阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2016年02月

医療事故・紛争対応研究会の第10回年次カンファレンスに参加した。同研究会は、九州大学大学院の公開講座「医療事故・苦情対応のための人材養成講座」の修了者を中心に2005年に設立された研究会とのことである。以来、年次カンファレンスを毎年開催しているようだが、私は今回初めて参加した。午前中の演題から、興味をもったものについて述べたい。

2番目の演題では、早稲田大学の横野恵が欧米での安楽死の変遷と「POLST」誕生の経緯について説明した。POLSTとは「Physician Order for Life-Sustaining Treatment」の頭文字で、「生命維持のための治療に関する医師の指示」を表す。

欧州では2000年代初頭からスイスに渡航して介助自殺を遂げる例が増加した。スイス刑法では、利己的な動機による自殺の誘導および介助のみが処罰の対象とされており、それ以外の介助は処罰されないとのことだ。自殺介助団体による組織的介助が行われており、外国人も対象にしているという。英国では自殺ツーリズムとして社会問題化したようだが、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグでは積極的安楽死が、2001年から2009年にかけて相次いで合法化され、英国でも2010年に渡航自殺が事実上合法化された。「事実上」というのは、「自殺のためと知っていながら渡航の手助けをしても自殺幇助に問われない」ということである。

一方米国では、1994年にオレゴン州で医師による自殺幇助(Physician Assisted Suicide、PAS)が認められた際には激しい反対運動が起こったが、やはり2000年から合法化が拡大した際には目立った反対運動が起きなかったという。特に、全米最大の人口を擁するカリフォルニア州で2017年初頭までにPASが合法化されることになっており、合法化されれば米国全人口の6分の1(5千万人)がPAS合法の州に居住することになる。

横野の説明を聞くと、欧米での積極的安楽死合法化は自己決定権の尊重に基づくもののようだ。自分がいつ死ぬかを決定できることが重要であるらしい。たとえば植物状態になるのが明らかな場合、それを拒否して死を選ぶ権利があると、欧米では一般的に考えられているということだ。キリスト教では、人間と動物は明確に区別されるが、「人間の範疇に入らない」とみなす状態があるのだろう。

一方日本では、すべての物に神が宿ると考えるのであるから、植物状態になろうが、高度の認知症になろうが、そこに神聖なものを見続け、命を絶つということに強い抵抗が生まれるのかもしれない。ただし、これはあくまでも私の漠然とした想像であって、根拠に基づいて書いているのではない。また、横野の説でもない。

人類は、命を人工的に伸ばす技術を持ってしまった。そうであるなら、命をいつ終わらせるかも、自分自身で決めなければならなくなるのではないだろうか。今後ますます積極的安楽死の問題が重要になると思う。

沢木耕太郎『危機の宰相』(文春文庫)を読了した。「危機」とは1960年の日米安全保障条約改定を巡って社会が騒然とし、改定案が自然成立した後の状況を指している。日本経済に対する悲観的な予測が主流であり、自民党政権は危うい状態にあった。そして「宰相」とは、そこに登場した池田勇人である。沢木はノンフィクション作家で、数々の賞を受賞している。彼は1947年生まれとのことで60年当時は中学生であった。

文庫本で約300ページの本であるが、その裏付けとなっている知識に圧倒された。本書の主人公は、総理大臣池田勇人だけではなく、後援会「宏池会」を支えた田村敏雄、池田の理論的支柱であった経済学者の下村治を併せた3人と言っても良い。沢木は、新聞・雑誌の記事、宏池会の機関紙、主人公たちの随筆などのみならず、下村の経済学論文を丹念に読んでいる。沢木自身も経済学部の出身であるから、経済学の論文を読むことに一般人よりは慣れているではあろうが、それにしても大変なことだ。私がジャーナリストという職業を甘く見ていたのかもしれない。

この本で下村という人物を初めて知ったが、彼は本をあまり読まない人だったらしい。
毎日新聞の経済部の中で、ほとんど例外的に下村と接触を保ち続けていた記者の稲田正義によれば、三鷹の家を訪ねて驚いたのは、その本の少なさだったという。

それは海老沢もいっている。

三鷹から小金井に引っ越し、いちおう書斎らしい部屋ができた。そして、本もいくらか増えている。だいぶ本が増えましたね、というと、これは息子の本ですといって笑ったという。(138ページ)

海老沢は大蔵省の後輩であるが、あるとき下村は海老沢に「自分が本当に読んだのは五冊だけだ」と言ったという(138ページから139ページ)。その5冊はいずれも経済学書(うち2冊はケインズ)であるが、彼が「本当に読んだ」というのは、それこそ隅々まで理解し、理論の良いところ、不十分なところを検討しつくしたということなのだろう。本が少なかったのは、読んだ本はすべて内容を覚えていたからではないか。私のように、読み終わった本の内容について覚えていることより忘れてしまったことの方が多い人間にとっては、羨ましいかぎりの話である。

医療ガバナンス学会発行のメールマガジン「MRIC」で2016年2月17日に小松秀樹「Vol.043 電子カルテ改ざん」が配信された(http://medg.jp/mt/?p=6510)。小松は虎の門病院泌尿器科部長から亀田総合病院副院長となり、先日解雇された人物だ。「医療崩壊」という言葉を広め、「立ち去り型サボタージュ」という言葉を作り出した。

診療記録の改竄(カルテ改ざん)は、無論犯罪である。以前は医療紛争が予想される場合に組織的に行われていたこともある。だが、医療不信をなくし、医療安全を推進しようという努力の結果か、最近はそのような話を聞かなくなった。電子カルテが導入されたことも理由のひとつだろう。電子カルテではすべてのデータが入力者(発生源)とタイムスタンプ(データが作成された時刻)と共に保存されており、データを書き換えることができず、修正はすべて改版によって行なわれ、修正前のデータも履歴として保存される。

しかし、デジタルの世界に不可能はない。改版なしの修正や、データの削除も、システムの詳細を知っているものにとっては難しいことではない。ただ、どの電子カルテベンダも、自分たちの製品の信用に関わる問題であるから、そのような修正にはいっさい応じず、データベースの仕組みも極秘事項として明らかにしない……と思っていた。

ところが、小松によれば、改竄が行なわれているとの情報があるという。
これまで大病院での電子カルテ改ざんはないとされてきた。しかし、複数の情報から、ある大病院グループで電子カルテ改ざんが常態化しているらしいことが分かってきた。不正行為に手を染める者は、目先の欲望に忠実で行動の制御が弱い。放置すれば、徐々にエスカレートする。地方厚生局による指導・監査対策から、患者との紛争対策に、改ざんの目的が拡大するのは、容易に想像できる。既にエスカレートしているかもしれない。将来、条件が整えば、改ざんを金で引き受ける事態だってないとはいえない。

小松は、病院名を明らかにしていない。しかし、信頼できる情報だからこそ、警告として公開したのだろう。上の文章に続いて、彼は次のように糾弾している。
改ざんは、患者はもちろんのこと、医療界、電子カルテ業界に対する裏切り行為である。電子カルテの改ざんが行われている病院は、「目先の欲望に忠実で行動の制御が弱い」。患者は、安心して、手術など、リスクの高い治療を受けることができない。医師や事務職員は刑事事件に巻き込まれるかもしれないので、就職するにも覚悟が必要になる。

私は電子カルテの真正性の担保をベンダ任せにしてきた国にも責任があると思う。暗号化システムの認証制度を整えるなど、人間の倫理性に頼りきった仕組みを変えていかなければならない。性悪説なのではない。人間は弱いものであるから、悪行への誘惑の元を断とうということなのだ。

2017年4月に開始予定の新専門医制度について、2月18日の社会保障審議会医療部会で議論され、複数の委員から制度開始の延期を求める意見が出されたという。「日経メディカル」から2月19日にニュース「新専門医制度、2017年スタートに暗雲―医療部会に委員会設置を決定、開始時期を含めて検討」が配信された(http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t221/201602/545866.html)。

新制度では主に大学病院が基幹病院となって研修施設群を作り、専攻医(専門医を目指す医師)は研修施設を回ってその施設に割り当てられた症例数を経験する。各委員の反対意見を一部引用する。
日本医療法人協会会長の加納繁照氏は、「必要症例数や、研修施設の指導医数などが規定されていることから、若手医師が大きな基幹病院しか回れなくなる。若手医師が中小病院からいなくなり、医療提供体制が崩壊するのではないか」と指摘。全国自治体病院協議会会長の邉見公雄氏も、「研修プログラムの整備基準で研修基幹施設の基準として常勤指導医数が規定されているが、該当する病院が県に一つしかないところもある。医師の進路が絞られてしまうのは大きな問題だ」と話した。

中小病院であっても、研修施設群を構成する連携施設になれば専攻医を受け入れることはできる。だが、日本精神科病院協会会長の山崎學氏は「症例数が少なければ数カ月しか研修できなくなる。地方の中小病院はとどめを刺される」と訴えた。

医師国家試験合格後に義務付けられた臨床研修制度では初期研修医が市中病院で研修を受けることが多いため、一時期大学の医局は雑用係がいなくなり大変だった。そのために今回の専門医制度では、大学以外の病院が基幹病院にならないよう、各学会が露骨な締め付けをおこなった。大学は専攻医を囲い込もうとしているのだ。加納や邉見が指摘しているのはそのことだ。

日本の専門医制度は確かに甘い。学会に所属し、ペーパーテストに受かれば専門医になれる。したがって能力的に劣る「認定医」や「専門医」は多い。特に外科系の場合、専門医になるのに必要とされる症例数が少ない。「手術の下手な専門医」など珍しくない。

専門医の敷居を高くして質を上げる努力は必要である。今回の新専門医制度の問題は、制度が専門医の能力向上を図って設計されたものではなく、大学や学会の目先の利益を考えて設計したものだということだ。不幸なのはこれから専門医を目指そうとしている若い医師たちだ。

だが、厚生労働省の審議会がもめたということは、審議会がしっかり機能しているということの証拠だと言えるだろう。委員の発言にも自己の利益追求を図っているように思えるものがあることは気になるが、将来を見据えた良い制度に作り変えていってほしい。 続きを読む

最後に少々苦言を呈しておきたい。説明困難なものをあえて説明しようとするとき、わかりやすくしようとして、不完全な喩えやあいまいな知識に頼ってしまうことがある。それがかえって混乱の元となる。私はいわゆる「不可知論者」で、知らないものやわからないものを頭から否定しようとは思わない。肯定も否定もしないという態度をとる。だが、著者らの記述の一部については、私も十分な知識を持ち合わせているとは言えないものの、医学の通説あるいは常識から大きく外れているため違和感を感じる。

たとえば、ナンバではない現代の歩き方に対して、以下のような情報がある。
余談になるが、歩き方や走り方は健康にも関与するという話を聞いた。ある医師によると、現代の上肢、下肢の左右交互型の歩行は、内臓への負担を増大させ、便秘の原因にもなるという。(71ページから87ページ)

しかし、こういった話は聞いたことがない。きちんとした学術雑誌に発表されているという話も聞かない。「ある医師」とはどのような医師で、その発言の根拠はどこにあるのか、明らかにされなければ信じることはできない。

また、2000年前後のプロ野球首位打者に右利き左打ちの選手が多い理由として、「利き目」の右目が投手に近いことを挙げている。
つまり右が利き目の左打者は、右目で球道を追っていることになるだろう。これは、右が利き目の右打者に比べて投球を近くで見ていることを意味し、球筋を手元までしっかり見極めることができるという利点にも繋がる。(111ページ)

本当にそうだろうか。左右の目の距離は15cmほどだ。その距離がそんなに違いを生むのだろうか。「それが生むんだよ」と言われてしまえばそれまでだが、こじつけのように思えてならない。こういった記述はこの本の価値を下げるものだと思う。

以前、私が玄米を食べていたとき、それを知ったある内科医が「玄米は体に良くない。江戸時代の平均寿命が短かったのは玄米を食べていたからだ」と言ったと人づてに聞いた。そんな話を私は聞いたことがない。現在は私はあまり玄米を食べなくなってしまったが、食べていたときもこれといって不都合なことはなかった。もともと健康なほうなので、玄米を食べたからといって特に良かったことも無いが、もちろん悪かったことも無い。医師だからといって、医学的な発言がすべて正しいわけではない。引用の際には充分注意しなければならない。

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