阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2014年09月

松井栄一『日本人の知らない 日本一の国語辞典』(小学館新書)を読了した。松井は国語学者で、『日本国語大辞典』(『日国』)の編集の中心メンバーであった。本書には、その『日国』の話ばかりでなく、辞書の話、日本語の話など、関連する話が数多く掲載されている。

『日国(第2版)』は全14巻、別冊1巻の辞書で、収録語数は50万語を超え、1項目の平均字数は180文字という、とてつもない辞書だ。私はまだ手にしたことがないが、辞書好きなので、読み始めたらきっと止まらないだろう。辞書で面白いのは本文だけではない。辞書によっては興味深いコラムが掲載されているし、また、歴史や文法のまとめなどが付録として付いていて、ちょっとした教科書のようになっていることもある。

松井は、辞書作りのために明治以降の多くの資料に目を通すうち「この百年あまりの間に日本語は大きな変貌を遂げてきたことを実感しました(54ページ)」と述べている。彼が指摘した意外な事実を紹介したい。
青空:明治20年代には「アオソラ」と「アオゾラ」が併用されていた。明治末から配布が始まった国定教科書「国定読本」で青空を「青ぞら」と表記したためにアオゾラが定着したというのが松井の説である。

天国:明治30年以前の辞書は読みを「テンコク」としていた。漱石は40年代に「テンコク」と「テンゴク」を使っているが(昔の本はすべての漢字に振り仮名が付けられていることが多かった)、「テンコク」を古い読みと意識していたかもしれない。聖書では昭和10年代まで「テンコク」が使われていた。

無人島:江戸時代には「ブニントウ」と読まれ、明治時代には「ムニントウ」と読まれていた。
[江戸時代に]それを西洋人が西洋人が聞いて「ブニン」を訛って「ボーニン」とし、当時、無人島だった小笠原諸島は「ボーニンアイランド」と呼ばれるようになったということです。(61ページ)

のっぺらぼう:『明解国語辞典』が昭和27年に「のっぺらぼう」の見出しにする前は「のっぺらぽう」が主流だった。

照々坊主:明治期の辞書では「テリテリボウズ(バウズ)」が主流。

おかあさん:明治36年の国定教科書に取り入れられて広まったというのが定説だったが、江戸時代にすでに用例が見られた。近世末に上方で使われていたものが東京に入ってきて国定教科書によって広まったのだろう。

辞書作りについて、昔はいい加減な辞書もあったという話が紹介されている。
かつては評判の良い既成の辞書を数点みつくろい、その語釈や用例を参考に、学生アルバイトが少し手を加える程度――というやり方で作られた辞書もありました。このような、学生アルバイトを使い他の辞書を写させて作る安直な辞書の代名詞として「芋辞書」という言葉もあったぐらいです。(84ページ)

私が中学生の頃は、まだいい加減な英和辞典が横行していた。大きな辞書から例文を少し変えて借用している辞書では、元の例文に不具合があると、それをそのまま引き継ぐことになり「親亀こけたら」などと言われていた。その頃から私は辞書が人間の作ったものであることを自覚し、場合によっては複数の辞書を引き比べてみるようになった。しかし、辞書作りの専門家からこのように「告白」されると、また感慨深いものがある。

辞書が複数あっても、対象は共通なのだから、語釈や例文にある程度の共通性があっても仕方ない。また、良くできた辞書であれば、後発の辞書が参考にするのは当然だろう。ある程度のまねはやむをえないと松井も考えている。
ところが、三省堂のある辞書の序文で「今後の国語事象はすべて、本書の創めた形式・体裁と施策の結果を盲目的に踏襲することを、断じて拒否する。辞書発達のためにあらゆる模倣をお断りする」とあるのをみてはっとさせられました。確かに戦後の辞書の歴史はある意味では模倣の歴史であったことを考えると、そのいわれていることは誠にごもっともであり、国語辞典の正しい発達を願う編者の切なる気持ちと、模倣辞書に対する大きな怒りとがひしひしと伝わってきます。と同時に、自分の手がけた辞書に対する堂々とした自信が感じられてうらやましくも思いました。(158ページ)

辞書編集者の心意気なのだろう。松井は辞書の名前を特定していないが、誰が書いた序文なのか知りたいものだ。

雑誌「日経ヘルスケア」に「厚労官僚の独白」という匿名のリレーコラムがある。何回かこのコラムを取り上げ、批判したことがあるが、今回は少しかわいそうにもなった。2014年9月号の題名は『誰も分かってくれなくても…』である。

要は、政治家に振り回されつつ黒子に徹し、薄給と過酷な労働環境に耐えながら頑張っているという話だ。自己弁護とも泣き言とも居直りともとれるが、官僚の薄給と労働環境の悪さは良く知っているので、いささかの同情心が湧かないでもない。しかし、衣の下から鎧が見えるというか、強烈な自負心も持っていることもアピールしている。
読者の方々の中に、ナマの厚労官僚に接したことがある方はどのくらいおられるだろうか。筆者の経験では、ごく普通に話をしただけで、「官僚が国の将来のことをそんなに考えているとは想像しなかった」「現場を全く知らない人々だと思ったが、そうではなかった」などと言われることが多く、しばしば閉口させられる。

コラムでは、読売新聞8月14日版「論点」欄に、日本医療政策機構事務局長の小野崎耕平が『厚労省相次ぐミス 業務量に人員見合わず』として寄稿した文を紹介する形で、現状の問題点を指摘している。
ポイントは二つ。一つ目は過剰な業務量。同氏は、日本の国家公務員が世界的にも極めて少ないことを前置きした上で、厚労省の職員1人当たり法案数が政府全体の1.4倍となっていることを例示し、少子高齢化で膨れ上がった厚労省の業務過多を指摘する。実際、深刻なうつ病になる同僚は数知れない。

二つ目は政治家との関係。同氏は、政治家が官僚を「家庭教師」代わりに頻繁に事務所に呼び付け、官僚たちの時間と労力を奪っていると喝破する。確かに、管理職クラスの官僚の場合、閑散期を除き、5~6割方の時間を永田町へのレクチャーや根回しに費やしているというのが肌感覚だ。

私は厚労官僚に知り合いがいないので、現場の雰囲気まではわからないが、彼らの薄給と多忙については知っている。彼らを支えるものが、責任感とプライドだけであることも理解している。しかし、厳しいことを言えば、だからといって彼らの仕事の質が担保されるわけではない。

彼らが本音を言えば、かならずたたかれる。それは、国民的合意が形成されていないからで、さまざまな対立した意見が社会の中に雑居しているからである。たたかれたくなければ、合意形成を急ぐしかない。昨日のブログに、私は「バッシングを恐れず、手の内をはっきりと明かすことを望んでいる」と書いたが、たたかれることを覚悟で向かわなければ、きちんとした議論はできない。

コラムの最後の方では、現実の厚労行政が生々しく語られている。
また、政治家も玉石混交だが、ややもすると、“スジの良くない”地元支援者を議員会館に招き、そこに呼び付けた担当部署の幹部に要望を飲むように圧力をかけるという手法、つまり「口利きビジネス」 を行う光景も一般的だ。そこでは、官僚は、四苦八苦しながら、スジを語り、理解を得ようとする。こうしたことで労力が奪われ、政策が歪むのは懸塊(ざんき)に堪えない。

何かあれば“お上”のせいにし、困ったら駆け込んでくる地域の有力者たち。一方で、官僚側もそうした“猛者”をうまく執りなしてオチを付ける。営々と続いてきたそんな構造はそろそろ見直したいものだ。

やはりまだこんなことをやっていたのだ。見直したいと本気で思うのなら、すぐにでも見直してほしい。見直せるのは厚労官僚しかいない。国会議員は当てにできないのだから(国会議員を選んでいるのは私たちなのだから、その責任はもちろん私たちにもあるのだが)。

2014年9月22日に医療ポータルサイト「m3」で配信された、第56回全日本病院学会のシンポジウム「病床機能報告制度から病院の明日を探る」の報告(http://www.m3.com/iryoIshin/article/253598/)について書きたい。

このシンポジウムでは厚生労働省大臣官房審議官の武田俊彦が、2014年10月から開始する病床機能報告制度と、2015年4月から策定が開始される地域医療構想について講演した。
[武田は]「医療計画は規制色が強い制度だったが、今回の制度[地域医療構想]は関係者が集まり、自主的に考えてもらうスキーム」と理解を求めた。その上で、日本全体では高齢社会であっても、既に高齢者人口が減少している地域があり、地域の実情に合わせた医療提供体制の構築には地域医療構想とその実行が必要となり、何らかの対策を講じず、放っておけば地域の医療機関が「共倒れになる」との危機感を呈した。(角括弧[]の中は引用者が補った語句)

地域医療構想では都道府県レベルで「協議の場」を創設する。そして高度急性期、急性期、回復期、慢性期の4つの病床区分の現状を病院からの病床機能報告制度により把握したうえで、「協議の場」において関係者が話し合って将来推計をおこない、調整をおこなって、地域の医療計画を策定する。もちろん大枠は厚生労働省が設定しているし、基準も示される。

結局全国一律の病床整備になっていくのではないかとの懸念に対して武田は「病床機能報告制度では『各病院の思い』を報告するよう促し、地域医療構想の実現に向けて『関係者が集まり、競争ではなく協調という視点から議論してほしい』と述べ、決して全国一律ではなく、地域の実情に応じた提供体制を構築する重要性を強調した」とのことだ。ところが、他のシンポジストからは懐疑的な声が絶えなかったとして、本記事では、慶應義塾大学医療政策・管理教室教授の池上直己、公益社団法人星総合病院理事長の星北斗の発言を紹介している。
星氏は、1985年に医療計画が導入された際、結局は全国一律の考え方が導入された上、「駆け込み増床」が生じた経緯に触れ、「これとやり方は一緒なのだろう。制度設計としては、地域別に進めると言っても、結局は誰が決めなければいけないとなれば、制度の基準が示され、それに従っていくことになるのではないか」と指摘。関係者による「協議の場」のほか、都道府県医療審議会などが機能することも、星氏の病院のある福島県では、現実問題としてあまり期待できないとし、意見調整の難しさをにじませた。

池上氏は、四つの病床区分の定義が不明確である上、病院はお互いに補完的ではなく、競争的な関係にあるため、連携体制の構築も困難であるとし、都道府県の対応能力にも問題があることなどから、病床機能報告制度や地域医療構想の実効性そのものに疑問を投げかけた。また全国一律の診療報酬と、各地域の独自性を原則とする地域医療構想との間には不整合があること、大都市圏では医療圏と生活圏が一致しないことから、「圏域」の設定で混乱が生じることなど、さまざまな視点から、地域医療構想をはじめとする制度改革に疑問を呈した。

関係者による「協議の場」ではさまざまな判断や調整が必要とされるが、はたして病院経営者と役人の集団にそのようなことができるのかは、私も怪しむところだ。座長を務めた全日本病院協会副会長の神野正博は、標準的な数字を参照しながらジャッジしていくことになるのかと質問したが、武田は「各地域において、現状と将来的なニーズの推計にギャップがある場合に、どうするかについては、地域で考えてもらう。ジャッジはしない」と回答したという。

良く言えば地方の立場を重視した制度で、地域の医師たちの調整能力が問われる制度であるが、悪く言えば地方への丸投げである。日本全体の医療をどうするのかという議論を国家レベルでおこない、その成果を取り入れつつ地方での調整をおこなうのでなければ、混乱を招くだけではないかと懸念する。

現在、医学教育の見直し、専門医制度の見直し、特定看護師の導入など、医療供給側の態勢を根本から変えるための制度改革がおこなわれている。ところが将来の医療の具体的な姿が示されていない。現在の改革が定着するには少なくとも10年、おそらく20年から30年かかるだろう。それまではある程度の混乱は避けられないのかもしれない。しかし、医療の将来像をはっきりと提示することができれば、その混乱期間を短くすることができるし、混乱の程度も抑えることができるはずだ。厚労官僚が、バッシングを恐れず、手の内をはっきりと明かすことを望んでいる。

2014年9月21日に医療ポータルサイト「m3」で配信された、第56回全日本病院学会のシンポジウム「病院医療をプライマリ・ケア現場から考える―突きつけられた喫緊の課題から」の報告(http://www.m3.com/iryoIshin/article/253275/)について書きたい。

このシンポジウムで、慶應義塾大学の樋口美雄は高齢社会は患者減少社会であると述べた。若い世代の人口減少が急激であるため、高齢化率自体は上昇するのだが、約半数の自治体において高齢者が減少するとの予測だ。2025年を控え、高齢者の医療需要は増加すると一般にいわれているが、医療ニーズとしては日本全体では増加基調にあるものの、地方では既に減少に転じている地域もあり、特に介護ではその影響が出始めているという。樋口は地域の実情を踏まえた対策を考えていく必要性を強調した。
樋口氏は、民間有識者で組織する「日本創成会議」人口減少問題検討分科会のメンバー。同会議は今年5月、2010年から2040年までの間における「消滅可能性都市」は全自治体の約半数に上るという、ショッキングな推計を公表している。「地域によって、少子高齢化と言っても、全く違った動きをしている。各地域の問題として考えないと、さまざまな問題が解決できないと思う。また人口問題は短期的ではなく、長期的に考えていくことが必要」(樋口氏)。

確かに樋口の言うとおり、人口問題は長期的に考えていかねばならない。それは「短期的に考える」ということができない現象だからであり、将来の予測がある程度立つ現象だからでもある。もちろん出生率や死亡率は変化するので、予想は幅を持ったものになるが、その幅はそれほど大きなものではない。ただし、人々の移動による人口構成の変化は別で、予測が難しく、短期的な予測と長期的な予測が一致しない可能性がある。

樋口は、現在都市部への集中の傾向が強まっていると見ている。
2006年と2012年の比較で見ても、都市部への集中が進行していることが分かる。2006年の場合、20~29歳は、「地方から都市」よりも、「都市から地方」の人口移動が多いが、2012年には両者が逆転している。「2006年の時点では、東京の大学に進学しても、卒業後に地元に戻る人が多かったが、2012年には地方大学の卒業者が、就職のために東京に来ている。わずか6年で変わってきた」(樋口氏)。
今のまま人口移動が続くと仮定した上で推計したのが、2040年までの「消滅可能性都市」だ。人口移動は、経済雇用情勢と深く関係している。

たしかに数値的には、人口が都市に集中しているのが現状なのだろうが、たった6年で社会の態勢が大きく変わったとも思えない。これは単なる短期的な変動ではないのか。私はむしろ、数十年単位の中期的に見て、都市への人口集中の傾向があったと考えている。しかし、今後も中長期的にその傾向が続くかどうかはわからない。中長期的に続けば「消滅可能性都市」が現実に消滅することもあるだろう。しかし、都市部での生活コストの上昇や環境の悪化に堪え兼ねて、地方へと拡散して行く人々が今後増えていく可能性はないだろうか。昔は田舎に引きこもってしまうと、情報が届かなくなり、自己研鑽の機会も奪われがちであった。しかし、現在はインターネットの普及により、どこにいても情報へのアクセス制限は少ない。主要な学術雑誌はインターネット上で購読できるし、インターネットで公開される講演会やシンポジウムもある。雑誌原稿やプログラムの納品もどこからでもできる。田舎の生活コストの低さは魅力である。樋口の結論も同様のものであると思う。
もっとも、大都市部への人口移動は、世界的に見れば、必然的な動きではないという。2003年以降、最近までのトレンドを見ると、日本と同様に大都市部への集中が進行しているのはドイツ。一方で、スペイン、イングランド、米国では、大都市の人口は減る一方、中都市、大都市近郊の小都市、地方小都市の人口は増加している。樋口氏は「やり方次第で、地方の人口を増やすことは可能。働きがいのある安定した雇用の場を、いかに地方に作っていくかがカギ」と述べ、講演を締めくくった。

樋口の講演を受けて、シンポジウムの座長を務めた全日本病院協会常任理事の丸山泉は、高齢社会は患者不足だけでなく働き手不足も招くし、医療保険制度の場合には財源不足という問題も抱えると指摘した。
[丸山は]「非常に大変な局面に来ている。我々自身が先手を打って変容していかないと、全体が危機的な状況になるのではないか」と問題提起。その上で、丸山氏は、今後の医療界のキーワードとして、「細分化から統合」「業態の変化」「ダウンサイジング」などを挙げた。

丸山が「細分化から統合」「業態の変化」の必要性を提案したのは「医療行為の数が、労働力の必要量として反映される。医療行為の整理を始めないと、マンパワーが間に合わなくなるのではないか」との問題意識があるからだという。医療行為の整理とは、過剰な医療の排除(不必要な検査や治療はおこなわない)、複数の医療の統合(たとえば高血圧、糖尿病、パーキンソン病などの系統の異なる疾患を一人のかかりつけ医が統合して診療する)、それに医療の縮小だろう。現在は、不必要とまではいかない検査や治療を「念のため」おこなうことが多い。それらを排することで、医療が効率化するだけでなく、人々が本来持っている自己管理能力を高める効果があると思う。他の参加者の発言も、医療の縮小に向いている気がした。最近配信される医療行政関係の記事でも、医療の縮小への方向はトレンドであると言える。今後ますます「医療の縮小」が重要なキーワードになるだろう。

勝俣範之『「抗がん剤は効かない」の罪―ミリオンセラー近藤本への科学的反論』(毎日新聞社)について、興味を引いた点について述べておきたい。

勝俣は、日本の癌治療のレベルは専門医不足が原因で、欧米のレベルよりかなり低いと指摘する。強力な抗癌剤治療を必要とするある種の癌に対して「専門医による治療ではないために、強度の足りない抗がん剤が使われることがあります。つまり、本来なら治せる可能性のあるがんが、きちんと治されていない現状があるのです(22ページ)」とのことだ。さらに、欧米では癌化学療法は外来での施行が常識であるのに、日本では入院でおこなわれることが多い。
平成22年度の厚労省の統計では、乳がんの約半数、膵臓がんの90%、胃がん・大腸がんの70%、卵巣がんの90%は、抗がん剤治療のために1度以上入院しているというデータがあります。これは、「初回の抗がん剤治療は入院で」となるため。一部がんセンターなどの専門病院を除いては、初回入院は常識的に行われているのが日本の現状です。もともと外来で治療可能なのに、〝慣習的に〟行われているのです。初回だけならまだしも、残念なことに〝抗がん剤の間はずっと入院〟という昔ながらのやり方を続けている医師もいます。がん拠点病院でさえ、一部はそのような状況にあるようです。(31ページ)

ガイドラインの軽視も専門医が少ないためと考えている。「副作用が多いからといって、安易に減量投与される(32ページ)」ために充分な効果が得られない不完全な治療が行われる場合もあり、さらに「国立がんセンターに紹介された患者さんで、乳がん治療のガイドラインに従っていたのは、半数以下であったという研究報告(176ページ)」があるとのことだ。

化学療法の専門医が少ないのは、専門医制度を学会が作っているからだろう。学会は大学が支配し、大学は研究重視で臨床能力は決して高くない。化学療法という、まさに臨床部門の専門医である腫瘍内科医を育てる力が弱いのも当然である。

また勝俣は「腫瘍内科医は治療コーディネーター」であると自負している。
がん治療はまだまだ不確実な部分が多いため、早期がんの場合でも、手術を先にするのがいいか抗がん剤を先にするのがいいか、はたまた放射線治療をするのがいいかなど、選択肢がさまざまです。腫瘍内科医は治療コーディネーターとして、それぞれの治療のリスクとベネフィットを考慮して、患者さんと一緒に考え、最善の治療を提供していくといった作業が必要です。(35ページ)

さらに彼は、腫瘍内科医は抗癌剤を使う、使わないにかかわらず「いつ何時でも患者さんの味方であり、相談相手であり続けるべきです(144ページ)」と述べている。これは理想だろうが、数少ない腫瘍内科医は、どの病院でも多忙をきわめている。このような余裕が持てるだけの腫瘍内科医を要請することが必要なのだろうと思う。

緩和ケアの治療効果に関する話も興味深かった。「緩和ケアチームは、よろず相談的に、患者さんの生活の質を向上させるためのもろもろの相談や、治療法選択の意思決定支援に関わった(138ページ)」だけなのだが、うつ病の発症を減少させ、生存期間を2.7ヶ月延長させた。QOLを向上させた上での延長はすばらしい。

日本の治験が非常に厳しく、オーバークォリティーと言ってもいいほどだという話も関心を引いた。そのため、国内で開発された薬でも、海外での治験が先行して国内での治験が後回しになるという、笑えない話が現実に起こっている(59ページ)。しかし、現在のようにデータ捏造が頻発すると、治験の制限を緩くすることなど到底できないだろう。

最後になったが、「日本のインターネット上のがん情報で、正しい情報にヒットする確率は、50%以下である」という「驚くべき報告(161ページ)」があるそうだ。これはすべての人々に知っておいてほしい情報だ。

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