阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年11月

著者は、ヒトに近縁な種も第二の遺伝システムを持っているかどうか考察している。アフリカのチンパンジー研究では、「持っていることをうかがえる気配は、いくらかある(253ページ)」という。チンパンジーの集団ごとに、独自の行動特性を複数持っているのだ。
このような違いは、単純に生態学的な観点や遺伝学的な観点からは説明できない。飼育下の集団で行動が社会的に広がることはわかっているため、現在では一般に、野生の集団間で行動のこうした多様性が見られるのも、少なくとも一部は社会的に維持されている伝統だからだという考えが受け入れられている。言い換えれば、チンパンジーは一種の文化を持っているということだ。(253ページから254ページ)

第二の遺伝システムを強力に支えるのが、ヒトの成長パターンだ。生物界では異例のパターンと言える。ひとつには、生殖年齢を過ぎても生き続け、孫の生育に関わり、文化を伝達すること、もうひとつは思春期の存在だ。
動物の生活環では一般に、成長が最初は著しくてのちに遅くなるという特徴がある。だがヒトでは、小児期に成長速度が緩やかになった状態が何年も続いたあと、思春期に再び骨格が急激に成長するのが特徴だ。[中略]

脳の大きさや基本的な構造は、ヒトでは若年期までに整うが、思春期の期間を通して皮質灰白質は薄くなり、白質が増加する。脳のこうした変化に沿うように、思春期の若者の心は次第に行動を制御できるようになる。すなわち、意識を集中することがうまくなり、自制ができるようになり、誘惑に抗えるようになる。[中略]大人レベルの制御力は、思春期が終わるころ、つまり肉体的な成長が終わるころに達成される。(324ページ)

ヒトは成長、成熟を遅らせ、子宮外で成長する期間を延長することによって、第二の遺伝システムを強化したのだ。著者も認めるように、ヒトは幼い形のまま成熟する「幼形成熟(ネオテニー)」である可能性は高い。おまけにヒトは未熟児で生まれ、家族の庇護のもとで成長する。そのようなことすべてが、出産後に時間をかけて知的能力を完成させるというヒトの特性を支えている。

「人間の文化で最も重要な特徴は、文化が、生物学的な遺伝に加えて第二の遺伝システムとして働くということだ(240ページ)」と著者は述べる。
リチャード・ドーキンスは、考えや行動、楽曲のように、一人の人間から別の人間に広がるものを、遺伝子(gene)に似せた「ミーム(meme)」という言葉で呼び、文化的進化がミームに基づくと提唱した。(240ページ)

ヒトの社会性の根底には模倣がある。特に、動物には見られないのが「過剰模倣」だ。ヒトの子どもに、道具を使って問題箱を開けて褒美を取る方法を見せると、幼い子は手を使って箱を開けるが、年長の子になると道具を使って開ける。幼い子が道具を使うのは、手で開けにくい箱の場合だ。
このように、幼い子どもは、行動をそのまま模倣する論理的な根拠があるときは道具を使うやり方をまねる。だが、年上の子どもだけが、複雑なやり方で行動する理由がはっきりしない場合でもまねをする。ある意味では、幼い子どもの作戦のほうが賢いように見える。なぜなら、幼い子どもは最も効率的な方法をまねて問題を解くが、年上の子どもは「過剰模倣」する、つまり、余分な行動もまねるからだ。(243ページ)

この過剰模倣により、自分が理解できないことも身に付けることができる。たとえば「作法」にしても、その背景には合理的な理屈があるのだが、接し始めたときには理解できない。作法が身につき、さまざまな場面に遭遇することで、その作法の意味がわかり、合理性が理解できる。過剰模倣が「第二の遺伝システム」である文化を支えるのだろう。

その一方で、大型類人猿は過剰模倣をしないようだという(261ページ)。彼らにも文化があるようだが(たとえば芋を海水で洗うなど)、きわめて単純な文化だ。

著者は、ヒトとその他の類人猿を隔てるものが「入れ子構造を持つシナリオを心の中で生み出す際限のない能力」と「シナリオを構築する他者の心とつながりたいという抜きがたい欲求」であるとしている(309ページ、390ページ)。第1の「能力」(入れ子構造のシナリオを生み出す能力)は人間の作業記憶の大きさによって生まれたのかもしれない。

入れ子構造のシナリオとは、「私が彼女を好きだと彼女は知っていると私は思っている」というような、「複文」で表されるような状況だ。この構造の構築には作業記憶が必要となる。京都大学のアイの息子のアユムの作業記憶容量は5つであった可能性があるが、一般のチンパンジーは2つか3つに限られていると主張する研究者もいる。
そのような研究からわかる作業記憶容量によって、動物では埋め込み構造[引用者注:入れ子構造と同じこと]を持つ思考が欠けている理由が説明されるかもしれないし、根本的な限界が示される可能性もある。人類が進化する過程で作業記憶容量が徐々に増加したことによって、人間の心を特徴づける質的な変化について多くのことが説明できるかもしれない。これは興味深い仮説だ。しかし、言語を用いずに動物の作業記憶を測る方法が確立されていないため、確かな結論を引き出すには今後の研究を待つ必要があるだろう。(224ページ)

第2の「欲求」(他者の心とつながりたい欲求)は人間の社会性を支えるものだ。
たとえば、1歳の赤ん坊が大人と協力課題に取り組んでいるときに、大人がやめると、赤ん坊はたいてい大人に再び取り組ませようとする。それに引き換え、チンパンジーの赤ん坊は、課題をひたすら自分でしようとする。(190ページ)

チンパンジーの身振りは、何かを持ってきてほしいということを伝えるものだが、人間の身振りは、ただ何かを伝えたいためにされることが多い。コミュニケーションへの志向性が異なるのだ。 続きを読む

この本の原題は『ザ・ギャップ―人間をほかの動物から隔てるものについての科学』である。この題名は、この本のテーマを的確に表している。ヒトは動物界でも特殊な存在とされがちである。理由は、ヒトと同じような思考力や言語をもった動物がいないからだ。何がヒトと他の動物を隔てているのかを、ズデンドルフは豊富な資料と綿密な論理により説明していく。

その中で衝撃的だったのが、ヒトが近縁のヒト属を絶滅させたために他の動物から孤立する結果になったという説だ。数百万年前には、ホミニンと呼ばれるヒトに近縁の種族が地球上のあちこちにいた。ヒトはそれらの種族と交雑していた(子を作っていた)らしいということが、遺伝子解析によりわかっている。それらの種族が絶滅したために、ヒトは系統樹の中で孤立したというのだ。現在もっとも近縁とされるチンパンジーやボノボは、ヒトと知的能力において大きく異なっている。それは、ヒトと類人猿の間にあるべき種族を、ヒトがすべて絶滅させてしまったからだ、というのがその説による説明だ。

ヒトは現在チンパンジー、ボノボ、オランウータン、ゴリラといった類人猿を絶滅に追い込みつつある。著者は「類人猿が絶滅したら、ほかの種がヒトにとって最も近縁となり、それによってギャップは広がる(400ページ)」としている。

すべての動物が利己的であるのと同じようにヒトも利己的であり、他の動物を存亡の危機に追い込むのは、一種の宿命か業(ごう)のようなものかもしれない。しかし、ヒトが他の動物より優れた知能を持っているとするなら、他の種族にない力を発揮できる可能性があるということだろう。他の種族を滅ぼすのではなく、逆に守るという、一般の自然界では特殊な行動が、ヒトの一般的行動となる可能性が存在するということだ。

トーマス・ズデンドルフ『現実を生きるサル 空想を語るヒト―人間と動物をへだてる、たった2つの違い』(白揚社)を読了した。著者はオーストラリアのクイーンズランド大学教授で、進化心理学を専攻している。訳者の寺町朋子は、京都大学薬学部を卒業後、企業で医薬品の研究開発に携わり、科学書出版社勤務を経て翻訳家になったとのことだ。気になるところもわずかにあったが、ほぼ全体が非常にこなれた訳文で、わかりやすく安心して読めた。

めったに出会わないほど面白い本で、著者の専攻分野の本ではないにもかかわらず、非常に深く掘り下げた記述で、哲学書としても、人類学の教科書としても高いレベルのものではないかと思う。

特に印象的だったのが、引用の幅の広さだ。アインシュタインやバートランド・ラッセルが引用されるのは当然なのだが、ジョン・レノンやモンティ・パイソンが引用され、スタートレックの登場人物が引用される。私と年代が近いのではないかという親近感とともに、その興味の範囲の広さと知識の豊富さに嬉しくなった。

自分の主張の中に他人の言葉を引用するためには、主張に合った言葉を知らなければならない。そのためには多くの本を読み、音楽を聴き、映画を見るとともに、その内容や言葉を覚えておかねばならない。私は何かの本を読んだ直後にこのブログを書くので、印象的な言葉を覚えているばかりでなく、それがその本のどのあたりに書いてあったかまで覚えている。しかし、時間が経ってからある言葉を引用しようとして片端から本を開いてみたが見つからず、引用を諦めたことがある。そのような経験をしたために、ズデンドルフのように豊富な引用が書ける人を見ると、その頭の良さに感心してしまうのだ。 続きを読む

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