阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年10月

この本では、しばしば「日本人は声かけが下手」という指摘が出てくる。彼の癌がわかって入院するとなったとき、日米で周囲の人びとの対応が異なった。
[癌で入院することを伝えたとき]心配してくれているのはその表情からよくわかるのだが、日本人はちょっとした一言を返すことができない。たとえば、
「その元気な姿や仕事ぶりですから、大丈夫、すぐ戻ってきますよ」
といった励ましの言葉でもいいと思うし、
「入退院の荷物運びの運転は任せてください」
「奥さん一人で大変でしょう。買い物でもなんでも女房に手伝わせます」
といったサポートの言葉でもいいと思う。その一言がなかなか出てこないのだ。
この経験は、それ以降の入院の際にもしばしば経験した。本当は親切な気持ちがありがなら黙ったまま過ごしてしまうというのが日本人の特徴だろうか。どんなに立派な経歴の持ち主であっても、こういうときに言葉をかけられず、黙り込んでしまう場面に何度も遭遇したものである。(25ページから26ページ)

確かに日本人の特徴だろう。私も同様で、言葉をかけなければいけないときに、何か気の利いたことを言わねばならないと思ってしまって、言葉に詰まってしまうことがある。また、言い出すタイミングを失すると、後から言っても取ってつけたようになりそうで、言葉にしそこなう。

廊下で出くわしたときの挨拶などもそうだ。タイミングを失すると会釈だけになってしまう。「おはようございます」や「この間はどうも」といった言葉が出なくなってしまう。

日本人は言葉でなく、その場の空気で相手の言い分を汲み取ろうとする。会釈のちょっとした長さや深さの違いで、相手に気持を伝えようとすることもある。そのような文化も、声をかけることにマイナスに働いているのだろう。
[退院の際、米国の同僚は]さまざまなお祝いや励ましの言葉をかけてくれた。日本人はやはりこのような言葉は不得手のようだ。病院や自宅に届いたカードも米国人からのものが多かった。苦境にあるときの励ましの言葉や手紙・カードは本当に嬉しかったものだ。それは後々まで入院のたびに考えさせられることだった。(58ページ)

日本では「お返し」に気を使う人も多い。それもカードを送りにくくしている原因ではないか。入院中にプレゼントをもらうと、快気祝いを返すべきかどうか悩んだりする。欧米人にはお返しの風習がないので、かえって気楽にカードを送れるのかもしれない。

まず最初に、私は関原を非難するつもりがないことを断言しておく。私が感じていることは、そのような卑小なことではなく、あえて表現すれば医師の社会的地位の見直しと日本の医療制度の持続可能性という大きな問題である。

昨日のブログに引用したように、国立がんセンターの医師は、しょっちゅう病棟に顔を出す。しかし、医師が土曜日も100%出勤し(朝夕回診をするのだから、一日中病院にいるのかもしれない)、日曜日にまで回診するのは「責任感や熱心さ」なのだろうか。彼ら医師たちの家族は、子どもたちは、どのように思っているのだろう。逆に、週に何回かジムに通いジャグジーでくつろぎ、週末には家族で出かけてレストランで食事を楽しむ医師は責任感が足らず、あまり熱心ではない医師なのだろうか。

このような議論の進め方は、若干感情的かつ感傷的であることは自覚している。しかし、プライベートな時間を犠牲にする医療者を褒め、また、医療者がプライベートな時間を犠牲にすることを期待するように感じられる文章には違和感がある。私の気持ちのベースには、医師の過重労働が指摘されながらも遅々として改善が進まない現状や、医局員を駒か消耗品としか考えないような(多くの)大学医局への苛立ちがある。

患者を治療するのが医療者の仕事であり、患者が日常に復帰するのが医療者の喜びである。患者が元の日常生活に復帰できることが何より嬉しい。だが、日本の医療はそのような自分の生活を犠牲にした努力により高いレベルを保っているのだということを社会全体にわかってほしい。そしてそのような努力に依存する体制がはたして持続可能であるかどうか、医療者も一緒になって真剣に考えてほしい。

もうひとつ感じたのは医療者の仕事ぶりについてである。国立がんセンターの診療体制について、以下のような記述がある。
チームワークだけでなく、先生方の責任感や熱心さは、患者の私から見ても頭の下がるものがあった。担当医は毎朝8時前後と夕方から夜にかけて必ず回診に訪れ、土曜日は100%、日曜日もおおむね病室に姿を見せる。週1、2回の教授、助教授の回診がある以外、主として若手の医師にケアが任されている大学病院とは全く違っていた。スタッフの先生方は週に1、2日外来で診察する以外は毎日手術に明け暮れる。(150ページ)

ここでは国立がんセンターとの対比で大学の様子が描かれているが、大学でも中堅以下は土日もなく出勤しているところが多い。ただし、土日は病棟には出ず、実験室で研究をしている可能性が高い。いずれにしても、多くの医師は1日12時間、1週間6日から7日働くことを当然としている。当直の翌日も手術や検査に入り、36時間連続勤務ということもある(以前はそれが当然だったが、最近は労働環境整備がやかましくなったので、36時間連続は少なくなったかもしれない)。私が若い頃は、脳神経外科の研修医は月に2回ほどしか自宅に帰れなかった(もちろん超勤手当が出るわけではない)。

関原の肝転移を手術したのは「幕内先生」とあるから幕内雅敏だろう。国立がんセンターから信州大学へ移り、その後東京大学教授となった。彼は大学医局員のアルバイトを禁じた。臨床をしていない時間は研究をしろということだ。当時医局員の給与は非常に低く、無給に近いものもいたが、幕内は「親に食べさせてもらえ。それがダメになったら奥さんに食べさせてもらえ」と言っていた。すべての時間を臨床と研究に捧げるというのが医局に置いてもらうための条件だった。

2015年12月に、電通の新入社員が自殺し、三田労働基準監督署が過労死として労災認定していたことが2016年10月7日に明らかとなった。厚生労働省も立ち入り検査をするなどと報じられ、各紙が連日記事を掲載した。ところが2016年1月には新潟市民病院に勤務していた女性研修医が自殺しており、新潟労働基準監督署に労災申請されたときには、これほどのニュースにならなかった。研修医は毎月100時間以上の残業を繰り返し、2015年8月には251時間の残業をしていたという。

医療者が土曜も日曜も夜も昼もなく働くのは、当然とは言わないまでも、やむをえないことなのだろうか。

この本を読んで、次に感じたのは「著者はやはり戦う人だ」ということだ。戦わない人の体験記は読んでいてあまり面白くないかもしれないし、戦わずに死を迎えた場合は本が書けない。だから、出版されている癌体験記に戦う人の記録が多いのは当然かもしれない。ただし、関原は自分も気持ちがくじけそうになったことがあると鼎談で述べている。
度重なる手術になると、もういいやという投げやりな気持ちになることも度々ありました。(290ページ)

また、最後の手術の後に肝転移が疑われ、入院手続きを取った際には「ほとほと入院は嫌だ。何とか逃げきれないものか(243ページ)」と思ったという。しかし、彼は戦う道を選んだ。特に彼の場合、初発時が39歳だったから、その時点では戦う以外に選択肢はなかっただろう。

だが、世の中には性格的に戦えない人もいる。また、経済的事情で高額な治療を受けることができない人もいる。この本がそのような人びとにも助けや励ましとなるのだろうかと思った。その点でも昨日紹介した岸本のフォローアップは当を得ている。関原は「強くて前向き」である。この本も、関原のそのような生き方が全面に出て、彼の苦悩はあまり出てこない。小説ではないし、著者も自分の苦悩を的確に表現する訓練は受けていないだろう。また、読むほうにしてみれば、著者の苦悩が並べてあっても辛くなるだけかもしれない。そのようなことを考えれば、少ないながらも記されている彼の苦悩を推し量るという読み方が、癌患者にとって「有益」かもしれない。

関原健夫『がん六回、人生全快〈復刻版〉』(ブックマン社)を読了した。関原は京都大学法学部を卒業し日本興業銀行(興銀、現在のみずほ銀行)という政府系銀行に就職した。ニューヨーク支店の営業課長だった1984年(39歳)に大腸癌を発症。現地で手術を受け、1985年に帰国し、国立がんセンターでフォローアップを受けるようになる。1986年に肝転移と、手術部位近傍のリンパ節転移が見つかり、肝部分切除と大腸吻合部切除、リンパ節再郭清を受ける。1987年末に肝転移が発見され1988年1月に肝転移に対し肝部分切除、4月に肺転移に対して肺の部分切除をおこなった。1989年末に再度肺転移が見つかり、1990年1月に左肺下葉摘出、8月に右肺上葉の部分切除を受けた。その後癌の再発はないが、1996年には冠動脈狭窄に対して2枝のバイパス手術を受けている。

この本は2001年に朝日新聞から出版され、2003年には朝日文庫版、2009年には講談社文庫版が発行された。絶版になったところを、2016年に復刻版として、巻末に鼎談を付加して出版した。

この本を読み進めるうちにまず感じたのは、関原が特殊例だということだ。エリート銀行員であり、高収入で、生活は安定し、人脈も広い。癌の手術を6回受けて寛解(癌の場合は治癒とは言わない)したというのももちろん例外的なのだが、生活を見ても例外である。私の周囲の癌患者さんたちにこのような人はいない。もっとも、彼が入退院を繰り返した国立がんセンターでも例外的な患者だったらしく、医師や看護師の間で有名だったそうだ。

以前、垣添忠生『妻を看取る日』についてアマゾンでカスタマーレビューを見たことがある。「金があり、夫が医師だからそこまでできるのだ」という妬み半分のような批判が少なからずあった。この本も同じような攻撃を受けるのではないかと心配する。良い本だと思うのだが、内容にもかかわらず文庫版が絶版になったのは、読者が自分との差を強く印象付けられて感情移入できないことがあったのも、理由のひとつではなかったのか。

鼎談は著者と、垣添忠生(元国立がんセンター総長)、岸本葉子(癌サバイバーのエッセイスト)によるものだ。その中で岸本は次のように述べている。
公の場面で発言している患者さんがいると、たいがい、強いですねとか前向きですねで終わってしまいがちですが、それよりも関原さんの苦闘している必死な姿を見てほしいと思います。ご経歴で言えば、たいへん優秀な方で、アメリカで治療を受けたとか、政府系の銀行に勤めていたとか、そういう意味で自分とは違う立場のがん患者なのだ、と思われる読者も人によってはいるかもしれませんが、そう感じてしまうのは、この本のメッセージを受け取るチャンスを逃してしまうことになります。ぜひ、生身の、裸のがん患者の姿として、読んで欲しいのです。(289ページ)

岸本は世間の様子をよくわかっていると感じ、非常に優れたフォローアップだと思った。 続きを読む

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