阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2015年02月

西欧社会も日本も、一夫一婦制から戻ることはできないだろう。一夫一婦制の歴史は、人間の進化の歴史の中ではごく短期間であるとはいえ、数百年の歴史を持つ。また、すでに一夫一婦制への適応が始まっていると考えていい。たとえば、ヒトの精子数は近年減少しているという。
ヒトの精子産生能力と精巣体積の急激な減少が最近起こっていることを示す強力な証拠があります。複数の研究者が、平均精子数のみならず精子の活動性が減少していることを報告しているのです。ある研究によれば、デンマーク人男性の平均精子数は1940年の1億1,300万個から1990年には約半分の6,600万個に減少したと示唆されています。(237ページ)

著者らは、これが一夫一婦制への適応が始まっている現れではないかと考えている。特定のパートナーだけを妊娠させるのであれば、現在ヒトのオスが持っているような精子産生能力は必要がない。

また、男女が相手の婚外交渉に対して抱く強い嫉妬心も、一夫一婦制を維持する強い力となるだろう。社会体制も一夫一婦制を支持する形になっているので、これも一夫一婦制から離脱する大きな障害となる。

著者らは、一夫一婦制が農業生産と密接に結びついたもので、私有した生産手段を後代に伝えるために発達した制度だと説明している。それならば、工業化された現代では生産手段の世襲はおこなわれないので、一夫一婦制を維持する意味は少なくなる。

実際、現在の離婚の多さと、シングルマザーの増加は、一夫一婦制が崩壊し、次の形態へと変わっていく過程を表していると著者らは考えているようだ。女性が一人で子どもを育てられる社会になれば、一人の夫に縛られる暮らしはしなくて済むようになる。当然、一夫一婦制からの離脱が進行するだろう。

人間が暮らしていく上で伴侶を求めることは、本能の働きなどの生物学的な裏付けがあるにせよ、社会や慣習の影響を強く受ける現象である。たとえば宗教上の戒律で結婚を禁じられている場合もあれば、イスラム教のように男性に複数の女性と結婚することを認めている場合もある。しかし、そのことと、ヒトという動物が進化の途上でどのような生態であったかということは、別のことである。

ヒトが集団で生活し、本来「つがい」を作らない動物であったことは、現代の社会にさまざまな影響を与えている。日本では売春禁止法が施行されているものの、実質的にはしり抜けになって半ば公然と売春が行われている。売春が成立すること自体、ヒトが雑婚であったことの名残である。「つがい」を作る動物は、本能的に「浮気」をしない。

米国では婚外性交渉は厳しく断罪される。即離婚となるケースも多いようだ。しかし中年男性の浮気は後を絶たない。著者らは、夫が取る3つのパターンを示す(298ページ)。
1.嘘をつき、ばれないようにして浮気をする。
2.妻以外の女性とはセックスしない。必要があれば抗鬱剤を内服するかポルノなどで我慢する。
3.離婚と結婚を繰り返す。

著者らに言わせれば、1.は早晩ばれる。女性は男性が気づかないような匂いや行動の変化に気づく能力を持っている。「女性の直感」というものもある。そもそも、生涯のパートナーであり子どもたちの母親である女性を騙すというのが良い戦略であるわけがない。

また、2.の選択肢である抗鬱剤は米国でもっとも使用されている薬剤で、2005年には1億1,800万枚の処方箋が発行されたそうである。どれほどの割合の抗鬱剤が妻との関係で悩む中年男性に処方されたのかはわからないが、抗鬱剤には性欲を抑える効果があるのだという。著者らは「夜中にベッドを抜け出してパソコンでポルノを見るのは屈辱的なことでありませんか?」と問いかける。もしかしたら、なぜ抗鬱剤やポルノが必要になるのかがわからないと感じる女性がいるかもしれないが、それが男性の現実なのだ。

3.はカウンセラーなどが勧めることの多い解決策であり、もっとも「誠実な」手段と言って良い。しかし、そのために家庭が破壊され、片親家庭が増えるのだ。著者らは決して良い解決策だとは考えていない。

それでは「良い」解決策は無いのか? 著者らは具体的な解決策を示していない。もちろん示せるはずもない。彼らの提案は、男女が互いに相手のこと、生理、心理、傾向などを学ぶこと、そしてきちんと相手に向かってよく話をすることだ。確かにそれしかないだろう。だが、「話し合い」は相手あってのことである。必死に説明する夫と聞く耳を持たない妻、あるいは真摯に話す妻と既成概念にとらわれて怒り狂う夫など、夫婦のレベルが合わないためのすれ違いの場面が容易に想像される。少なくとも両方が本書を読んでいなければならないだろう。

クリストファー・ライアン、 カシルダ・ジェタ『性の進化論』(作品社)についてさらに書きたい。

本書の主張の根本は「ヒトは本来『つがい』を作る動物ではない」というものだ。著者らは、動物学、社会学、遺伝学、解剖学、進化学などの知見をもとに、従来の説を突き崩し、彼らの主張の妥当性を示していく。

類人猿の進化を見ると、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ(以前はピグミーチンパンジーと呼ばれた)、ヒトの一群がオランウータン(ヒト科オランウータン属)と分かれたのが約1,700万年前、そこからゴリラ(ヒト科ゴリラ属)が分かれたのが800万年前で、さらにヒト(ヒト科ヒト属)とチンパンジー属が分かれたのが約500万年前である。ちなみにチンパンジー属は400万年ほど前にチンパンジーとボノボに分かれている。

さまざまな類人猿を比較すると、「つがい」を作る種はオスの体が大きく「つがい」同士は離れて暮らすのに対し、特定の「つがい」を作らない種は集団で暮らし雌雄の体格差が少ないことがわかる。原始時代のヒトは、個体数も少なく、少人数の集団を作って採取や狩猟をしながら生活していた。同様な生活を送るボノボの生態を見ると、ヒトの集団内でも特に「つがい」を作ることなく雑婚し、子どもを共同で育てていたと考えられる。

米国社会は、清教徒(ピューリタン)の原理主義的思想の影響が色濃く残っている。昨今、イスラム原理主義が批判されることが多いが、他方米国もキリスト教原理主義だとする指摘もある。いずれにせよ、米国社会では家族愛に溢れて力強い夫と貞淑な妻が理想とされており、婚外交渉は強く非難される。大統領一家は米国の模範的家族とされており、クリントン大統領の浮気が明らかになったときは、病気のせいだということになった。ジスカール=デスタン(元)大統領に婚外子がいることやミッテラン(元)大統領に複数の家庭があることなどが広く知られていて問題にならないフランスとは大違いだ。

本書は英語圏向けに書かれているので、清教徒的な厳格な一夫一婦制が、ヒトが進化によって獲得してきた形質といかに合わないかが丁寧に説明されている。

著者らは、キリスト教圏に広く見られる一夫一婦制の起源が、農耕によって土地を所有するようになったことであるとしている。ヒトの生態と解剖とが「つがい」作りに向かないという説明が、詳細でデータも多く説得力があるのに対し、一夫一婦制の起源の説明や、生理に反する一夫一婦制がなぜここまで広がったのかという考察が非常に簡単に済まされているのが残念だ。

最近、「~くださいますよう」意味で「~いただけますよう」とする表現によく遭遇するようになった。
ご連絡頂けますようお願い申し上げます。

ご出席いただけますようお願いいたします。

といった調子だ。

個人的な傾向はもちろんあるのだが、かなり一般化しているように思う。使う人は特に若い人に多いが、中年も使う。老人は使わないようだ。私自身が決して使わない表現であるため、目にするとかなり気になる。「~くださいますよう」しか使わない自分が歳をとったように感じる。

「くださる」の主語は相手である。たとえば「ご連絡くださいますよう…」であれば「(あなたが私に)ご連絡くださいますよう(私があなたに)お願い申し上げます」ということになる。一方、「いただく」の主語は自分である。同様の例で言えば、「(私があなたから)ご連絡いただけますよう(私があなたに)お願い申し上げます」ということになる。「いただく」を使うなら、私なら「ご連絡いただきたく…」とする。この場合は、「(私はあなたから)ご連絡いただきたく(私があなたに)お願い申し上げます」となる。どちらの「いただく」の例文もあまり構造は変わらない。

「くだす」は身分の高い方から低い方へ事物を移す意味である。「いただく」は「かぶる」「頭に乗せる」という意味で、高い方から渡された物を頭の上で受け取る意味になる。それならばなおのこと、「~くださいます」と「~いただけます」の差がなくなる。それでは私の違和感はどこから来るのだろう。

両方の例文を比較すると、違いを生み出しているのが、動詞「くだす」「いただく」の差異ではなく、「くださる」と「いただける」に含まれる尊敬の度合いの違いであることに気付いた。「くださる」は尊敬の意味である。それに対して「いただける」は可能動詞で、「もらえる」「食べられる」などの丁寧表現にすぎない。「いただける」に尊敬の念が薄いことが無意識のうちに感じられ、違和感となったのかもしれない。

もちろん、私が書いたり言ったりするときにいちいち文法を意識しているわけではない。これはあくまでも後付けの理屈である。しかし私には各動詞にしっかりとした語感がある。「くださる」には上から下ろすイメージがあり、「いただくに」は降りてきたものを頭の上にかかげて受け止めるイメージがある。また、相手にものを頼むときは、してほしいこと(くださること)を直接依頼するべきだという気持ちがある。このように考えていくと、「いただける」は自分がどうなりたいかを伝える言葉なので依頼にふさわしくない気がしたのかとも思える。

いずれにせよ、人々の中でこのような動詞の語感が薄れていき、丁寧であるかないかだけが残っているので、このような言葉遣いが広まるのだろう。

クリストファー・ライアン、 カシルダ・ジェタ『性の進化論―女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』(作品社)の原書をほぼ読了した。翻訳本は3,888円と高価だったが、原書はペーパーバックで1,740円と半額以下だったため、予算の関係でこちらを注文した。

2010年に出版された本だが、アマゾンでの宣伝文句によれば「米国で『キンゼイ・レポート』以来と言われる“大論争"を巻き起こし、世界21か国で翻訳出版。『ニューヨーク・タイムズ』年間ベストセラー! 」とのことである。書評も好意的だ。実際に読んでみて、非常に良い本であるとわかった。

本書は400ページ強の本だが、本文は312ページまでで、残りの約100ページは注、文献リスト、索引などからなっている。学術的な資料性も高い本だ。しかし英文はくだけた感じで、ジョークがところどころに混じっている。他の本でもときに見かける書き方で、米国人はこのような書き方が好きらしい。日本語の場合、そのような文体では読者の信用を失う可能性があるため、おそらく普通の書き言葉になっているだろう。

本書のほぼ3分の1は、著者らが「standard narrative」と呼ぶ「ヒトの性行動の説明として現在主流となっている説」に対する反論に宛てられている。この説とは以下のようなものである。
ヒトは一夫一婦制の動物である。男は自分が取ってきた食物を食べる子どもが自分の子孫であることが確実であることを望む。したがって女が他の男と関係を持つのを嫌う。女は自分を養ってくれる男を求める。男が自分を捨てないように、男の性的欲求を常に受け入れることができる。他の動物では、発情期が明らかであることが普通なのに、ヒトでは発情期が明らかでないのは、常に受け入れられるようにするためである。

このような話が、男の側から作られた根拠のない虚言であることを、著者らはさまざまな実例や研究結果を挙げて明らかにしている。彼らの「これでは人類の女性は皆売春婦だ」という指摘には、なるほどとうなずかされた。この説は前近代の男性の心に存在した女性蔑視の表れなのだ。

本書の後半は特に刺激的なので、直接的に性を取り扱った話を読むのが得意でない人は、読み進めると困惑するかもしれないが、それは文化により自然な反応が抑圧されているためだということが本書を読むとよくわかるだろう。

本書は進化学の本としても、文化人類学の本としても、非常に優れた本だと思う。

↑このページのトップヘ