阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2015年07月

医学系新聞紙「メディカル・トリビューン」2015年7月16日では米食品医薬品局(FDA)が6月18日に視覚障害者のための「舌で見る」視覚代行デバイスを承認したという話も報道されていた。眼鏡型カメラをかけ、電極を舌の上に載せて使用するものだ。「MT Pro」に転載された記事(http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtnews/2015/M48290152/)から引用する。
ビデオカメラが搭載された眼鏡を頭部に、切手サイズの電極アレイを口腔内(舌の先端)に装着して使用する。カメラを通した映像がコントローラーで電気信号に変換、口腔内の電極に送られ、舌に振動や刺激として伝えられる。舌に伝えられた刺激の強さの違いから対象物の形や動き、大きさ、自分との距離などを認識できる。

ただし「舌で見る感覚を得る」には1年程度の訓練が必要だとのことだ。しかし、埋め込みなどの手術が不要であり、失明の原因にかかわらず使用できるメリットは大きいだろう。
FDAによると、同デバイスの訓練を完了した74例が参加した臨床試験では、69%が物体認識テストの成績が良好と判定された。デバイス使用に関連した重大な有害事象はなかったが、口腔内での電極アレイ使用に伴う灼熱感、刺激感や金属味などが報告された。過去の論文では、これまでに、文字を認識できるようになったり、「三目並べ」ができるようになったり、ロッククライミングのホールドを認識できるようになった人もいると紹介されている。同社の公式サイトでは、視覚障害の冒険家Erik Weihenmayer氏による実際の使用時の画像を見ることができる。

「舌で聞く」機器も開発中とのことで、このような医学の発展は大いに歓迎すべきだ。

米国の循環器科学専門誌「Circulation」で、加糖飲料の摂取が原因と考えられる死亡者数の調査結果が発表され、医学系新聞紙「メディカル・トリビューン」2015年7月16日に紹介記事が掲載されるとともに、ポータルサイト「MT Pro」にも「18万人超が加糖飲料関連疾患で死亡―世界187カ国中,最も少ないのは日本」(http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtnews/2015/M48290012/)として掲載された。

専門家チーム(NutriCoDE)の研究から、2010年の加糖飲料の摂取が原因と考えられる死亡者数は世界で18万人を超えることがわかったのだそうだ。日本は、加糖飲料に関連した死亡率が諸外国に比べて極めて低く、65歳以上で1%未満と世界で最も低かったという。

米国では加糖飲料を法律で規制しようとする動きもあるくらいで、欧米では「砂糖は毒物」という評価が定着しているのだろう。実際、炭酸飲料、スポーツドリンク、フルーツ飲料などの糖分を大量に含む加糖飲料を摂取すると、心血管疾患(CVD)、がん、糖尿病などの肥満に関連した慢性疾患リスクが高まることが知られている。今回の研究の結果は以下のとおり。
加糖飲料の摂取に関連した死亡者数は世界で年間18万4,000人と推定された。このうち糖尿病による死亡は13万3,000人、CVDによる死亡は4万5,000人、がんによる死亡は6,450人だった。

加糖飲料摂取関連死の71%は中所得国,24%が高所得国,5%が低所得国におけるものだった。

187カ国中,加糖飲料摂取に関連した死亡の割合(以下、加糖飲料摂取による死亡率)が最も低かったのは65歳以上の日本人で1%未満。最も高かったのは45歳未満のメキシコ人で30%だった。 [引用者が一部を省略]

人間は遺伝子の中に甘いものを好む仕組みが組み込まれている。自然界には甘いもので毒があるものはなく、人間の体にとって糖分は良質のエネルギー源だからだ。しかし、それは甘いものが手に入りにくい石器時代に培われた性質だ。現在のように甘いものが簡単に手に入るようになると、その性質がかえって邪魔になる。このブログでも何度も取りあげてきたきた話題だが、普遍的に適用できる良い解決方法がない。

先日、目を疑うような記事を目にした。医療ポータルサイト「MT Pro」で2015年7月13日に掲載された「全国医師ユニオン」が7月11日に開催した緊急報告会の記事「麻酔科医は手術中座っての読書や休憩も可能―判例になったらとんでもないことに」(http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/1507/1507054.html)である。

以下、記事から引用する。
2007年、勤務先の病院で脳出血により倒れ、遷延性意識障害の状態で寝たきりとなった当時53歳の副院長兼麻酔科部長とその妻が原告となり、事業主の安全配慮義務違反を訴える民事訴訟を起こした。今年4月、東京地裁は「業務の過重性は認められなかった」と原告の訴えを棄却。さらに判決文で裁判官は麻酔科医の業務について「手術中、椅子に座って本を読んだり、休憩したりすることも可能」などの見解を示した。

もちろん、すべての麻酔症例が大変なわけではない。現在は知らないが、昔は2部屋掛け持ちで麻酔をかけることがあった。麻酔をかけながら居眠りをしていたり、本を読んだりしている医師もいた。しかし、それは手術が簡単なもので、しかも術者の腕が良いと初めから分かっている場合だ。いくら昔でも、すべての麻酔管理がそのようであったわけではない。むしろそれは例外だった。一般論として、手術中に事故があれば、患者の生命を維持し、状態を安定させる責任は麻酔科医にもある。麻酔科医は、常に手術の進捗状況と患者の状態に気を配りながら、一見のんびりしているように見えても、心の中では緊張しているものなのである。

さらに、記事によればこの麻酔科医の勤務は異常だ。
植山氏によると、原告医師は地域中核病院(ベッド数199床)の副院長兼麻酔科部長として勤務。麻酔科の常勤は当時1人で、非常勤医師が3人の体制。同医師は副院長の他、感染対策委員長としても業務に当たり、関連会議や病院スタッフへの講義などにも従事していた。また、週4日の麻酔担当日があり術後の重症患者管理やオンコール対応の他、週1回ずつの外科外来や消化管内視鏡検査も担当。この他、倒れる直前には月1~2回の2泊3日の当直業務に当たっていた。

私なら退職している。このような勤務状態を放置していた病院も問題だが、私は特に判決文を書いた裁判官を問題にしたい。基本的に、当直の経験がない裁判官に当直の辛さはわからない。これは役人にも言える。32時間労働の経験がない人には、当直がどれだけ辛いものかはわからない。しかし、これは「経験した者でなければわからない」という一般論とは違う。犯罪被害者や被災者の心情は当事者でなければわからないが、希望して当事者になることはできない。しかし、32時間労働なら経験できる。どこかの地域中核病院に行って、当直の医師に32時間ついて歩けば少しはわかる。そのような努力もせず、頭の中で考えただけで軽々に人の一生に関わる結論を出してほしくない。

昨日に引き続き、「日経メディカル」の記事を読んで感じたことを書いておきたい。

記者は外国人とのコミュニケーションツールとして、電話を用いた医療通訳サービスを紹介している。現在は日中のみのサービスだが、東京オリンピックなど控えて、徐々に対応時間が延長されるかもしれない。

記事では「医師自身も忍耐強くなければいけないのでしょうが」と書いているが、忍耐するべきときもあれば、忍耐が不要のときもある。病院の規則や日本の医療制度を説明し、患者(家族)が納得しないのであれば、それは忍耐の対象でも説得の対象でもない。医師は次の患者の診療にかかるべきで、その患者への対応は終了としなければならない。患者が騒ぐようであれば、その程度によっては警備員・守衛など保安要員の出番だろう。医師が日本の制度と病院の規則に則って真摯に対応している場合には、理解できない部分があっても引き下がらねばならない。大使館に相談したり、弁護士に相談したりすることもあるだろうが、それは患者側の裁量の範囲内である。

それより私が気になるのは、医師が暴言に弱いことと、日本人がストレートな感情表現に弱いことである。以前、ある人から「医者はだいたい良家の子女だから危ない奴らと付き合ったことがない。だから診察室でヤクザにすごまれると簡単にビビっちゃうんだ」と言われたことがある。そうなのかもしれない。たしかに私もヤクザの相手は苦手だ。

日本人は感情を表に出すのが不得意だと言われる。地方によって差があるようだが、たしかに中国や韓国での事故報道での被害者家族の反応を見ていると、日本人との差を感じる。しかし、中国や韓国ではそれが当然の行為と受け止められているので、周囲もそれで感情的に動揺することがない。ところが日本人の場合、患者家族から泣きわめく、どなるなどの感情表現をされると、それが非常に強いストレスとなる。

以前、病棟で患者家族が怒鳴っていて暴力を振るいそうだと言われて駆けつけたことがある。患者は出産のため入院し、無事出産したが、児の検査値に異常があったため経過観察が必要とされ退院が少し延びた。退院にあたって夫が検査値の説明を受けたのだが、疑問に感じたことがあり、説明を求めた。その説明が理解できなかったようで、病院側が説明をごまかして厄介払いをしようとしていると考え、怒り出したらしい。声を荒げ、机を叩き、大声で怒鳴る。それを見ただけで周囲の日本人たちは萎縮してしまう。同じように大声でこちらの主張をし、一歩も引かないというような芸当のできる人間は、私も含め誰もいなかった。そのときは、幸いなことに問題が解決した。夫は「正常」という判断ではなく、検査値の正常範囲を知りたかったのだ。正常といっても正常範囲ギリギリなのか、すっかり正常化したのかを知りたかった。説明する側も、外国語での説明になるので、要点のみの説明しかできていなかった。コンピュータ技術者の夫は、もっと詳細な説明が欲しかったのだ。

前の例に戻れば、相手の大声に対し、こちらも日本語で大声でまくしたて、正しいものは正しい、できないものはできないと突っぱねてもよかったのではないかと思う。私ならそうするかもしれない。

昨日のブログでも触れたが、2014年12月、ある病院で当直医が患者家族に「暴言」を吐いたという報道があって、話題になった。2015年2月16日付で「日経メディカル」のホームページに掲載された、若手医師向けの記事「若手医師はなぜ外国人家族に「死ね」と言ってしまったのか?」(http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/cadetto/igakusei/sasatta/201502/540709.html)について書きたい。

医療関係者の書く記事は、一般に医師側に同情的である。私が事件直後に目にした新聞などの論調が医師に対して非常に批判的だったのと好対照だ。
事件が起きたのは2014年の12月。激昂する家族に対し、医師らは2時間の説得を行ったそうです。それでも大声で入院の希望や急変時の責任の所在、診断書の作成を訴え続ける家族に疲れ果てた医師が腹を立ててしまい、「クソ、死ね」など不適切な発言をしてしまったとされるものでした。

家族はその後、医師らとのやり取りの様子を携帯端末で撮影し、その動画を動画サイトに投稿した。「事件」は大きく取り上げられることとなり、医師の所属する病院が「不適切な発言をした医師に対しては、病院長から厳重注意を行いました。今後、二度とこのようなことがないよう病院全体で再発防止に努めて参ります」などと記した謝罪文をウェブサイトに掲載した。

記者は「この事件は、いくつかの問題が重なった、不幸な事件だったと思います」として、その問題として以下の項目を挙げている。
夜間救急
言語の問題
患者個人の特質

全体の論調としては、病院の制度について2時間説得しても譲らず大声を上げる外国人家族側にも大きな問題があったとするようにも読める。
若手医師の不適切な発言の後、怒った家族はこの医師の胸ぐらをつかんで突き飛ばしたと報道されています。説得を試みても興奮が収まらないなど、今回の家族がいわゆるモンスターペイシェントだったのか、コミュニケーションが取れなかったことによるイライラが大きかっただけなのかは分かりません。ただし、患者さんや家族が詳細な説明を求める風潮が強くなっていることは事実のようです。

突き飛ばしたのが事実とすれば、それは暴行であり、病院によっては直ちに警察に通報する事案である。たとえその菊きっかけを作ったのが医師の言葉であったとしても、身体的暴力の一線を越えた場合は、咎められるべきことの大半は患者家族側にある。病院としても、一方的に謝るのではなく、毅然として医師を守って欲しかった。

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