阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年05月

日本の症例第1号に関する医師、厚生省、マスコミの動きも興味深い。1983年の第2回エイズ研究班会議では、国内のエイズを疑われる患者について議論された。最終的には帝京大学の1症例だけが検討対象として残った。
安部医師は、その症例はエイズに間違いないと確信していたようだったが、他の委員は日本の第一例とするには確信が持てないと、きわめて慎重だった。結局、病理検査などをして、さらに検討することとなり、研究班での現段階での結論は「アメリカで見るような典型的なエイズとは言えない」ということになった。(63ページ)

研究会後の記者会見で、記者から「帝京大症例はエイズなのですか?』と訊かれて、安部は否定的な答えをした。個人的にどう考えていようと、班長としては班会議での結論を述べるしかない。しかし記者から「それではエイズじゃないんですね?」とたたみかけられ、安部はやはり否定的な答えをした。記者としては白黒がはっきりした結論を期待したのだろうが、答えは灰色だったのだ。

その後米国CDCのスピラが来日する機会があり、研究班で話を聞いたが、帝京大学症例について説明すると、「I am sorry but……これは、エイズです」と言った。これを郡司は次のように説明している。
私は、目的の違いが出たと思った。つまり、CDCは原因がわからないので、細胞免疫不全の症状を呈する人をできるだけ漏れなく集めて、その原因を探っていこうというのが目的で「エイズ」という概念を作った。それに対して、研究班は日本での新しい疾病の第一号と間違いなく言えるのか、ということに関心があったので、ステロイド剤の大量使用だけでも説明ができるその症例を第一号とすることに逡巡したのである。(65ページ)

病名が付くと、あたかもその疾患が確固として実在するような気がしてしまう。これは病名に限ったことではない。名前にはそのような力がある。名前を付けることで、あいまいだった境界が明確になり、周囲から際立つ。しかし、同じ名前を使っていても、使う人によって意味が違うことはしばしば経験されることだ。特に病名の場合、たとえば「高血圧」といっても、人によって意味するところがさまざまなので注意を要する。ここでの「エイズ」は、特に正体不明の時期に付けられた名前だけに、違いが明確だったのだ。

この本では安部英が「業務上過失致死」で起訴され無罪となった裁判について、かなりの紙幅を割いて言及している。この裁判は、帝京大学で非加熱濃縮製剤を投与されてエイズを発症し死亡した患者について、元帝京大学教授の安部に投与を回避すべき責任があったとして1985年に安部が起訴され、開始されたものだ。郡司は検察側、弁護側双方の証人として出廷している。
2001年3月28日に判決が下された。判決は無罪だった。366ページにわたる判決文では、判事の一人の上田哲(さとし)氏が医学部出身でもあったことから、医学論文を正確に読み、また証言者の証言と証言者自身が当時あるいはそれ以降に書いた論文などの内容とを比較して、証言の信頼性を確かめていて、きわめて詳細で公平な信頼性の高いものであった。(87ページから88ページ)

要は、結果論で言えば当時の判断は誤っていたということになるが、当時は充分な知識がなく、エイズウイルスの存在はあくまで仮説であり、しかも有力な仮説とは言いがたかった状態であったので、やむを得なかったということなのだ。医療裁判ではよくあることだ。よく「後出しジャンケン」と批判されるが、すべてが明らかになった後から振り返って当時の判断が間違っていたと言うのは道理に合わない。結果が悪いと責任を追及したくなるが、かならずしも責任者がいるわけではない。判決文が収載されたCD-ROMが付録として添付されている本が紹介されているので、ぜひ購入して読んでみたいと思った。

さらに言えば、安部や郡司が情報を必死になって集め、何とか情報を生かそうと努めていたことがわかる。また、栗村敬や木下忠俊の証言の信憑性の低さ(栗村については111ページから114ページ、木下については114ページから118ページ)からは、検察側が何としてでも安部を有罪に持ち込みたいと、強力な誘導をしていたことが推測される。無罪判決は出るべくして出たものであった。しかし、証拠を積み上げてその判決文を書いた裁判官には敬意を表さざるを得ない。
無罪の判決が出た翌日の新聞には、「『なぜだ』無念の傍聴席」、「市民の感覚から離れた司法」などといった見出しが躍った。(91ページ)

判決文を読んだことがなかった私が他人の批判をすることは滑稽であるのは承知しているが、マスコミたるもの、判決文を精読し解説するくらいの意気込みが欲しい。商業紙に限界があることはわかっている。必要なのは「新聞に書かれたことは疑ってかかる」というメディアリテラシー以外に無いと諦めるのが適切なのかもしれない。

この本には1982年当時の日本の血液事業の様子が描かれている。医療施設からの要求が血漿成分にかたよるようになったため、東京都で献血された血液の赤血球の半分近くが破棄されていたこと(19ページ)、アルブミンの消費量を元の血漿量に換算してみると世界中の採血量の30%以上になったこと(21ページ)、その消費量が年30%の割合で伸びていたことなど、いずれも驚かされる話だ。特に、採血事業を独占していた日本赤十字社をめぐる制度の矛盾は印象的だった。
日赤は公益団体ではあっても、薬事法上は一製薬業者である。新薬の製造承認には企業と同様の手続きが必要である。また、新薬の開発では[民間の]企業と競争しなければならない。[中略]

結果として、日本では、原料となる血液は日赤が独占していたが、[血友病治療に必要な]濃縮製剤を作るライセンスを持っていなかった。一方、民間企業は濃縮製剤を作る技術とライセンスは持っていたが、製剤を作る原料がない、といういわば「ねじれ構造」が出現していたのである。(27ページ)

米国は産業として血液製剤を輸出していたので、日本では米国から血液製剤を輸入して使用せざるを得なかった。日赤は、一部マスコミの「愛の献血が売られている」という批判にさらされ、国内企業に売却することができなかったという(29ページの注9)。

血漿の輸血の副作用をなくし、簡便に自己注射もできるようにした濃縮製剤が日本で製造承認されたのが1974年、自己注射が健康保険で認められたのが1983年2月だった。そして米国の同性愛者の間で原因不明の病気が流行り始めたのが1981年だ。エイズがどのような疾患かもわかっておらず、恐怖感も拒否感もない。自己注射は医療技術の進歩であり、患者にとって福音だった。その前の治療法(血漿を低温処理した「クリオ」製剤)に戻ることは「非人道的」な後退政策だった。
1983年9月には血友病患者の団体である「血友病友の会」の代表らが生物製剤課に陳情に来られた。その内容で重要だったのは、「エイズの危険があっても、治療法を後退させないように」という点であった。日本ではその年の2月に健康保険で認められたばかりの濃縮製剤の自己注射を後退させないでほしいということだった。(67ページ)

だから患者にも責任があると言うつもりはない。郡司もそのつもりはないだろう。私たちは、実は何も知らないのであり、知っているごくわずかなことを手掛かりに暗闇の中を歩いているのだということを常に肝に銘じておく必要があるということなのだと思う。

郡司篤晃『安全という幻想―エイズ騒動から学ぶ』(聖学院大学出版会)を読了した。郡司は元厚生省官僚で、エイズ事件の発生当初の頃、生物製剤課長を勤めていた。一部のマスコミに目の敵にされ、ずいぶん攻撃された人物である。この本を読んで考えたことは多い。ひとつはエイズ事件に関することである。次に日本のマスコミの質に関することである。また、裁判についても考えることが多かった。

私は今までエイズ事件について調べたことがなかった。だから、情報はほぼすべてマスコミから得たものばかりで、元帝京大教授の安部英や郡司は悪者であり、川田龍平はヒーローだった。ところが今回、マスコミの標的となった郡司の著書を読んで、認識が一変した。もちろん、郡司の書いたことがすべて正しいという保証はない。一方の当事者である人の書いたことをすべて信じるのも適当ではない。しかし、郡司の話は首尾一貫し、筆致もきわめて抑制的である。かなりの真実が含まれていると直感されるし、少なくともここに書かれているような見方が、今まで報道などで得られた知識と矛盾を起こさずに成り立つことがわかった。真実がどこにあるのかはわからないが、郡司の記述はもっとも説得力のある描写だ。

郡司がこの本を書いた最大の理由は、エイズ事件に際して日本社会が「なぜこのようなことが起こったのか」という「大事な構造的な議論に蓋をしてしまった(5ページ「はじめに」)」ことを何とか取り返そうと考えたからだ。身の証を立てようとか、彼を痛めつけた人びとにひと泡吹かせようという思いからではない。この本全体の構成、文章の調子、出版元などから読み取ることができる。彼は「まえがき」で次のように述べている。
世の中が患者に対する同情一色になる中で、私もいろいろなバッシングの対象となった。私としてはできる限りの努力はしたつもりだが、発言を控えてきた。感染した人々の無念さを思うと、私の反論のようなことは誰も聞きたくないだろうと思ったし、かた感染した人々ができるだけ補償されるようにと願って、被害者の不利になるような発言は避けたいと思ったからである。しかし、様々な言説が飛び交う中で、重大な間違いもあり、もどかしさを感じてきた。また、いろいろなバッシングを受けながら、日本社会の危うさや病理を実感してきた。(6ページ「はじめに」)

そして、この本の目的を「なぜ日本の血友病患者に感染が広がったのか、その真実と全体像を明らかにすること、そしてこのような悲劇を繰り返さないための提言をすることである(7ページ)」と言い切っている。

米アップル社製のiPhoneのロックが解除されたことから「iPhoneの安全性が疑問になった」という言い方をする人もいる。ロックを解除したのはサン電子(株)のイスラエルにある子会社セレブライト社だと報道されている。パスコードを入力したiPhoneであれば、ほぼすべてのデータが取得可能であることが、雑誌「日経コンピュータ」関連のウェブサイト「ITpro」で2016年5月13日に公開された記事「FBI vs アップルは他人事ではない!日本の捜査機関はどこまでスマホを覗けるか、全貌に迫る」(http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/090100053/051300151/)(執筆は日経コンピュータの浅川直輝)で報道されている。
セレブライトが開発した携帯電話解析機の場合、iPhoneのパスコードロックを外した状態でUSB接続することで、通話履歴、アドレス帳、写真や動画といったデータはもちろん、SMSやMMSのメッセージデータ、さらにはゴミ箱ボタンで消去した写真ファイルも抜き出せる。

Android端末の場合はロックを解除していなくても、機種によってはデータを取り出せる。記事では実際にデータを抜き出す様子が写真で紹介されている。このような機器を「モバイルフォレンジック機器」と呼ぶらしい。携帯端末(モバイル)の鑑識(フォレンジック)という意味になる。記事によれば、全国の警察署や交番に配備されており、「もちろん強盗や殺人などの凶悪犯罪にも活躍するが、「盗撮の証拠を得る」などの目的で、交番でも日常的に活用されている」という。

ロック解除の事情については、同じサイトで3月29日に公開された「iPhoneは本当に安全か、米司法省がアップルの協力なしにデータ復元」(http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/090100053/032900136/)の方が詳しい。こちらは「フリーランスジャーナリスト」の山口健太が執筆している。セレブライト社の援助で解除に成功したと推測されているのは、FBIが3月21日に同社との間で約1万5000ドルの契約を結んだことを示す資料の存在が明らかになったからということだ。山口は、FBIがなぜ最初から同社の技術を使わずアップル社に協力を求めたのか、同社はロック解除できるのがiOS 8.xと説明しているのに犯人のiPhone 5cで動作していたiOS 9に対応しているのか、などいくつかの疑問点をあげている。

いずれにせよ、デジタル技術による秘匿はデジタル技術により破られると考えた方が良い。秘匿しているものを、令状などなしに解除しようとするのは犯罪であると位置付けるべきだが、解除できない技術の誕生を望むのは永久機関の実現を望むのと同様に、無駄なことだろう。特にデジタルデータの秘匿解除は初期コストが膨大であるものの、いったんアルゴリズムが発見されればその後のコストは非常に小さい。デジタルデータの秘匿は困難ということをもっと周知させるべきだろう。

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