けの本として、いろいろな工夫がしてある。プログラミングの具体例をなるべく示さずにプログラミングのさまざまな概念を伝えようと試みていることもそのひとつだろう。しかし、本を縦組みにしたのは無理があると感じた。IT系の内容では、アルファベットが多用されるが、そのほとんどが縦書きなのだ。私は最後まで慣れることができなかった。

共感を持った文がいくつかあった。プログラミングに文章を書くことに似た面があるというのは同感だ。以下はいずれもまつもとの言葉である。
性能や機能はまったく変わらないのに、読みやすさのためにソースコードを書き換えるということも、プログラマーは頻繁に行っているものである。(039ページ)

ソースコードには、数学や建築物が美しいというときと同じ美しさや、流れるような美しい文章というときと似た美しさが宿ることがある。よく書けたソースコードは、ほかのプログラマーを感心させ、感動さえさせる。ソフトウェアは本質的に複雑な構築物で、それを美しく仕上げるという営みは工芸や芸術にも似た面がある。(042ページ)

第3章「プログラミングと教育」では、日本のIT教育政策が批判されている。教員のスキル不足だけではない。そもそも技術科の教員が常勤していない学校もある。私の知っている公立学校では、高性能のパソコンとソフトウェアが整備されているが、教員が使いこなせていないことが生徒からでもわかると聞かされた。授業時間数も不足している。
このような状況の中にあって、先に紹介した政府の「世界最先端IT国家創造宣言」が実行に移され、初等教育段階からのプログラミング教育が義務化されると何が起こるだろうか。中学の技術・家庭科の状況にも増した混乱が予想される。はたして、ICT支援員制度の拡充で対応できるかどうかの疑問もある。(143ページ)

第3章の著者(阿部和広)は「プログラム嫌いの子供を増やすだけではないかと危惧される(143ページ)」と述べているが、嫌いにはならないまでも、教育の効果が上がらないのは確実だろう。

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