阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年07月

毎日新聞社が隔月で発行する「MMJ(毎日メディカルジャーナル)」という雑誌がある。「世界の医学誌から」というページがあって、そこでは海外の医学雑誌から注目される論文と、日本人専門家によるコメントが見開きで紹介されている。このブログでもそのページから何回か引用したことがある。今日はMMJの2016年6月号で紹介された「プーチン大統領 なぜ右腕の振りが小さい?」について述べたい。

これは「BMJ(英国医学雑誌)」という雑誌の2015年12月号に掲載された「“Gunslinger’s gait”: a new cause of unilaterally reduced arm swing」(http://www.bmj.com/content/351/bmj.h6141)という論文を紹介した記事である。この論文は、ロシアのプーチン大統領を始めとする大物政治家の中に、歩行中に右腕を振らない人が多くあることを動画の解析から指摘し、彼らがKGB(旧ソ連国家保安委員会)出身であることから、拳銃がすぐ抜けるよう訓練された結果であると推定している。

非常に面白い論文で、インターネットでgunslinger's gaitを検索すると、主に英国で話題になったことがうかがわれる。プーチンらの歩く姿を撮影した動画も多数検索される。これを見ると、日常の何気ない動作まで変えてしまう訓練の厳しさが想像される。

だが、私が気になったのは、この論文が2016年クリスマス論文であることが、MMJのどこにも紹介されていないということだ。エイプリルフールのニュースや論文と違い、クリスマスなどにちなんだ論文には「ウソ」が混じることはない。BMJのホームページには、著者のとインタビューの録音も掲載されており(https://w.soundcloud.com/player/?url=https%3A//api.soundcloud.com/tracks/237716449)、著者が単なるユーモアではなく論文としても意味のあるものを目指したと述べている。

しかし、こういった論文は第一に笑い楽しむための論文であり、クリスマスから半年も遅れて何のコメントも無しに掲載したのでは、英国人のユーモアに慣れていない日本人読者が混乱するのではないだろうか。

中年の脳について、彼は中年の思考方法は若者と異なるという。彼は大学で若い人たちを教えているが、「学生の多くは私よりも賢いし、全員が私より頭の回転が速いが、それでも私は学生の一歩か二歩先を行ける(102ページ)」のだそうだ。それは思考の方法が異なるからだ。

中年の認知力はスピードが遅い。しかし中年は若者より狩猟採取能力が高く、政治力も強い。
[認知力において]スピードが本質的要素ではないことは、今では多くの専門家が認めている。すでにみた通り、近代の狩猟採集社会の多くは時間があり余っているため、熟考、暗誦、議論が好んで行われる。狩の最後の瞬間はたしかに瞬発的思考力が関わってくるだろうが、そんな状況でもこの道30年の経験のほうが思考スピードより役立つのではないだろうか。(109ページ)

中年では言語能力、空間認識力、数学的能力、論理的思考力、計画性といった項目からなる認知テストで成績が良い。そんな中年期の脳は形態的にも変化を遂げる。20歳から80歳にかけて、脳の灰白質は徐々に縮小し、約4分の1も軽くなるらしい。しかし、この縮小の速度は中年期に急に増加するわけではなく、むしろ成人一般の特徴だという。
中年期のさまざまな変化の例にもれず、灰白質はたまたま衰退したというよりも、調整され統制のとれたプロセスとして縮小しているようにみえる。(112ページ)

著者は、「灰白質の縮小は、神経細胞体同士を結ぶ神経線維のうち不要だったり使われなくなったものが取り除かれることで起こることも少なくない(112ページから113ページ)」として、この灰白質の萎縮も中年の脳機能の変化(成長)の物質的な現れだとしている。

何が事実であるのかはわからないが、私が現在やっと見つけかけていると思っている「真実」が、単に中年になって脳の構造が変わって理解できるようになっただけのものである可能性は否定できない。とすると、私の考えを若い人に伝えることは不可能だということになる。何となくそんな気もしていたのだが、人間の思考がそこまで肉体に縛られていたとなると、哲学は成立するのかということを改めて問わねばならなくなる。

現在の学説では「ヒトの子の成長非常に遅い。このためヒトの親はある年齢を過ぎると子を増やすのをやめ、今いる子に資源を集中するように進化を遂げた」とされているとのことだ(58ページ)。この「繁殖から育児へのシフト」は中年期に起こるのだ。したがって、中年期にはいくつかの特徴がある。

まず、食料の収集能力が高まることだ。「ヒトの食料収集能力のピークは45歳(60ページ)」なのだそうだ。
45歳の狩猟採取民は、体力、骨量、敏捷性ともピークを過ぎているが、長年にわたる実践のおかげで若者よりも高いスキルを持つ。共同体のための資源集めにかけては、いつの時代も中年こそ、一番頼りになる存在だったのだ。(60ページ)

次に「文化を引き継ぐ」という役割を担うことがある。著者は「こうした文化を引き継ぎを担う主役が中年でなくて、誰だと言うのだろう(「63ページ)」と言い、「経験を伝えたい」という思いは強迫観念に近くなると言う(64ページ)。私がこのブログを始めたもの、もしかしたら遺伝子に刻まれた、太古から引き継がれた「中年がすべき行動」への強迫観念によるものなのかもしれない。

ヒトは社会的動物であると、このブログでも繰り返し述べてきた。これは社会的動物であるという認識を確認するために繰り返したのではない。社会的動物であるということがヒトのあり方(思考パターン、行動パターン)に影響を与えていることを了解してほしいという思いから訴えたことである。また、ヒトは出生後にヒト特有の発達を遂げるということも繰り返し述べた。ヒトが他の動物ともっとも違うのは、出生した後にヒトとなるための教育を受けるということだ。ヒトは生物として出生してヒトになるのではなく、未熟児として子宮外に排出され他のヒトから教育を受けることでヒトになる。他の動物の胎児期に当たる期間が、ヒトでは体外で過ごす期間になる。非常に特殊な動物であると言っていいだろう。

著者はこのヒトの特徴をサポートするために中年が進化したのだと主張する。納得のいく説だと思う。

太古の人類が何歳ぐらいまで生きたかというのは、非常に難しい問題である。ベインブリッジは、その探索がいかに難しいかを詳細に述べている。現在、もっとも信頼性が高いと考えられているのが、歯による推定だ。歯の磨耗度から推定寿命を計算する。
こうした直接的な寿命測定方法によって、先史時代の多くの狩猟採取民の人生は、きつくも暗くも短くもなかったことがあきらかになった。それどころか、5万年前の後期旧石器時代には、高年齢層の人口割合はそれなりに高まっていたこと、ホモ・サピエンスにしてもネアンデルタール人にしても、世界各地で寿命パターンが異なり、場所によっては中年に達する可能性が高いことも明らかになった。(50ページ)

著者は「直接測定法の最大の発見は、農耕の登場によって高年齢層の人口が減ったこと」だという。農耕生活に入ると、かえって食事が悪化した。きちんと育つ作物は1、2種類しかないことが多いため、栄養が偏る。また、飢饉により作物が育たないこともある。狩猟採取から農耕に移行すると同じ労働力から得られる食物の量が減ることは、現代社会の調査でも明らかになっているのだそうだ。農耕への移行による栄養状態の悪化は化石でも証明されている。
農耕社会でヒトの寿命が短くなった要素はもう一つある。感染症だ。ヒトは狩猟採取民として散らばって生活していた頃も、結核や腸管寄生虫症などの太古の感染症に幾度となく倒れていたことは間違いない。しかし農耕と定住によって、ヒトが感染する病気の種類は恐ろしいほど拡大した。(51ページ)

さらに動物(家畜)との距離が近くなることで、感染症を共有するようになった。農耕生活に移行した不利益は大きい。

しかし、もちろんのこと、それを上回る利益があるから農耕が普及したのだ。その利益をベインブリッジは次のように説明する。
第一に、農耕は狩猟採取と比べ必要な土地面積がはるかに小さいので、狭い土地に密集して定住でき、人口密度は高まる。農耕がなければ、地球の人口はいまだに100万人ほどだったかもしれない。第二に、収穫が順調で栄養状態が良い時期には人々の生殖能力も大いに高まり、たくさんの子供を生むことができた。

つまり農耕生活は多産につながる。そして進化にとっては多産が何より重要である。農耕が人を苦しめ寿命を縮めることは、進化にとって重要ではない。(52ページ)

では、私たちは狩猟採取に戻れば長生きできるのだろうか。私たちはすでに農耕文化に適応してしまっている。狩猟採取に戻っても、それが最適という体ではすでにないだろう。もっとも、現在の地球が狩猟採取で養える人口は現在の千分の1にもならないだろうから、私たちはもう狩猟採取に戻ることはできないのだが。

ベインブリッジはヒトの脳には「奇妙な特徴」があると言う。「体のある部分が変化すると、脳は他の器官には見られない方法で、その変化に反応する(25ページ)」ことだ。
中年女性の社会的行動と性行動を例にとろう。中年女性は、若い女性とは考え方も行動も違う。脳の遺伝子と細胞が変化したことも一因だろう。だがそれ以外にも「中年女性の脳は、自分の体が変わりつつあることを十分に認識している」ことも要因になっているのだ。脳は、自身がまとっている肉体を内側から認識し、そして認識した内容に反応する。(25ページ)

人が社会的環境によって行動を変えることは事実だ。小学校の同窓会で中年の男女が集まれば、まるで小学生に返ったような行動をすることがある。若者でも子どもができると、急にしっかりしたりする。行動だけでなく、考え方も変わる。脳にとっては、肉体(とその外見)も社会的環境のひとつだ。同年輩の人びとの姿や、鏡に映った自分の姿を見て、自己のイメージを形作り、修正していく。自己認識が思考と行動のパターンに強い影響を与えるというのは事実だろう。

中年と切っても切れない「老化」と「死」についても、さまざまな説を検討している。よくまとまっているので、知識の整理に役立つ。老年学では「老化というプロセスは積極的に発達した」という積極説と、「老化という現象が進化したのは、老化自体に意義があるからではなく、他の現象(自分の肉体を維持するよりも繁殖に力を注ぐほうが理にかなっているなど)の副産物として消極的に発生した」とする消極説が対立している(34ページ)。20世紀半ば以降、消極的老化説が優勢であったという。これは人体を機械と見る考えが背景にある。
実は近年、積極説が盛り返しつつある。積極説とは、ヒトにとって老化という「死の体内時計」は有利な現象だからこそ、積極的に老化という現象を進化させたとする説だ。支持者によると、積極説は最新学説に合わない部分もあるとはいえ、自然界の事柄を説明するには、消極説よりも積極説の方がつじつまが合うという。(37ページから38ページ)

自然界ではすべての動物に寿命があり、それは種ごとに異なっている。類縁関係にある種同士でも寿命差は大きい。コウモリは他の齧歯類より5倍も寿命が長いのだそうだ。もっとも印象的なのは、サケやタコが一生に一度の繁殖行動を終えると、すぐ老化して一気に死に向かうという事実だろう。著者は「あたかも『死のスイッチ』が入ったかのようだ(38ページ)」と言う。ただ、死が何の役に立っているのかは、推測の域を出ない。

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