この本では、しばしば「日本人は声かけが下手」という指摘が出てくる。彼の癌がわかって入院するとなったとき、日米で周囲の人びとの対応が異なった。
確かに日本人の特徴だろう。私も同様で、言葉をかけなければいけないときに、何か気の利いたことを言わねばならないと思ってしまって、言葉に詰まってしまうことがある。また、言い出すタイミングを失すると、後から言っても取ってつけたようになりそうで、言葉にしそこなう。
廊下で出くわしたときの挨拶などもそうだ。タイミングを失すると会釈だけになってしまう。「おはようございます」や「この間はどうも」といった言葉が出なくなってしまう。
日本人は言葉でなく、その場の空気で相手の言い分を汲み取ろうとする。会釈のちょっとした長さや深さの違いで、相手に気持を伝えようとすることもある。そのような文化も、声をかけることにマイナスに働いているのだろう。
日本では「お返し」に気を使う人も多い。それもカードを送りにくくしている原因ではないか。入院中にプレゼントをもらうと、快気祝いを返すべきかどうか悩んだりする。欧米人にはお返しの風習がないので、かえって気楽にカードを送れるのかもしれない。
[癌で入院することを伝えたとき]心配してくれているのはその表情からよくわかるのだが、日本人はちょっとした一言を返すことができない。たとえば、
「その元気な姿や仕事ぶりですから、大丈夫、すぐ戻ってきますよ」
といった励ましの言葉でもいいと思うし、
「入退院の荷物運びの運転は任せてください」
「奥さん一人で大変でしょう。買い物でもなんでも女房に手伝わせます」
といったサポートの言葉でもいいと思う。その一言がなかなか出てこないのだ。
この経験は、それ以降の入院の際にもしばしば経験した。本当は親切な気持ちがありがなら黙ったまま過ごしてしまうというのが日本人の特徴だろうか。どんなに立派な経歴の持ち主であっても、こういうときに言葉をかけられず、黙り込んでしまう場面に何度も遭遇したものである。(25ページから26ページ)
確かに日本人の特徴だろう。私も同様で、言葉をかけなければいけないときに、何か気の利いたことを言わねばならないと思ってしまって、言葉に詰まってしまうことがある。また、言い出すタイミングを失すると、後から言っても取ってつけたようになりそうで、言葉にしそこなう。
廊下で出くわしたときの挨拶などもそうだ。タイミングを失すると会釈だけになってしまう。「おはようございます」や「この間はどうも」といった言葉が出なくなってしまう。
日本人は言葉でなく、その場の空気で相手の言い分を汲み取ろうとする。会釈のちょっとした長さや深さの違いで、相手に気持を伝えようとすることもある。そのような文化も、声をかけることにマイナスに働いているのだろう。
[退院の際、米国の同僚は]さまざまなお祝いや励ましの言葉をかけてくれた。日本人はやはりこのような言葉は不得手のようだ。病院や自宅に届いたカードも米国人からのものが多かった。苦境にあるときの励ましの言葉や手紙・カードは本当に嬉しかったものだ。それは後々まで入院のたびに考えさせられることだった。(58ページ)
日本では「お返し」に気を使う人も多い。それもカードを送りにくくしている原因ではないか。入院中にプレゼントをもらうと、快気祝いを返すべきかどうか悩んだりする。欧米人にはお返しの風習がないので、かえって気楽にカードを送れるのかもしれない。