表記のセミナーを受講した。考えてみればおかしなタイトルである。私たちが対策を必要としているのは「医療事故」に対してのはずだ。なぜ医療事故調査「制度」に対して「対策」が必要なのだろうか。
今年10月から改正医療法が施行され、法律で「医療事故」とされるのは「管理者が予期しなかった(提供した医療に起因する)死亡・死産」のみとなった。しかし、従来「医療事故」として扱われてきた死亡に至らなかった事案も、医療安全上の重要性は同じである。そう考えれば、改正医療法上の「医療事故」(予期しなかった死亡事案)のみに拘泥することは適切ではない。私たちはすべての有害事象に取り組み、対策を講じねばならない。
医療事故報告を受理する「日本医療安全調査機構」の木村常務理事は、いずれは重篤な後遺症を発症したものも扱うであろうと言っていたが、少し騒ぎすぎのように感じる向きもあるかもしれない。
ところが医療界には、実は医療事故調査制度に対する強い不信があるのだ。医療事故調査制度は医療安全のための制度であると、繰り返し述べられている。法律にも省令にもそのような記述がある。しかしこの制度には刑事免責も当事者保護の仕組みもない。いくら「医療安全のための制度」だと声を高くして訴えても、この制度を責任追及に利用することに対する歯止めが一切ないのだ。
日本国憲法では、黙秘権が認められている。諸外国の法律でも同様の規定が一般的だが、人は自分に不利な証言を強要されることはない。これは、人がきわめて圧力に弱い存在で、強要されれば真実と異なる「自白」をしてしまうことに由来する。極端な場合は、事実と異なることを事実と信じてしまう。数々の冤罪事件がそれを証明している。だから、人は自分に不利な証言をしなくてよい。その人が不正行為を行なったかどうかを立証する責任は国家や相手方にある。
医療事故の当事者となった場合、本来その人にはすべてを証言する義務がない。それでは事故の本質が明らかにならず、医療安全に寄与しないので、当事者を刑事免責する国が多い。ところが日本は刑事免責の制度がない。
その点を誤解して、医療安全のためとセンターに報告すると、当事者は非常に辛い立場に立たされる可能性がある。本来過失もなく、ただ結果が悪かっただけという事案に関わり、善意ですべてを述べた医療者が、刑事被告になったり、マスコミの批判の矢面に立たされたりする可能性がある。事情を知っている人びとは、それを心配しているのだ。
今年10月から改正医療法が施行され、法律で「医療事故」とされるのは「管理者が予期しなかった(提供した医療に起因する)死亡・死産」のみとなった。しかし、従来「医療事故」として扱われてきた死亡に至らなかった事案も、医療安全上の重要性は同じである。そう考えれば、改正医療法上の「医療事故」(予期しなかった死亡事案)のみに拘泥することは適切ではない。私たちはすべての有害事象に取り組み、対策を講じねばならない。
医療事故報告を受理する「日本医療安全調査機構」の木村常務理事は、いずれは重篤な後遺症を発症したものも扱うであろうと言っていたが、少し騒ぎすぎのように感じる向きもあるかもしれない。
ところが医療界には、実は医療事故調査制度に対する強い不信があるのだ。医療事故調査制度は医療安全のための制度であると、繰り返し述べられている。法律にも省令にもそのような記述がある。しかしこの制度には刑事免責も当事者保護の仕組みもない。いくら「医療安全のための制度」だと声を高くして訴えても、この制度を責任追及に利用することに対する歯止めが一切ないのだ。
日本国憲法では、黙秘権が認められている。諸外国の法律でも同様の規定が一般的だが、人は自分に不利な証言を強要されることはない。これは、人がきわめて圧力に弱い存在で、強要されれば真実と異なる「自白」をしてしまうことに由来する。極端な場合は、事実と異なることを事実と信じてしまう。数々の冤罪事件がそれを証明している。だから、人は自分に不利な証言をしなくてよい。その人が不正行為を行なったかどうかを立証する責任は国家や相手方にある。
医療事故の当事者となった場合、本来その人にはすべてを証言する義務がない。それでは事故の本質が明らかにならず、医療安全に寄与しないので、当事者を刑事免責する国が多い。ところが日本は刑事免責の制度がない。
その点を誤解して、医療安全のためとセンターに報告すると、当事者は非常に辛い立場に立たされる可能性がある。本来過失もなく、ただ結果が悪かっただけという事案に関わり、善意ですべてを述べた医療者が、刑事被告になったり、マスコミの批判の矢面に立たされたりする可能性がある。事情を知っている人びとは、それを心配しているのだ。