阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2014年11月

彼は日本人とは明治政府によって「作られた」ものであると言う。江戸時代は身分制度の力が強く、教育もコミュニケーションも発達していなかったため、非常に流動性・可塑性の少ない社会だった。
江戸時代は、非常に安定した時代だった。だって、自分の一生は生まれた場所と親の身分で決まってしまうのだ。農村に農民として生まれれば、生まれた村で農民として生きていく以外の選択肢はほぼない。そもそもそれ以外の選択肢があるなんてことを知らないで、彼らの一生は終わっていった。自分探しなんかしなくていい。競争もあんまりない。衝突もあんまりない。貧富の差も固定されている。

為政者(江戸幕府)としても、こんな楽な仕組みはない。選挙もないし、リコールもない。みんな国や政治のことなんて何もわからない。だから少数の支配者が国を思うように支配できたのだ。(126ページ)

日本の暮らしはたしかにそうだったのだろう。ただし、「こんな楽な仕組みはない」のが本当だったのかどうかは、私にはわからない。幕府内部の権力闘争もあったし、各藩との「外交」にも大変な努力が払われた。もちろんそれらを「しょせんコップの中の嵐」と言ってしまえばそれまでなのだが、古市の切り取り方は、大変わかりやすくおもしろいとはいえ、いささか気になる。

それはともかく、このような江戸幕府の体制は外部からの侵略や戦争に弱かった。人民は、自分たちの命や共同体を守ろうとすることはあっても、日本を守ろうという観念が希薄だったからだ。
たとえば、欧米連合艦隊と長州藩の間で起こった下関戦争でも、農民や町民が戦争に協力することはなかった。対外戦争ではないが、戊辰戦争では会津城下の商人、職人など各地の民衆がさっさと戦場から逃げ出したという。(127ページ)

民衆にとって戦争は武士たちが勝手に起こす迷惑な騒動であったようだ。そのため、明治政府は日本国の体制を整備すると同時に、支配地域に暮らす人々を「日本国民」として教育し、再編成したというのだ。共通語としての「日本語」が考案され、「日本の歴史」が編纂され教育された。
僕たちは学校で2000年前の佐賀県にあったちょっと大きな村のこと(吉野ケ里遺跡)や、1300年前に起こった奈良県での兄弟げんか(壬申の乱)や、400年前に部下に裏切られたおじさんの話(本能寺の変)を「日本の歴史」として教わる。身分も地域も違う出来事を、その当時の日本領土を基準にして、乱暴にパッケージしてしまったのだ。

そして「日本文化」も作らなくちゃいけない。現代を生きる僕たちは古今和歌集も能も歌舞伎も「日本文化」だと思っているが、古今和歌集は天皇家のプライベートアンソロジーだし、能は室町期の武士文化だし、歌舞伎は近世庶民文化だ。それらをひっくるめて「日本文化」ということにしてしまったのだ。(131ページ)

『古典日本語の世界―漢字がつくる日本』で漢文について読んだ際にも、学校で教育される日本文化が非常に偏ったものであることに気付かされ、ブログにも書いた。私たちは辞書や教科書など、権威を後ろ盾とした書物の記載を無条件に信じてしまう傾向があるが、それらも特定の人物がある意図を持って書いたものであることを意識して、記述を相対化することが重要であると思う。

日本が絶望的な状態にあることは、徐々に国民全体に知られていると思う。少子化と高齢化の同時進行のためだ。藻谷浩介は「少子高齢化」という言葉を嫌っていた。たしかに少子化と高齢化は別の現象である。少子化のせいで高齢化の影響力が大きくなっているが、少子化がなくても誰もが歳をとる。団塊の世代が生じれば、その誕生75年後には大量の高齢化は確定されていた。高齢化には打つ手がないが、少子化には対策が立てられる。

ところが、日本は絶望的な状態にあるのにもかかわらず、若者の幸福度は高い。
実際、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間格差と言われながら、日本の若者の7割が今の生活に満足しているのだ。(7ページ)

この数値は、他の世代より高く、過去の同世代よりも高い。古市は本書で、なぜこのような現象が起こっているのかを若者側の視点や生活の分析、社会の現状分析などをとおして説明しようとする。ここで彼の結論を解説しようとは思わない。彼が本1冊により説明しようとしたことを手短にまとめることが良いことだとは思えないし、またそのまとめが正確であるとはとても考えられないからだ。興味がある方には購入していただきたい。ここでは、本書を読んで新たに気がついたこと、考えたことなどについて述べたい。

彼は第1章で「若者論」自体を論じているが、これがなかなか面白かった。若者論が成り立つためには「若者」がいなければならない。
つまり「日本で20代くらいの人々は、何らかの共通の特徴を持った集団である」ことが議論の前提になっている。これは、少なくとも江戸時代以前では考えられない。なぜなら、まさか誰も「20歳の農民」と「20歳の武士」を同列に語れると思わなかったからだ。(20ページ)

身分制度が確立し、小国家(藩)が分立し、コミュニケーションの方法が限られていた江戸時代以前の日本には、彼の指摘するとおり、普遍的な「若者」は存在しない。したがって若者論は成立しないのだが、現代の私たちは安易に江戸時代の若者像を思い描いている危険性があると感じた。「江戸時代には…」というくくり方は、ごく限られた抽象的なレイヤーにしか通用しないまとめ方であるはずだが、私自身はそれを深く考えずに拡大して、本来ならひとくくりにできないものまでくくってしまっていることがあるように思う。それはテレビの影響だったり漫画の影響だったりするのだろう。

昔、市川崑監督の『股旅』(1973年公開)を初めて観たとき、登場する渡世人たちが訛り丸出しで仁義を切っているのを見て驚いたのをよく覚えている。それまで渡世人の口上といえば標準語でしか私の頭には浮かんでこなかった。しかし、全国の出身の渡世人がいたわけだから、江戸時代であれば出身地の言葉で口上を述べるのが当然だ。そんな簡単なことに気付かなかった。いや、気付かなかったというより意識に上ることがなかったと言った方がいいだろう。

古市のように自分の研究について、研究を表現する言葉を深く考察して選択し、さらに研究方法についてさまざまな方法を比較検討するというのが、社会科学では一般的な方法なのだろう。実は今読み進めている次の本も社会学者が執筆した本で、まったく同じように立論している。自然科学系と問題の立て方が全く異なるので、非常に興味深く感じる。私の感じではこちらの方が学者らしい。自分の議論の進め方が、荒く幼稚なものに感じられてしまう。

古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)を読了した。古市は慶應義塾大学を卒業後、現在東京大学大学院の博士課程に在籍中で、専門は社会学である。本書は2011年発行の本で、当時古市は26歳だが、すでにそれ以前に新書を2冊出版していた。ずいぶん早くからの活躍である。

本書は内容からみれば、膨大な資料を基に『若者論』を整理し再構築する、かなり濃厚な学術書だ。しかし、文章は口語的で、読んでいるときの印象は、研究者の世間話のようだ。世間話風の語り口は引用文献や注にも表れており、漫画やJ-POPの歌詞からの引用があったり、注で石原慎太郎を「おじいちゃん」と揶揄していたりする。「若者」が書く若者論であるから、漫画やJ-POPが資料となるのは当然かもしれない。

彼が豊富に資料を用意していることに、まず素直に感心した。新聞は地方紙から「Japan Times」(ジャパンタイムズが発行する英字日刊新聞)までが対象になっている。雑誌も戦前の雑誌から、現在の政党機関紙、保守系雑誌など非常に幅広い。すべての出版物に目を通すことは不可能だ。彼とてすべての出版物に目を通しているはずがなく、彼の読んだものの中から取捨選択して引用しているはずだ。だから彼のまとめが百パーセント正しいとは言えない。しかし、彼の圧倒的な情報量を前にすれば、少なくとも私よりよく知っていることは明らかだからと、彼の言葉を受け入れる気になる。

本書のメインテーマは「現代の若者が自分たちは幸福だと感じているということ」であるが、「若者」とは何かという問いから「若者論」論が展開され、若者論を唱える者に対する論考が展開される。若者論を唱える高齢者も多いことから、「過去に若者であったもの」という意味も踏まえて高齢者論も一部では展開される。さらに本書のタイトルに「絶望の国」というフレーズがあることからも予想されるように、社会論や社会と若者の関係性に関する議論も展開される。非常に広範囲に、深く掘り下げた議論が行われるが、世間話の語り口で気楽に読み進めることができる。

しかし、本書の言葉は(さすがに詩で賞をもらった人物が書いているだけに)慎重に選択されているように感じられる。きちんと推敲され、校閲され、編集されている。誤用・誤字の類はないし、レイアウトにも問題がない。大学の教員や、ゼミの仲間とも密接に情報交換しながら本にしたのだろう。上野千鶴子はゲラを読んでくれたそうだ。講談社の編集者の力も大きかったと謝辞に記している。そのとおりだろう。

奥付に彼が卒業した大学として慶應義塾大学SFCとあった。SFCの意味がわからなかったので調べてみると「湘南藤沢キャンパス」のことだった。高校時代に詩で賞を受賞し、それをアピールしてAO入試でSFCに入ったという。慶應義塾大学内部のことを詳しく知らないのだが、周囲の扱いからはSFCが独立した機関のように見える。SFC入学後、CGモデリングの授業を履修選択で落とされて、たまたま同じ時間に開講されていた社会学の授業を履修し、社会学に進んだらしい。それを運命ととるか偶然ととるかは人それぞれだろうが、いずれにしても未来が確定できないところが面白いのではないだろうか。

2012年4月からラジオ講座で中国語の学習を始めた。中学生だか高校生の頃にちょっとかじったのだが、それなりの気持ちで取り組むのは初めてだ。「それなりの気持ち」と書いたのは、きちんと取り組んでいるとは言えないからだ。言葉の学習は、覚える学習だと言える。単語や言い回しを覚えなければならない。したがって、本格的にやるなら単語や例文の暗記が必須となる。ところが、そこまで手間をかける気にならない。中国語を使う機会が無いから、当然といえば当然なのだが、使う機会は作ることができる。そこまでする気にならないので、控えめに表現することにしている。

中国語には「そり舌音」という発音があり、「有気音・無気音」の区別があり、「四声」という高低(ピッチ)アクセントがあり、いずれも日本語にないもので、意識的な練習が必要であることが知られている。しかし、私が現在難しさを感じているのは/n/と/ng/の分離である。

日本語は/n/と/ng/をあまり区別しない。日本語の「ん」は、前後の発音によって、/n/、/ng/、/m/、鼻音化のいずれにもなる。「そこのほん(本)。」と言うとき、「ん」は/ng/のこともあれば鼻音化のこともある。「しんぼう(辛抱)」と言うときの「ん」は/m/である。「こんな」と言うときの「ん」は/n/である。つまり、後に来る子音が口唇を閉じる子音(/b/、/p/、/m/)であれば/m/となり、舌尖が上歯肉の裏に付く子音(/d/、/t/、/n/)であれば/n/となり、舌根が軟口蓋に付く子音(/g/、/k/、/ng/)であれば/ng/となり、それ以外の場合は様々で、多くの場合、先行する母音の鼻音化を伴う。「後に来る音」に影響されて変化するのだ。

欧米の言語でもラテン語由来の単語では/n/、/m/について同様な事情がある。単語内では綴りも変化する。たとえば in- という否定を表す接頭語がある。possible に付ければ/im/と発音され、綴りも impossible と im- に変化する。con- なら compose と com- に変化する。また、/n/と/ng/については、nk という綴りはかならず/ngk/と発音され、/n-k/と発音されることはない。そのため、欧米語の発音をする際には、日本語と同様に発音しても問題無い。

ところが、中国語では/n/と/ng/は別の子音である。/min/と第2声で発音すれば「民」だが、/ming/と第2声で発音すれば「名」だ。別の単語になる。そして語尾の子音は当然のことながら文中で保存される。「民歌(民謡)」は/min-ge/と発音する。これを/ming-ge/と発音すれば「名歌」となる。有名な歌とでもいう意味になるだろうか。

知人の中国人は「日本人の『ん』は/ng/だ。だから中国語の/n/を発音するときには『ぬ』と言わせている」と言っていた。たしかにひとつの方法だろう。私も日本語(や英語など)のクセで、後の子音に引きずれられて/n/が変化してしまうことがある。いまだにかなり意識しないときちんとした発音にならない。ところが/ng/が/n/に変化してしまうことは少ない。やはり日本語の影響なのだろう。

中国語講座の前がハングル講座なので、時々その最後の方を聞いている。先日、講師が/n/と/ng/の区別の重要性を指摘していた。たしかにハングルでは/n/と/ng/は表記上もまったく別のエレメントであり、各音節の独立感も強い。今まで気付かなかった共通性に気付かされた。

こんなことに気づいてから、街中の表示が気になる。JR武蔵野線の府中本町駅では、「海浜幕張」行きが到着すると、電光掲示板にヘボン式のローマ字表記で行先が表示される。その際、長すぎるためか途中で行替えし「KAIHIM(改行)MAKUHARI」と表示される。ヘボン式では「カンバン(看板)」は「kamban」など、「N」のモーラは後の子音に従って表記を変える。だから「海浜幕張」は「KAIHIMMAKUHARI」となる規則だ。だが、「KAIHIM」という表示を見ると、日本語と思えない。また、先日曙橋付近を歩いてたらハングルの「Myongdong」という表記が目に入った。日本人だと「Myondong」と発音してしまいそうだ。「きっとそれではいけないのだろうな」としばらく発音のことばかり考えていた。 続きを読む

ここのところ、安冨歩『原発危機と東大話法』と中島岳志『秋葉原事件』を続けて読んで、人の心がわかるというのはどういうことなのか、ずいぶん考えた。このような本を読むとどうしても心が波立つ。ここにまとめておくが、自分で読んでもうっとおしい議論だ。今後時間をかけてもう少し整理していきたい。
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「わかる」「了解する」「認識する」「納得する」など、さまざまな言い方があるが、どれを使っても良い。私が問題としたいのはどの言葉にも共通したものだ。何かを聞いたり、何かに気づいたりしたとき、「これは本当だ」という感じがして、自分の気持ちにぴったりと当てはまった気がすることがある。そんなときに私は「わかった」と思う。文章語では「認識」「了解」などとなる。アルキメデスが風呂に入っていて比重の測り方を思いつき「わかった」と叫んだような「わかった」もあるが、私がこだわっているのは「彼は嘘つきだとわかった」というような、複数のやや不確かな知識や経験が蓄積して何かの事実の発見に至るような「わかった」である。

世の中には決してわからないものがある。これは漠然とした一般論ではない。数学の世界にはゲーデルの不完全性定理と呼ばれる定理が存在する。この定理は、簡単に言えば「数学には証明不可能な問題が存在する」という事実だ。また、物理学(量子力学)の世界には不確定性原理という「真理」が存在する。「素粒子の位置と速度は同時に決めることができない」という事実だ。こんな難しい例を出さなくても良い。線香から立ち上る煙がどのような形になるのかをあらかじめ知ることはできない。このように、「了解できないものがある」と結論づけるのもひとつの了解だ。では、『原発危機と東大話法』で安冨歩が述べたオカルト信者たちのように、ある人たちの考えを私たちが「了解できない」ということは、その人が心を病んでいるということに相当するのだろうか。

数学の問題で言えば、ある問題が証明不可能かどうかはその問題を解いてみないとわからない。同様に、ある人間の考えが了解可能であるかどうかは、了解しようとしてみないとわからない。私が了解不可能と判断した人を、別の人が了解可能と判断した場合、どちらが正しいと言うことはできない。了解の可能も不可能も事実だからである。そうなると、「了解できない人」が心を病んでいるとは簡単には言えなくなる。

『秋葉原事件』を書いた中島岳志は、犯人の加藤智大をわかろうとした。彼は彼なりに「わかった」のだろう。その本を読んで内容を理解した私は、中島の主張と加藤の心理を「了解」したと言える。しかし私の「了解」は、中島の望んだ了解とは異なるかもしれない。まして加藤に関する「了解」は、中島の了解を経由してのものであるから、加藤をわかったのではなく、中島の描く加藤像をわかったと言った方が正確だ。したがって私には加藤本人は直接にはわかっていない(了解できないではなく、了解の対象になっていない)のであるが、中島は自分の加藤理解に普遍性があると考えたからこそ『秋葉原事件』を出版したのだろう。中島の加藤理解を読者が共有することを願っている。彼が加藤の心理にこだわるのは、加藤を正常とするか異常とするかが、自分の心の有りように大きく影響すると感じるからだ。加藤を理解することで「内なる加藤」が理解され、社会の矛盾が意識化されると考えているのだろう。

彼は加藤を異常と考えたくない。「異常と了解する」というのは、感性的な了解を捨て、理性的な了解で済ませるということとも言える。理解のための構図(スキーム)を入れ替えているのである。新たなスキームの質が問われる。高品質のものではなくても妥当なものであれば、入れ替えは許容されるだろう。しかし感性的な了解を切り捨てたという事実は変えられない。加藤を異常者として切り捨ててしまえば、社会の矛盾を明らかにする機会は遠ざかる。

人によって了解できる範囲が異なるのは、各人が了解に用いるスキームが異なるからだ。となれば、了解不能と考えられた対象でも、ふさわしいスキームを用意すれば了解可能になるかもしれない。了解不能なものが「異常」であったり「超自然」であったりするのだが、場合によっては「異常」が「正常」に変化することになる。また、感性的な了解を目指す場合、出来合いのスキームを採用することはできないので、ずっと加藤と対峙し続けなければならなくなる。

【付記】私は精神鑑定に同行したことがある。精神鑑定では、脳の障害など器質的疾患を除外し、明らかな妄想・幻覚・幻聴がないかを調べ、さらに知能テスト、性格テストなどをおこなう。明らかな異常や疾患が認められなければ、あとは鑑定者の経験による判断であった。現在の精神医学が疾病をどう捉えているのか、一応知ってはいるつもりだが、最新の教科書を読んでみなければならないと思う。

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