阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2015年04月

ウェブマガジン「日経メディカルオンライン」で2015年4月23日に配信された「名大病院にあって群馬大病院になかったもの―事故対応が炙り出すリーダーシップの質」(http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/201504/541744.html)について書きたい。

昨日のブログで私は群馬大学の対応を批判したが、この記事では2002年8月に名古屋大学医学部附属病院で起きた腹腔鏡下手術による死亡事故に対する名大病院の対応と比較して群大の在り方を論じている。
名古屋大病院の事故は、潰瘍性大腸炎に対して腹腔鏡下手術が行われた事例だ。執刀医が腹腔鏡挿入トロッカーという器具を挿入する際に腹部大動脈を損傷。患者は大量出血を来し、その後の懸命な救命医療も及ばず死亡してしまった。

当時院長だった二村雄次は事故対応に取り組む病院の姿勢として「隠さない、逃げない、ごまかさない」という基本方針を定めたという。名大病院は、原因究明と再発防止策の立案を目的に、学外委員3人を含む医療事故調査委員会を設置したが、学外委員の参加は国立大学病院として初めてだった。
調査委員会の設置とその活動を支え続けたのが病院長のリーダーシップだ。院長は捜査に入っていた愛知県警に働き掛け、院内調査が済むまで捜査を中断するよう要請。これに対し警察は、積極的な捜査をしないという姿勢で応じた。また、調査委員会のメンバーに、当時から患者の視点で医療事故対応に取り組んでいた栄法律事務所の弁護士、加藤良夫氏も招へいした。外部委員の参加に加え、患者側の弁護活動を展開する弁護士への参加要請は、当時としては異例のことだった。「私がメンバーに選ばれた理由は、院長の『逃げない、隠さない、ごまかさない』という強い意思を具体化したものと受け止めた」(加藤氏)。

加藤は調査委員会で2つのことを提案した。ひとつは黙秘権が認められると伝えること、もうひとつは事情聴取の際に弁護士を同席させる権利を保障することだ。一方病院も、当事者の証言が真相究明に欠かせないと考え、調査対象の当事者には責任追及ではなく再発防止のための調査であると説明し、院内の懲戒処分をしないと約束した。その効果があって、事故を起こした医師は積極的に調査に協力したという。医療事故調査報告書は事故発生から2カ月後には公表され、遺族側にも交付された(http://www.med.nagoya-u.ac.jp/anzen/img/second_image/history/a.pdf)。

非常に立派な対応である。それに対して、群大の対応はあまりにも情けない。当時の院長は2015年度から学長に就任することが決まっていたというが、就任を焦るあまり早期の幕引きを狙ったのではないかという指摘もある。「事故」を起こした医師の権利無視もひどい。医師から上申書の提出があったにもかかわらず一部委員に伝えていなかったこと、病院が独自に過失の判断をし、報告書に後付けで加筆したこと、外部委員を実質的に審議に参加させず、委員とは名ばかりなものであったこと、どれひとつ取っても群大のレベルの低さがわかる。

医療ガバナンス学会(http://medg.jp)発行のメールマガジン「MRIC」で2015年4月22日に配信されたVol.079「プロメテウスの責め苦~あるいは専門家とは誰か? 「群馬大学医学部附属病院 腹腔鏡下肝切除術事故調査報告書」について」(http://medg.jp/mt/?p=3564)を読んで感じたことを書きたい。この記事の筆者は中村利仁で、外科医と思われるが、肩書きは「医師(休診中)」となっている。

この「事故」はすでに有名であるが、群馬大学医学部附属病院で2010年から2014年の間に、腹腔鏡による肝臓切除手術を受けた患者8人が相次いで死亡した事案を指している。2015年3月6日に最終報告書なるものが公表されたものの、その後過失認定の記述を削除する「追記」が行われている。

私は肝臓は専門外なので、きちんとした理解は困難だろうと判断して、事故報告書を読んでいない。時間が無いことも読んでいない理由のひとつだ。したがって、私はこの記事の真偽を判定することはできない。しかし、この記事が発表された経緯、言葉遣い、議論の進め方などからすると、この記事の内容は信頼に足るものではないかと考えられる。

中村は、調査報告書の作成者に基礎的な医学的知識が欠けていると断定している。報告書にICG検査に関する記述があるのだが、明らかに間違っていると言う。
この報告書の主たる筆者は、明らかに、ICG試験についての基礎的知識がありません。経験も勉強した形跡もありません。採血回数やそのタイミングを知らないことが明らかだからです。実はICG15分停滞率で10%は正常肝と考えられるのですが、筆者はそれも知りません。また、調査委員会のメンバーの誰一人として、事前に調査報告書の内容の医学的精査をしていません。精査していれば当然に気付いて修正されていたはずの間違いです。

また、中村は調査委員たちが電子カルテの検査データを直接見ていないと推測している。検査結果を直接確認すれば、ICG試験について上で指摘したような間違いを犯さないはずだからだ。中村の想像では、調査報告書の筆者は電子カルテに転記(つまりコピペ)された検査データだけを見て、他の検査データを確認することなしに報告書を書いている。
傍証があります。患者別事故調査報告書(5)の「1.1 手術までの経過について」に「手術前の主な検査所見(2014.12.6)」(この日付は中間報告書公表直前であり、杜撰な単純ミスであると考えます)に、「AST53 IU/l,ALT 37 IU/l,LDH245 IU/l」との記載があるのに、総ビリルビン値の記載がありません。術前検査データを直接見ていれば、この欠落に気付いて当然のはずです。肝切除の術前評価にICG15分停滞率が必須と考える人が、総ビリルビン値に興味を感じないというのはやはり奇妙なことだからです。

調査委員会の外部委員である神戸大学医学部附属病院特命教授・味木徹夫は初回の委員会にしか参加していなかったことが明らかになっており、その点についても群馬大学の対応が非難されている。調査委員の中には、味木以外には内視鏡外科学会の技術認定医がいない。味木は検討からも排除されたのみならず、執筆にも、公表前の医学的精査にも参加していないと推定される。

中村は、この調査報告書が、過失ありという結論を前提に作成されたものではないかと疑う。そして、外科医の目から見て「当然やるべき検討をしていない調査報告書の、何を信用に値すると考えればいいのでしょうか。もはや、事実として記載されている部分についても、疑って懸かるのが当然でしょう」と言う。

私も、この調査報告書によって医師への信頼がさらに低下し、医師の自立能力への疑念がさらに深まったと感じている。大学は過失を認めれば評価されると思ったのだろうか。そうだとすれば、彼らの知的レベルも疑わなくてはならない。

日経ヘルスケアの連載「病医院トラブル100番日記」の2015年4月号掲載分を読んで感じたことを書きたい。筆者は尾内康彦で、大阪保険医協会の事務局主幹である。

今回の記事は、ある大企業が100%出資した子会社がオープンした有料老人ホームの入居者家族からのハードクレームの話だった。
入居者の長男は50歳代の男性C。父親の入居を決める際には、「明日にでも入れてほしい」と頭を下げてきたもの の、父親が実際に入居して程なくすると、「職員の愛想が悪い」「居室の掃除の仕方が気に入らない」などと、細かい クレームをたくさんつけてきた。

その後、Cの父親は個室内で自ら転倒した。大事には至らず済んだものの、Cは施設側の責任を厳しく追及した。以来、Cの攻撃はエスカレートし、面談には3時間ほどかかるようになり、クレームの電話は短くて1時間、長ければ5時間にも及んだという。
さらに、医娠饗未払い騒動もあった。Cの父親が尻に皮膚炎を患ったため、連携先であるA医師の診察を受けて薬を出してもらうか、皮膚科の専門医療機関を受診させた方がよいかを、職員がCに何度も連絡しても、一切返事はなし。やむなく皮膚科の専門医療機関を受診させたところ、「勝手にそちらの判断で連れて行ったのだから、診療費は払わない」と言い出し、それっきり全く取り合ってくれなかった。

おまけに、ことあるごとに父親を特別扱いするように要求する。なぜCがこのような横暴な態度をとったかという理由は記事の後半で明かされた。Cは親会社の大株主だったのだ。尾内はこのような権力にものを言わせて傍若無人な態度をとるハードクレーマーが大嫌いだとのことで、きちんとした対応を取るようにアドバイスした。第1はできることとできないことをはっきりと告げること、第2は脅しに屈しないこと、第3はCに連絡が取りにくいことを厳しく問うことだ。
第4に、施設側がきちんとアクションを起こしてもCの態度が変わらないようであれば、父親には悪いが、「退居を通告」すべきである。Cには父親を自宅で介護する気持ちなど全くないに違いない。自分が株主で影響を及ぼせると踏んで、この施設に入れてきたというのが私の見立てだった。

施設は半年近く準備した上でCに反論を試みたところ、Cの態度は明らかに軟化したという。クレーマーへの対処は毅然とした態度が重要だと、今さらながら感じた。

日経ヘルスケアに裴英洙(はい・えいしゅ)が連載している「総合経営医Dr.ハイの院長、ちょっと待って!」の2015年4月号「その採用、ちょっと待って!」を読んで感じたことを書きたい。裴は金沢大学を卒業後、外科医、病理医を経てMBAを取得し、現在は医療経営コンサルタントを営んでいる。

職員の採用は難しい。一番良いのはよく知っている知り合いを頼むことだが、一般にはそうはいかない。この記事は、医院や病院が職員を採用するときのアドバイスを記したものだ。筆者は公共職業安定所(ハローワーク)、専門職バンク(ナースバンクなど)、求人誌、折り込みチラシ、知人紹介と列挙した後で、知人紹介からトライすることを勧めている。費用がかからず、信頼がおけることが利点だが、職員満足度のテストにもなると述べる。
自院の職場を知人に勧めたいかどうかは、究極の職員満足度テストなのだ。職員が誇りに思っている職場なら紹介したいと考えるだろうが、「友人にはこの職場を紹介できない」と思えば紹介には結びつかず、それは経営者への不満を伝える無言のメッセージとも取れる。採用側は真摯にそのことを受け止めてほしい。

また筆者は面接のコツとして以下の3点を挙げる。
1. 1人勝負・1回勝負は避ける
2. 人材要件を明確にする
3. 技能面だけでなく人間面を知る

ただし、私が勤務してきた経験では、複数回の面接をおこなうのは難しかった。お互いの時間の調整もさることながら、何回も面接に来てもらうほど競争率が高くないことが多いのだ。現在の勤務先でも「1回勝負」の面接が多い。人材要件により面接者を選別することも困難なことが多く、「とにかく(資格を持った)人がほしい」となってしまう傾向がある。これは勤務先の管理職も反省しており、きちんとした選択を心がけたいと言っている。

筆者は、面接を補う手段として、履歴書の一部(彼は「志望動機」を例に挙げている)を手書きで書くように指定して字を見る方法、別の部屋で課題をおこなうよう指示してその際の立ち居振る舞いや物品の扱い方を見る方法などを提案している。他にも、面接会場への案内役にそれとなく会話をさせ、人となりを探る方法などもあるが、私の経験では一番役に立つのが集団討論だ。協調性、積極性、論理性、明るさなどの要素が判断できる。

以前、別の勤務先で研修医の採用を担当していたことがある。その際は「無人島に行かねばならないとき1つだけ持って行けるとしたら何を持っていくか」などの課題を出して集団討論させた。採用した研修医の病棟での評判が悪く困ったことがあったが、面接を担当した私たちは「いや、彼は良いものを持っている。いずれスタッフはわかってくれるはず」と静観した。しばらく経って彼の人気は上がり、私たちは安堵するとともに自分たちの人を見る目に自信を持ったものだ。

佐々木健一『辞書になった男―ケンボー先生と山田先生』(文藝春秋)についてもう1回だけ書いておきたい。

見坊豪紀はもともと理科系の分野が得意で、用例採集もデータベース作りのようなつもりで臨んでいたらしい。彼は『三省堂国語辞典(第3版)』の序文に次のように書いた。
辞書は〝かがみ〟である ― これは、著者の変わらぬ信条であります。
辞書は、ことばを写す〝鏡〟であります。同時に、
辞書は、ことばを正す〝鑑(かがみ)〟であります。(『三国』三版 序文)(250ページ)

見坊は、日本語の現状を正確に映し出すためには、その基礎資料として日本語の語彙の現状を把握しなければならないと考えていた。そのために文字通りすべてを投げ打って145万例もの用例を集めたのだ。コンピュータのない時代にはカードを作るのが一番良い方法だったのだろう。見坊が現在生きていれば、インターネットの検索機能を生かした語彙調査をやっただろうし、計量言語学の方に進んでいたかもしれない。

ただし、ITの力を借りれば調査が容易になるかといえば、そうでもない。新しい単語を見つけるのは、構文解析をおこなって辞書にない単語を見つければいいので比較的容易だろうが、ある語に新しい用法が生まれた場合、それは前後関係(文脈)からしか推定できない。たとえば、「気が置けない」は「相手に対して気配りや遠慮をしなくてよい」という意味だが、これを「油断がならない」というような悪い意味で使う場合が最近では増えている。「気が置けない」をどちらの意味で使っているかは、単純な構文解析では判別できない。また、株式で使う「最高値(さいたかね)」のような語は、文字を追いかけていても「最高値(さいこうち)」と違う語だとはわからない。

一方、山田忠雄は、辞書は文明批評であると考えていた。
このことばは、見坊と金田一春彦が去った後も、生涯『新明解』の編者に名を連ねた柴田武先生が、度々山田から聞かされていた。
「もう~、何回聞いたか。もう、1回、2回じゃない。『辞書は文明批評だ』って。批評すべきものには、詳しく書き込みがしてあるんです」(245ページ)

見坊は自分と山田がそれぞれ米びつを持ったと言った(319ページ)。これは彼らが国語辞典の印税という安定した収入を得たことを言ったものだが、山田は同時に「メディア」をも得たのだ。彼には文明を、社会を批評したいという気持ちがあったのだろう。もし山田が現在生きていれば、おそらくブログを書くか、ホームページを立ち上げるかして文明批評を展開していただろう。

しかし、彼らは辞書を使って自己の心情を述べた。それが本書を読んでよくわかった。もしかしたら見坊は『新明解』を通読して山田の気持ちを読み、山田は『三国』を通読して見坊の気持ちを理解したのではないか。お互いの作った辞書を通じて、二人は相手の気持ちを少なくともある程度はわかっていたのではないかと想像する。

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