阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2014年07月

何が過重労働であるのか、簡単に言うことは難しい。おそらく、皆が合意することも困難なのだろう。しかし、何らかの形での基準を設定しないことには、話が進まない。労働基準法では労働時間を基準としている。労働時間は週40時間までと決められており、それを超える労働は時間外労働となる。そして、時間外労働も月40時間までと決められており、月40時間を超える時間外労働は原則として違法である。医師の時間外労働が多いのは有名だが、その原因の多くは当直である。

第63回日本病院学会のシンポジウムで、日本病院会地域医療委員会委員長の塩谷泰一が、勤務医に対して職場の現状を質問したアンケートの結果を報告している。

月平均の宿直回数は、月4回までという病院が、2006年の調査では60%だったが、2013年の調査では90%にまで増えている(5回以上の病院が減ったので、4回未満の病院が減ったわけではない)。週平均の勤務時間も、2006年の調査では40~50時間、50~60時間、60~70時間、70時間以上がそれぞれ4分の1ずつだったが、2013年の調査では40~50時間が半分で、40時間以下が3分の1と顕著に増加してる。70時間以上は1%にすぎない。病院を運営する側が、それなりの対策をとっていることがわかるが、宿直翌日の勤務体制について訊くと、「通常通り」が57%を占め、「半日休み」22%、「1日休み」8%にすぎない。
現在の宿直時間を除いた1週間の平均勤務時間は50~60時間でした。それに加えて月4回、最低週1回の当直があり、6割の病院で当直明けの医師が休めていませんでした。労働基準法の第9条に「労働者とは職業の種類を問わず」と明記されています。「問わず」ということですから、医師も労働者であり、このような勤務環境であれば、労働基準法違反になります。(17ページ)

「労働基準局から是正勧告を受けたことがありますか」という問いには、3分の1の病院が勧告を受けていた。労働時間が長いこと、割増し賃金の未払いなどが理由である。このような労働環境になる原因を塩谷は宿日直問題に求めている。
深刻なのは、医療法と労働基準法で宿日直の概念が180度異なっていることです。医療法での宿日直の意義は「1日24時間1年365日、入院患者が急変したらしっかり対応する」こと。つまり、医療法の概念では宿日直というのは急患対応のために必要です。一方、労働基準法が定める宿日直は「働いてはいけない」「寝当直」となっているのです。(17ページから18ページ)

この議論は正確ではないだろう。最大の問題は、夜間休日の救急医療を当直医におこなわせている病院がほとんどだということだ。救急病院でなくても、入院患者がいるかぎり医療法の規定で当直医が必要で、当直医は夜中に尿道カテーテルの挿入や静脈留置針の刺入、急変患者の診察や対応をおこなう。これも時間外労働なので、厳密に言えば違法で、働いた時間に対して当直手当とは別に割増し賃金を支払わなければならない。ところが、救急病院では診療業務をおこなうことを前提に医師を時間外に拘束しているのだから、違法性が高い。

救急診療をおこなうのをやめれば、地域救急が破綻するので、当然のことながらやめることはできない。では、夜間の救急診療を業務とすればいいかと言えば、その分の日勤を減らさねばならないので、日中の診療体制が破綻する。問題は労働時間の長さであるので、賃金や手当で解決できる問題ではない。唯一の解決法は医師を増やし、交代制での救急診療がおこなえるようにすることだ。これも金の問題であると言えなくもない。しかし夜間働く医師を充分に確保できる賃金を支払って、救急診療の採算が取れるかと言えば、答えは否定的である。

私が日頃感じているのは、このような病院勤務医の労働環境に対する周囲の無理解である。私の勤務先も、医師たちが精一杯頑張っているのに対し、周囲の医師会からは時間外や救急の対応をさらに充実するように求められている。言わば「後ろから弾が飛んでくる」状態なのだ。さらに労働基準監督署は労働環境の改善を求めてくるが、労基署が私たちに変わって周囲の医師会に説明したり要請したりしてくれるわけでもない。

「日本病院会雑誌」の2014年6月号に、2013年6月に新潟県で開催された第63回日本病院学会のシンポジウム『地域医療再生を妨げる「制度の壁」』の記録が掲載されている。今日は、その中で取りあげられている医師の労働の問題について述べたい。

「制度の壁」とは、現状の問題を改善したいと思っても、法や行政による規制があって実現できないことを言っている。以前も取りあげた、医療と福祉が分けられていることによってスムーズなケアの提供が妨げられる問題などが該当する。医師の労働時間と応招義務については、労働基準法第32条と医師法第19条が、宿日直については労働基準法第41条および施行規則第23条と医療法第16条が、それぞれ整合性も一貫性も無い規定となって、現場を混乱させていると指摘する(法令は、主なものが総務省が運営する総合行政ポータルサイト「イーガブ(e-Gov)」(http://law.e-gov.go.jp/)に掲載されている)。

医師法第19条は次のように、医師が診療を拒めないことを規定している。この「かならず診療の求めに応じなければならない」義務を「応招義務」と呼ぶ。
第十九条  診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。
2  診察若しくは検案をし、又は出産に立ち会つた医師は、診断書若しくは検案書又は出生証明書若しくは死産証書の交付の求があつた場合には、正当の事由がなければ、これを拒んではならない。

この「正当な事由」が問題で、解釈が揺れている。たとえば飲酒している、病気であるなどは「正当な事由」であるが、軽度の疲労はあたらないとされる。クレーマー対応では、患者との信頼関係が破壊されている、診療を依頼された疾患が専門外である、診療費の支払いが無いなども「正当な事由」であるとする解説もあるが、グレーゾーンがありそうだ。いずれにせよ、正規の労働時間を過ぎていても、診療を依頼されたら時間外労働をせざるをえない。

宿日直についても、医療法では「医業を行う病院の管理者は、病院に医師を宿直させなければならない」と規定されているが、宿直とは電話番、戸締まりの見回りなど、実質的にほとんど労働をしなくてもいい状態で、睡眠が充分のとれることが想定されている。つまり、電話番と言っても、万が一かかってくるかも知れない電話の番であり、相談窓口の対応など多数の電話がかかると予想される電話の番ではない。ところが、応招義務がある限り医師は働かざるをえない。医師は宿直手当しか払われていないことも多く、その場合、明白な労働基準法違反である。医療法に違反状態を作り出している責任の一端があるということになる。

日常の勤務を振り返って考えると、他にもおかしなことが多い。たとえば就業規則では勤務時間が9時からであるのに、9時から外来が始まる、あるいは手術室の入室が8時45分から開始されるなどということがある。労働基準局からサービス残業は厳しく取り締まられるが、サービス早出については指摘を受けたことがない。

また、昼休みを職場でとってはならず、仕事の環境から離れたところでとらなければねらないことになっている。つまり、弁当を外来に持ち込んで食べるのは違反であり、外来から離れて食堂なり休憩室なり、仕事に煩わされないところで食べなければならない。精神としては立派であるが、忙しい外来では結局昼食を摂りそこなうことになる。

労働基準法は製造業や単純労働の職場には適合するだろうが、医療現場のような制限の多い職場に単純に当てはめることはできない。無理に適用すると、かえって労働環境を悪化させる。

そもそも労働基準法は使用者と労働者の単純な関係を前提としており、患者への対応を必要とする医療機関が抱えるような構造的な問題に対処するようにはできていない。独占禁止法のように、構造そのものに対する強制力を持った法体系ならば対応できるのだろうか。

いずれにせよ、労働基準監督署がいくら病院を指導しても、医師が医師法や医療法で縛られているかぎり有効な解決にはならない。労働基準監督署が救急をストップしてくれれば、昼休みに交換台で「労働基準監督署の指導により電話の受付を停止させていただきます」というアナウンスを流せるのなら、医療は崩壊するが労働問題は緩和される。念のために付記しておくが、もちろん冗談として書いている。

「Science Friday」という米国の一般向け科学番組ポッドキャストがある。7月11日配信の「What’s So Bad About Being Alone With Your Thoughts?」(http://www.sciencefriday.com/segment/07/11/2014/what-s-so-bad-about-being-alone-with-your-thoughts.html)では人間が刺激の無い場所でじっと考えていることがいかに苦痛であるかが紹介されている。この番組は、バージニア大学心理学科のグループが米国の有名な科学雑誌「サイエンス」に発表した論文「Just think: the challenges of the disengaged mind」(Science 2014 Jul;345(6192):75-7)を紹介するもので、著者のひとりで、同大学の博士課程に在籍するエリン・ウェストゲートがゲストとして招かれ、論文で公表された実験について説明している。Science Fridayを放送しているPRI(Public Radio International)のホームページには、このインタビューを元にした記事がある(http://www.pri.org/stories/2014-07-19/new-study-found-people-are-terrible-sitting-alone-their-thoughts-how-about-you)。

実験は以下のようにおこなわれる。被験者は研究室に招かれ、何も無い部屋で10分から20分、ひとりきりで過ごすように言われる。入室の際には携帯電話、時計、iPodなど、所持品をすべて預かる。続いて被験者に何枚か写真を見せ、最後に近くにあるボタンを示し、そのボタンを押すと電気ショックが与えられると説明する。被験者は「試しに」ボタンを押すように言われ、押した後で刺激がどれくらい不快だったか、この刺激を二度と受けないために金を払ってもいいと思うかどうかを質問される。被験者は刺激が不快であり、刺激を避けるために金を払うこともかまわないと述べた。

それから被験者はこんなふうに言われるのだ。「さあ、それでは椅子に座ってください。これから10分から20分間好きなことを考えていてください。ルールは2つだけ、椅子から立たないこと、眠らないこと、これだけです。何か楽しいことを考えるといいんじゃないですか? あ、そうそう、電気ショックをまた味わいたいと思ったら、そのボタンを押してかまいませんからね。」

実験を開始するまで、研究者たちも被験者がボタンを押すとは思っていなかったようだ。ところが驚いたことに男性の70%、女性の25%が12分以内にボタンを押したのだ。実験中にボタンを190回押した男性もいたそうだ。最初の被験者には学生を使ったので、もっと広い年齢層の被験者を使って同様の実験をしたが、結果は変わらなかったという。

当初、この研究は人々が考えるのをどのように援助するといいかを探るために計画されたとのことだが、現在では心理的コントロールのありさまが研究の中心となっている。ウェストゲートが言うように、私たちは思考に没入してしまうことがよくある。したがって人間は、思考が不得意なのではなく、決められた時間に決められた場所で環境から孤絶して、意識的に思考に集中することが不得意なのだろう。

無実の人間が警察の留置場に拘留されて嘘の自白をしたり、拘置所の独房に長期間留置された人間が拘禁症状を呈したりすることと無関係ではないと思う。人は刺激の無いところに長く留まることが不得意なのだ。刺激が無いより、不快な刺激でもあったほうがいい。番組でも記事でも、パスカルの言葉、「人間のすべての苦難は、ひとりで部屋に静かに座っていられないことに根本原因がある」が『パンセ』から繰り返し引用されているが、「ヒトは社会的な動物である」という言葉には「ヒトはひとりでいることに堪えられない」という意味もあるのだ。ひとりでじっとしていられないからこそ人間なのだと思う。

長隆『病院経営改革へ―なぜ、わたしは戦い続けるのか』(財界研究所)について引き続き書きたい。千葉県の安房医師会病院の再建に関わったとき、長は官僚相手に戦った。かなり熾烈な戦いで、彼は「千葉県では2度と商売はしたくないと思ったぐらいだ」と述懐している。
千葉県館山市にある社団法人安房医師会病院という約150床の病院が2007年に破綻した。医師不足で赤字が続き、10億円近い資金を個人保証で借入していたので、医師会の役員をやる人がいなくなってしまったのだ。(216ページ)

指定管理者はさまざまな理由から亀田病院系の社会福祉法人に決めた。ところが千葉県が、社会福祉法人の病院は前例がなく、開設許可はできないと言い始めたのだ。館山市唯一の救急病院が潰れると、救急患者は隣の鴨川市に流入する。そうなると鴨川市にある亀田病院もパンクしてしまう。そこで長は堂本千葉県知事(当時)に何としても許可してほしいと頼み込み、ようやく「わかりました」との言葉を取り付けた。
だから当然、この件は受理されるだろうと思っていた。ところが認可申請書を持って県へ提出したら、千葉県の参事がのこのこやって来た。やって来るなり、こういう病院の開設は前例がないので申請を受理しないと言うのだ。

しかし、実際には、社会福祉法人の病院は前例がある。事前に調べて分かっていた。恩賜財団済生会病院だ。済生会は社会福祉法人だ。それに麻生氏が所有する株式会社麻生では、系列で社会福祉法人の病院を新たに開設している。そういう前例があるではないかと詰め寄った。[中略]

医療整備課長など5、6人をつれてやってきた参事は、最後まで「駄目」の一点張り。ついにオーナーの亀田隆明理事長と私は怒りが爆発した。

「これから堂本知事に電話する! 千葉県では知事とあなたと、どちらが偉いのか!?」「受理しないなら帰れ! 明日の朝、記者会見を開く」「知事はOKを出したのに、役人が受理しないと言っている。千葉県南端の房総半島の地域医療は崩壊する。原因は君らにある―という内容の会見だ」「会見ではあなた方の名前も全部出す」……。たいへんな剣幕でまくし立てた。

亀田氏は千葉では影響力があるし、私も総務省のアドバイザーだったから、この「脅し」は効いたようだった。それでようやく受理された。(217ページから219ページ)

千葉県の役人がなぜそれほど不受理にこだわったのか、そのわけをぜひ知りたい。

長はPFIにも否定的だ(PFIはprivate finance initiativeの略で、公共の施設を民間の業者に建てさせて運営を任せ、経営に民間の活力を利用しようという制度)。近江八幡市立総合医療センターの再出発を決める「あり方検討委員会」では委員長を務めたようで、PFIに対する批判と、「あり方委員会」の議事録に1章を宛てている。彼は「PFIはただの金融商品」と断言している。近江八幡では、手探り状態のPFIで、病院を運営する気のないゼネコンが引き受けたためにひどいことになったのだろう。その後、2010年頃になって、東京都も都立病院の建て替えにPFIを導入することになり、大騒ぎになった。

東京都のPFI事業は、おおむね成功していると言っていいだろう。少なくとも大失敗はしていない。近江八幡の失敗を研究することで、病院を運営するSPC(special purpose company、病院の運営に特化した「特別目的会社」)の事業成果を定期的にチェックし、インセンティブやペナルティを与える仕組みを作っている。では、直営より優れているかと言えば、長所も短所もあり、簡単には言えない。しかし、職員が2年で交代してしまうことがなく、スキルを積み重ねていけるところは大きな長所だろう。

事務方にとってのいちばんの利点は、ノウハウを蓄積できたことと、導入を完了させた担当者の業績となったことだろう。

長隆(おさ たかし)『病院経営改革へ―なぜ、わたしは戦い続けるのか』(財界研究所)について引き続き書きたい。長は公認会計士で、総務省の地方公営企業アドバイザーを創設時の1995年から2006年まで13年間務め、その縁で多くの公立病院の改革や再建などを手がけている。

地域医療振興協会に対する批判も厳しい。静岡県の伊豆にあった共立湊病院は、国からの補助金が切れたことを機に、市街地の中心部(下田駅前)に移転・新築することになった。土地は静岡県から安価に譲渡してもらったが、建築の費用が無い。病院の管理にあたっていた地域医療振興協会に家賃の納入を求めたところ、病院から手を引くと言い出したということだ。結局他の医療法人が家賃を納める条件で引き受け、下田メディカルセンターとして再生することになった。
ところがこの流れを見てなのか、共立湊病院から手を引くと言っていた地域医療振興協会が突然、まさかの信じられない行動に出る。これは国会にも質問状が出されたぐらい、異例の事態だった。

下田メディカルセンターとは近接していて、同じ医療圏にある、祥和会伊豆下田病院という60床の病院が同じ頃、経営が行き詰まっていた。地域医療振興協会はこの病院を買収して、何と直接、この病院の経営をこの地で始めることにしたのだ。(138ページ)

さらに同会は、まだ湊病院の指定管理者であったことを利用し、湊病院の医師や看護師を伊豆下田病院へ異動させたのだ。何ともひどい話である。
そもそも共立湊から手を引くと言った理由は、医師が集められない、というもっともらしい理由からだった。それなのに病床の権利を買ってすぐそばに新しい病院を建てる、というのはどういうことなのか?

地元のほとんどの人は私の考え方に共鳴している。ところが一部の議員が地域医療振興協会側について動いている。要は利権を目的とした議員だ。地域医療を食い物にしているといわざるを得ない。(141ページ)

長は東京・練馬の光が丘病院についても、能力の無い地域医療振興協会が成算も無く後を引き継いだために地域の小児救急を崩壊させたと指摘する。浦安市川や横須賀でも顰蹙を買っているそうだ。

地域医療振興協会は自治医科大学の卒業生が中心となって1986年に設立された組織で、会長は高久史麿である。長は同協会のすべてを否定しているわけではない。昔は良くやっていたと評価しているし、現在でも頑張っている職員がいることは認めている。
本当の過疎地で、夜は真っ暗になるところで日夜努力している地域医療振興協会の職員は大勢いる。だが、能力の範囲を超えて規模の拡大を図るのがまずい。(141ページ)

要は、経営陣の節操の無さなのだ。会長の見識が問われる事態ではないだろうか。

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