将来の医療費が国家財政を圧迫し、このままいくと医療制度が破綻することが明らかなのであれば、今後の医療はある意味で縮小してゆかねばならない。11月27日に閣議決定された「2016年度予算編成の方針」について、医療ポータルサイト「m3」には以下のような記事があった(https://www.m3.com/news/general/378740)。
縮小するに際して、アクセス、質、費用負担の3つを、どのようなバランスで縮小してゆけば良いのかが問題となる。質を下げるのは問題外だろう。最高の医療を諦めることはしかたないとしても、現在実現されている医療の質より低いレベルで我慢するという選択肢が受け入れられる可能性はない。少なくとも「現状維持」が望まれているはずだ。
費用負担を増加させるのにも限界がある。診療報酬を引き上げ、患者の負担を増加させれば、低所得者の医療へのアクセスを阻害することになり、生活保護受給世帯など医療費の支払いを免除されている人びとに対する不公平感が広がり、対立を悪化させる一因となる。
結局、アクセスを減少させるしかないと私は考えている。重要なのは、制度によって制限するのでなく、人びとが自ら医療から距離を置くような文化を醸成することだ。放置しておいても治る「病気」で医療機関や薬剤を利用するのは、決して勧められることではないという考え方、ものの見方を社会に植え付けなくてはならない。つまり、医療政策の問題というより、教育の問題であり、雰囲気作りの問題なのだ。
それには、医療機関や製薬会社が広告宣伝を行なうことを制限しなければならないだろう。それどころか、タバコのパッケージに「健康を損なう」と明記しようという考えと同じで、医療機関の玄関に「不要な受診はかえって健康を害する」と掲示しても良いほどなのだ。医療機関のなかには経営が立ち行かなくなるものも現れるかもしれない。だから「軟着陸」が望ましい。
いろいろな意見があるかとは思うが、医療者の本務が患者の健康を増進することであれば、患者の受療を減らすこと、受療しないで済む力を患者に付けることも、医療者の勤めのはずだ。
基本方針の中で、医療を含む社会保障関連費について具体的な言及はなかったが、堅持を掲げる「経済・財政再生計画」で、高齢化等に伴う社会保障関連費の増加分を3年間で1兆5000兆円以内に抑えるとしており、2016年度の増加分を確実に5000億円に抑えることが求められそうだ。厚労省は高齢化等に伴う伸びとして6700億円増を概算要求しており、1700億円の削減となる。
社会保障関連費は介護や年金も含まれるが、2016年度に改定や制度改正があるのは医療だけで、1700億円の削減は医療だけがターゲットだ。
縮小するに際して、アクセス、質、費用負担の3つを、どのようなバランスで縮小してゆけば良いのかが問題となる。質を下げるのは問題外だろう。最高の医療を諦めることはしかたないとしても、現在実現されている医療の質より低いレベルで我慢するという選択肢が受け入れられる可能性はない。少なくとも「現状維持」が望まれているはずだ。
費用負担を増加させるのにも限界がある。診療報酬を引き上げ、患者の負担を増加させれば、低所得者の医療へのアクセスを阻害することになり、生活保護受給世帯など医療費の支払いを免除されている人びとに対する不公平感が広がり、対立を悪化させる一因となる。
結局、アクセスを減少させるしかないと私は考えている。重要なのは、制度によって制限するのでなく、人びとが自ら医療から距離を置くような文化を醸成することだ。放置しておいても治る「病気」で医療機関や薬剤を利用するのは、決して勧められることではないという考え方、ものの見方を社会に植え付けなくてはならない。つまり、医療政策の問題というより、教育の問題であり、雰囲気作りの問題なのだ。
それには、医療機関や製薬会社が広告宣伝を行なうことを制限しなければならないだろう。それどころか、タバコのパッケージに「健康を損なう」と明記しようという考えと同じで、医療機関の玄関に「不要な受診はかえって健康を害する」と掲示しても良いほどなのだ。医療機関のなかには経営が立ち行かなくなるものも現れるかもしれない。だから「軟着陸」が望ましい。
いろいろな意見があるかとは思うが、医療者の本務が患者の健康を増進することであれば、患者の受療を減らすこと、受療しないで済む力を患者に付けることも、医療者の勤めのはずだ。