阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年09月

雑誌「日経メディカル」2016年9月号の「人物探訪」に、「大動脈解離の血管内治療で世界をリード」というタイトルで、森之宮病院心臓血管外科部長の加藤雅明へのインタビューが掲載された。加藤はステントグラフトの世界第1例を施行した、この世界のパイオニアである。

最初に断っておくが、私は加藤を批判するつもりは毛頭ない。私も、規模は違うが性質の等しい経験をしており、本質的に彼と何ら変わることがないと思うからだ。

1983年に愛媛大学を卒業した加藤は、大阪大学第1外科に入局し、心臓血管外科医になった。1988年6月に大阪府立病院(現:大阪府立急性期・ 総合医療センター)心臓血管外科に赴任し大動脈解離の症例を数多く経験した。その経験の中から、ステントグラフとの治療を思いつく。1990年初頭、学会帰りの新幹線の中でのことだったそうだ。

ポリウレタンを自分で形成して人工血管を作り、イヌを使って実験を繰り返した。しかし、最終的には実際の患者で臨床研究をおこなわねばならない。院内の倫理委員会の承認を得て、1993年1月に最初の治療がおこなわれた。
だが、第1例は失敗に終わった。大動脈の高い血圧の影響を受け、ステントグラフ卜が目標の部位に留置できなかったのだ。偽腔への血流を完全に遮断できなかったことから、この患者に対しては数年後に再度、ステントグラフトを入れることになった。2例目はステントグラフトが途中で大きく屈曲してしまい、開胸手術に移行した。そして3例目も、カテーテル操作で新たな解離を作ってしまった。予期しない失敗の連続に、部長の大西から一時中止の命令が下った。

しかし加藤は諦めず、1992年から胸部大動脈癌に対してステントグラフト治療を始めていた、米スタンフォード大学のマイケル・デークに助言を求めた。デークも順調ではなく、失敗があったという。そのデークは加藤を次のように諭した。
大動脈疾患にステントグラフト治療を行っているのは、我々と君だけだ。世界中でやってない治療法を開発しており、我々はまだラーニングカーブの途中にいる。治療法の評価は、それを抜けたときにどれくらい良い成績を出せるかで決まる

すばらしいと思う。そして医師の鏡だと思う。しかし、患者の立場から見たらどう思うのだろうと思ってしまうのだ。

小松は、医師が教育機関や研修機関で長期間働かざることを得ないことに警告を発している。そのような期間の多くの部分が非正規雇用だからだ。
給与はわずかである。大学によっては、今なお無給で働かせるところもある。アルバイト頼みの、地に這うような生活を強いられる。非正規雇用だと、共済年金や厚生年金にも加入できない。年金は国民年金のみである。それも年金保険料を自分できちんと支払っていなければ、満額支給されない。正規職員に採用されたとしても、大学の給与は低い。勤続年数が短くなるので、退職金もわずかである。

医師は医局人事で2~3年ごとに病院を移ることが多い。勤続年数が極端に短くなるので、退職金がわずかであることはあまり知られていないかもしれない。また、中堅の頃は比較的高賃金であっても、その後賃金は伸びず、50歳頃から賃金が下がっていく病院が多いこともあまり知られていない。管理職になると当直がなくなり、超過勤務手当が付かなくなるような場合には、部下の方が手取り額が多いことすらある。
小松は次のように述べる。
医療費を下げる圧力が継続しており、給与は下がり続けている。大学のエリート医師が、老後、路頭に迷う時代がそこまで来ている。

職業として医師を選んだ多くの人が、高齢になっても働き続けられることを理由にしているという。大学のエリート医師も、経歴にこだわらず必死に働けば、老後路頭に迷うことはない。もっとも、そのような暮らしを想定していたかどうは別の話なのだが。

小松は主に内科研修制度を批判している。医師は医師免許取得後、2年間の初期研修を受けなければならず、内科専門医となるためには、さらに3年間の研修が義務付けられる。循環器、消化器など「サブスペシャルティ」と呼ばれる内科系専門分野に進むのはこの後になる。

内科専門医になるためには、経験症例のサマリーを提出し、筆記試験などをクリアしなければならない。私は制度の詳細を知らないが、小松は「70もの中分野を全て経験し、13領域全てに亘る29症例のレポートと主治医として担当した200症例の記録を提出」することが求められており、「いじめに近い」と言う。「経験すべき疾患には、発症率10万人当たり1.15という稀な疾患まで含まれていた」とのことだ。

さらに、「循環器内科で不整脈のアブレーション治療をする医師に、膨大な内科の全領域の診療能力は不要である」と彼は言う。循環器内科でアブレーションを専門としながら、内科全般の診療能力を維持できるはずがないと指摘する。それは事実だと思う。

結局、循環器専門医になるために内科専門医を取らなければならないというのは、循環器専門医になれなかった場合の保険のようなものなのだろう。しかし、単なる保険のための負担が 大きすぎると小松は指摘しているのだろう。

また、専攻医が教育体制に長期間従属することも彼は問題視している。社会システムはめったに期待通りには機能しないので、教育する側に問題があることを想定しておく必要があるとの主張だ。
筆者は、苦境に陥った医療関係者や医療過疎に悩む自治体関係者から相談を受けることがある。ある病院で、後期研修医とその上司の関係が険悪になった。研修医が病院の上層部に相談したところ、パワハラ委員会に訴えるよう勧められた。これに従ったところ、パワハラ委員会は、研修医に問題があるという前提で固められていた。病院は何が起こったかに興味を示すことなく、研修医を切るという最も安易な方法で処理しようとした。筆者は詳細な事実関係を知る立場にはないが、研修中の医師と指導医や病院の間で対立関係が生じたとき、正当な扱いを受けるのは不可能だと確信する。

研修医の方が弱い立場になるのは確実だろう。病院としては、研修医を切るのは簡単だが、診療科の中堅やトップを切るのは並大抵のことではない。

医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」で2016年9月23日にVol.212として配信された小松秀樹「新専門医制度は搾取する」について書きたい。小松は虎ノ門病院の泌尿器科部長から亀田総合病院の副院長になり、千葉県および厚生労働省との軋轢により解雇され、現在の肩書きはない。

彼は新専門医制度に反対している。それは、地域偏在という次元の話ではなく、制度そのものに欠陥があると述べている。最大の問題は新専門医制度を評価する専門医機構に被評価者である学会が社員として参加していること、また、専門医機構を統率する主体が実質的に厚生労働省だということだ。小松はこの間の事情を以下のように非難する。
日本専門医機構の枠組みに対し、多くの学会が猛反発し、有力な学会が社員として制度設計や運営に参加することになった。そもそも、プログラムは学会が作成することになっていた。学会は専門領域別大学教授連合ともいえるものなので、全国医学部長病院長会議と基本的な利害が一致する。かくして、新専門医制度は厚労省と大学教授の思惑が色濃く反映されるものになった。厚労省は新専門医制度を、病院と医師を支配する道具と考え、大学教授は支配下の医師を増やそうとした。いずれも、現場の実情や人権を配慮することがなかった。実施すると結果がどうなるのか、想像する責任感がなかった。多様な専門家を効率的に育成し、より長期間社会で働いてもらおうという基本が無視された。必然的に、医師に長期間の隷属を強いる搾取の体系となった。

この非難はおおむね妥当と言えるだろう。学会が大学教授主導であることは「事実」である。ただ、それは学会が大学の利益を優先して動くという直接の証拠にはならない。しかし、現実を直視すれば、大学が学会を自分のコントロール下に置こうと腐心しているのは明らかだ。

小松の新専門医制度反対論の中心はその制度設計にある。この制度が運用開始された後のキャリアパスについて、彼は次のように述べる
新専門医制度がそのまま施行されていたとすれば、大学エリートはどのようなキャリアパスをたどるのか。初期研修が2年。内科専門医を取得するのに5年(最低年限は3年だが5年程度必要と予想されていた)。サブスペシャルティの専門医資格を取るのに3年。さらに、大学院で博士号を取得するのに4年。大学での出世には留学が必須であり、これに3年。杓子定規にやれば、修業期間が17年に及んでも不思議ではない。修業期間中に、中年になり体力、知力が衰え始める。診療実務に責任者として携わらないまま40歳を超える。キャリアアップの武器になるような手技を修得する時機は失われている。大学医局にぶら下がって生きるしかない。

これがそのまま実現するとは思えないが、このような社会にならないための方策は今から真剣に考えていく必要がある。

雑誌「日経ヘルスケア」2016年8月号の「厚労官僚の独白」は「『効率化』の色彩強まる2018年同時改定」だった。「厚労官僚の独白」は厚生労働省の複数の官僚が匿名で執筆している(と見られる)連載コラムである。

2016年7月の総選挙では自民党が圧勝したが、これは「『争点潰し』が徹底していたからだ」と述べている。正しい指摘だろう。消費税については次のようにコメントしている。
また、今年6月1日の通常国会閉会時には、来年4月に予定していた消費税率10%への引き上げを2019年10月まで2年半再延期すると表明。その理由は、中国など新興国の経済成長に陰りが見られる中で、日本の景気を腰折れさせるリスクの回避であった。だが、消費増税が参院選において争点となり得ることも考慮した結果であるのは誰の目にも明らかだろう。

そして、消費税率引き上げが見送られたために、社会保障財源の確保はいっそう厳しいものになった。筆者は「2018年の診療報酬・介護報酬の同時改定については、効率化の色彩が非常に強いものにならざるを得ないだろう」としているが、これも「誰の目にも明らか」なことだ。私は医療職や介護職の集まりに参加する機会があるが、皆が診療介護報酬の引き下げ予測に危機感を抱いていないことに逆に疑問を感じている。

このコラムの結びの言葉を紹介しよう。
その先も当然ながら楽観視できる状況にはない。二度あることは三度あるというが、消費増税が再々延期とならない保証など、残念ながらどこにもないのだ。実際、霞が関・永田町では、「近い将来の10%実現はもはや不可能。税と社会保障の一体改革は終わった」とみる向きも出始めている。筆者は厚労官僚の一人として社会保障の充実を決して諦めてはいないが、吹き荒れる風は思いのほか強い。

私はといえば、充実を諦めかけているというのが現状だ。

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