阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2014年07月

世界の民族には「民族性」というものがあることは疑いない。もちろん、その民族全員が同様の性格になるわけでは無い。だが、どの人に接しても、その人が属する民族の特性を持っていると感じることが多い。誰でも自分が所属する民族のコミュニティで生活できるということは、少なくとも「馴染む力」を持っているということで、その力がとりもなおさず民族性の一端なのだろう。

豊田によれば、韓国人は(ここでの「韓国人」は「韓半島人」と言い換えてもいいと思う。北朝鮮の人々も含んでいると思われる)自己主張が強く、論理的な議論が下手である。議論する代わりに自説を大声で周囲に吹聴する。豊田はこの民族性の根源を韓国・朝鮮がたどった悲惨な歴史に求める。朝鮮半島は2000年間に960回も外敵の侵略を受けたという。昨日までの約束、昨日まで正しかったことが、新たな侵略者により一夜にして変わってしまうことを繰り返し経験した。そのため、自分のことを、正当性や妥当性を抜きにして、必死で言い立てる。前言を何のこだわりも無く撤回するし、自分の言っていることが客観的に正しいかどうかも関係ない。
韓国人が路上で怒鳴り合っている場面は、珍しくない。市場の中などで、よく見かける光景だ。日本人から見ると、あそこまで激した次は暴力に訴えるかと、野次馬根性を発揮して喧嘩を楽しみに見物したりするが、たいてい暴力沙汰にはならない。[中略]

日本で、怒鳴り合いになる場合は、滅多にないが、たいてい相手に向かって怒鳴っているのだろう。ところが、韓国では、もちろん相手にも怒鳴るのだが、周囲の野次馬に訴えている部分が、たいへん重要なのだ。これも、過酷な歴史がもたらした現象だろう。関係のない他人を巻き込んででも、自分の正当性を叫びたて、支持を取り付けようとするわけだ。(183ページ)

これに類する話を聞いたことがある。韓国では夫婦喧嘩になると、女性が道に走り出て大声で男性の悪口を言うのだそうだ。そうすると男性が謝って女性を家に連れ戻す。周囲に自己の主張を声高に訴えることが重要なのだ。このような豊田の分析を読むと、現在の韓国や北朝鮮の振る舞いがよくわかる。韓国の大統領が米国の外交官や官僚にしきりと日本の悪口を言い立てる姿が重なる。自分を棚に上げて日本の悪口を言い立てているのは、中国も同様だ。漢民族も長年異民族に支配され、戦乱の歴史を生きてきた。中国人も似たような民族性を持っているのかもしれない。

彼は、それに対抗するには、しっかり自説を述べるしかないと言う。
こちらが、おとなしくしていれば、ますます居丈高になる国民性だから、こちらも、根拠のない反日には、いちいち手ひどく反撃しなければならない。そのつど、報復(retaliation)に出るべきだ。韓国側に、反日によって失うものが多すぎると、はっきり認識させないかぎり、反日は止まらない。

一見、乱暴なようだが、綺麗事だけでは、友好関係は維持できない。一時的には、摩擦も増大するし、関係も悪化するだろうが、長い眼で見れば、両国のためになる。

これまで、日本側は、まさに真逆の対応を取ってきたことになる。(185ページから186ページ)

外交とはそのようなものだろう。「人を見て法を説け」ではないが、相手に合わせて戦術を変えていかないで、思うようにことが運ぶわけがない。長く平和に付き合うには、相手が自分のことを侵害してこないように、しっかり釘を刺しておかねばならない。私は典型的日本人で、相手の嫌がるであろうことをはっきりと伝え、相手が私のおかげでどれだけ助かったかを指摘するのが不得意だ。しかし、違った性格の人とうまくやっていくためには、相手に合わせたコミュニケーション法が必要だ。中国・韓国・北朝鮮との外交はともかくとして、まず身近なところで学んだことを使ってみようと思う。

豊田有恒『どの面(ツラ)下げての韓国人』(祥伝社新書)を読了した。豊田を知ったのはずいぶん昔の話で、彼の小説『地球の汚名』が早川書房から出ていた「S-Fマガジン」誌に掲載されたのを読んでのことである。私の記憶では1973年頃のだったと思う。

その頃私は学校のSF同好会に所属しており、部長に連れられて同級生と一緒にSF同人誌「宇宙塵」の編集長であった柴野拓美の自宅に遊びに行ったのを覚えている。柴野の家で雑談するうちに豊田の『地球の汚名』の話になった。柴野から、この話が忠臣蔵をベースにしているのに気付いたかと問われ、そう言えば部下が47人であったと思い出したのだ。その席で、柴野から盟主ハサン・タクマールは浅野内匠頭、部下のヤッシャ・ホルバインは堀部安兵衛と言われて、やっと名前の類似に気がついた。忠臣蔵のあらすじは知っていても、歌舞伎の演目である仮名手本忠臣蔵をほとんど知らなかった私は「チャイヨという老婆の名前が日本語の『チヨ』だろうと思ったが、唐突な登場で必然性がわからなかった」というようなことを述べると、柴野が「それはお千代婆さんだ。ほら盗まれた燃料が50トンだっただろう?」と忠臣蔵の中で50両にまつわる場面の焼き直しであることを教えてくれたのだが、私は理解できなかった(今も理解できていない)。

そのときに、豊田がユニークな経歴の作家で、韓国語が得意であることを聞いたような気がする。その後、ずいぶん経って『韓国の挑戦―日本人が知らない経済急成長の秘密』(祥伝社、1978年)を読んだ。SF作家だと思っていた豊田がどのようなことを書いているのか興味を持ったからである。同書の内容の一部は今も鮮明に記憶している。彼は韓国を頻繁に訪ねているとのことだった。当時韓国人は日本人に対してライバル意識が強く、街を歩いていると突然英語で話しかけられることがある、一度などはドイツ語で「なぜ韓国に来たか」と訪ねられたことがあると書いていた。日本人はすぐ「Yes」と言うのに対し、韓国人はとりあえず「No」と言うという話は、同書ですでに述べられていた。

印象的だったのは、夏休みに子どもを連れて韓国に海水浴に行き、夏休み明けの学校で子どもたちが旅行を話題にした際の後日談だ。子どもたちの中にはハワイに行った子がおり、「何々は英語でこれこれと言うんだ」という話になった。豊田の子どもは「韓国語ではこう言う」と知識を披露した。その場はそれなりに盛り上がって終わったのだが、後日彼の子どもは「韓国人じゃないの」と陰口をたたかれたと言う。豊田は、そのような発言は親の入れ知恵に決まっている、と嘆いていた。私も、西欧を崇拝しアジア諸国を蔑視する風潮に辟易したものである。豊田に対する私の印象は「韓国通、韓国贔屓の作家」という印象だった。

その豊田が『どの面(ツラ)下げての韓国人』とは、どのような韓国論だろうと思って手に取った。最近の日韓関係を反映してか、韓国を批判する本が書店の店頭に並んでいるが、民族差別やヘイトスピーチを連想して手に取る気にならなかった。だが、豊田は信頼できる気がしたのだ。

本書で知ったのだが、彼は2000年に島根県立大学総合政策学部教授に就任し日本地域文化論などを教えていた。現在は名誉教授である。アジアの古代史に造詣が深く、政府のさまざまな諮問委員を務めているとのことだ。韓国通で、どのように韓国(人)と付き合えば良いのかを熟知した豊田が、現状の日本の対応を歯痒く感じて本書を執筆したのだ。最終章(第八章)の最後に彼はこう書いている。
[日本と韓国が現在戦っている]この情報戦に敗北し、日本が破滅するのを見たくない。この本を、過去40年にわたってコリア・ウォッチャーとして生きてきたわたしの遺言としたい。(223ページ)

本書を読んで感じたことは、明日のブログとしたい。

平岡諦『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識―日本の医の倫理の欠点、その歴史的背景』(ロハス・メディカル)について、もう一度書きたい。平岡は大阪中央病院顧問(血液内科医)で、日本医師会の倫理綱領に対する批判をたびたび医療ガバナンス学会メールマガジン「MRIC」に同様の趣旨で何度か投稿しており、このブログでもすでに何度か取りあげている。

本書の第2章以降は、これまでに述べて来たような翻訳の「舌足らず」がどうして起こったかという論証である。平岡によれば、それは「舌足らず」ではなく、意図的な曲解、隠蔽ということになる。太平洋戦争中に医師によって医学の名の下におこなわれた人体実験について、責任追及を曖昧にするためである。

人体実験とは、もちろん七三一(石井)部隊のおこなった数々の残虐行為を指す。ドイツではナチス医学に加担した医師たちが有罪とされ、処刑されており、ドイツ医学会もその反省に立って出直したのに、日本では石井部隊の残党がミドリ十字という製薬会社を興し、社会的に高い位置を確保したままでいた。そのため、日本の医学会は、自分たちの行為を反省するより、責任追及を逃れる方向に動いたというのだ。

彼が挙げる事実を追っていくと、まるでジグソーパズルをしているように、徐々に巨大な絵が現れてくる。彼の示すものは状況証拠にすぎないが、すべての状況証拠が「人権侵害の事実の隠蔽」を指していれば、有罪である蓋然性が高いと判断せざるをえない。日本医師会は人権を最上のものとすることを避けたいと考えており、医師の判断を最上のものとしたいのだ。医師の判断が人権に優先すると考えている。

彼が挙げる医師の犯罪的人権侵害行為は、ハンセン病の長期隔離政策、水俣病の原因食物特定後の不作為、和田心臓移植事件、薬害エイズ事件での感染拡大、修復腎移植事件における学会の硬直した対応など、専門家たる医師が真摯に対応していればここまでひどいことにはならなかったと思われる、胸の痛む事例ばかりだ。医師の判断が過信されており、人権が安易に無視されている。しかも、ここでの判断根拠は医学でも倫理でもなく、保身と自己利益なのだ。

しかし、これは医師に限ったことではなさそうだ。3.11をめぐる原子力の「専門家」たちの対応を見れば、それがよくわかる。自分たちの権益を守ろうとする専門家は、原子力の分野でも非常に多かった。なぜ倫理水準が高いと世界的に思われている日本人に、このような非倫理的な行動が見られることがあるのか、今後考えていきたい。

平岡諦『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識―日本の医の倫理の欠点、その歴史的背景』(ロハス・メディカル)について、引き続き書きたい。平岡は血液内科医で、大阪中央病院の顧問であって、日本医師会の倫理綱領に対する批判をたびたび医療ガバナンス学会メールマガジン「MRIC」に投稿している。このブログでもすでに何度か取りあげている。

インフォームド・コンセント(informed consent、IC)を日本医師会がどう捉えているかについて、本書から日本医師会の『医師の職業倫理指針』(2004年版)を引用する。
正しい病名や病状を正直に患者に知らせることは医の倫理として大切であり、また患者にその後の検査や治療についての同意を得、診療についての協力を得るのに不可欠である(インフォームド・コンセント)。(89ページから90ページ)

この説明を、平岡は次のように批判する。
「十分な説明を受けた上での、主体的な同意」がインフォームド・コンセントの内容です。その主体は患者のはずです。しかし、日本医師会の「説明と同意」の主体は医師になっています。日本医師会はインフォームド・コンセントを「説明と同意」と訳すことによって、その主体を患者から医師に移し、主導権を医師に与えてしまったのです。患者の人権を曖昧にしたとしか言いようがありません。(90ページ)

ICの訳についてはCOMLの辻本氏も「説明と同意」では患者不在であると抗議を続けていた(http://www.coml.gr.jp/shoseki-hanbai/badge.html)。

現在『医師の職業倫理指針』は改訂され、最新のものは2008年版である。最新版ではかなりの改善が見られる。
(3)患者の同意
医師が診療を行う場合には、患者の自由な意思に基づく同意が不可欠であり、その際、医師は患者の同意を得るために診療内容に応じた説明をする必要がある。医師は患者から同意を得るに先立ち、患者に対して検査・治療・処置の目的、内容、性質、また実施した場合およびしない場合の危険・利害得失、代替処置の有無などを十分に説明し、患者がそれを理解したうえでする同意、すなわち「インフォームド・コンセント」を得ることが大切である。また、侵襲性の高い検査・治療などを行う場合には、説明内容にも言及した同意書を作成しておくことが望ましい。しかし、同意書を得る際には、形式的にならないように努めるべきである。またセカンド・オピニオンを求められた場合には積極的にこれに応じる必要がある。

しかし、これでも不十分な点がある。まず、「同意を得る」と、主体があくまで医師になっていることだ。患者を主体とし「患者が同意した場合にのみ、同意された治療をおこなうことができる」とするべきだろう。侵襲性の高い検査・治療の場合の「説明内容にも言及した同意書」の意義が不明である。説明内容への言及はすべての同意書に必要なものである。説明内容が記載されていなければ、患者が何に同意したのかわからない。これではパターナリズムと言われても反論できないだろう。また、セカンドオピニオンは求められておこなうものではない。患者から言い出しにくいのは当然であり、セカンドオピニオンという制度の存在すら知らない患者もいる。医師から「このような仕組みもある」と提案すべきものである。

それにしても2004年版の倫理指針の「正しい病名や病状を正直に患者に知らせることは医の倫理として大切」というくだりは情けなくて涙が出る。正直であることをことさら言わなければならないのは、現代の感覚からするとあまりに時代遅れである。

平岡諦『医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識―日本の医の倫理の欠点、その歴史的背景』(ロハス・メディカル)を読了した。平岡は血液内科医で、大阪中央病院の顧問である。彼は、日本医師会の倫理綱領に対する批判をたびたび医療ガバナンス学会メールマガジン「MRIC」に投稿しており、このブログでもたびたび取りあげている。本書は彼の主張をまとめた唯一の書籍であるので、いつか読まなければならないと思っていた。

本書の最初の部分は、英文解釈と哲学の教科書のようだった。世界医師会(WMA)のヘルシンキ宣言(1947年)、ジュネーブ宣言(1948年)、リスボン宣言(1981年)、マドリッド宣言(2009年)などについて、延々と原文(英文)の解釈、翻訳の説明が続く。さらに、それに絡めてカントの道徳哲学に関する説明がおこなわれる。彼の主張にはたびたび接していたので、その論拠となっているこれらの説明を読まなければならないと思ったので何とか乗り越えたが、正直に言っていささか辛かった。

議論が退屈なのではなく、彼の詳細な説明でも、まだ説明が足りないと感じられ、その部分を自分の思考によって補わなければならなかったからだ。人権とは何か、世界医師会はそれをどう捉え、どのように扱おうとしているか、カントの道徳哲学はどのようなものか、このいずれもが各々1冊の書籍になるような内容であるから無理も無い。

第2章以降は歴史サスペンスを読んでいるようで、引き込まれて一気に読んだ。ただし、これは小説ではなく、現実である。平岡が繰り返して主張している、日本医師会の隠蔽体質が太平洋戦争中の非人道的人体実験に関連しているということの論証だ。平岡の論は重箱の隅をつつくようで、牽強付会の面があるとも言えなくはない。しかし、主張の大筋は正しいと感じられる。

世界医師会が宣言の中で使っている「autonomy(自律)」という言葉についての平岡の解釈は以下のとおりだ。
・clinical autonomy:医師としての自律
・professional autonomy:医師会としての自律

日本医師会の倫理綱領などでは、このような分類がなされていない。「プロフェッショナル・オートノミー」というカタカナ言葉も使われているが、日本医師会の基本的態度は「個々の医師の自覚に俟つ」だ。医師は、各個人が自分を律し、倫理に則って行動しなければならないのは当然である。臨床の場面での「自律」がclinical autonomyだろう。日本医師会はそのような自律とprofessional autonomyを区別していない。professional autonomyを直訳すれば「職業的な自律」と訳せる。そこで「医師(という職業に就いたもの)としての自律」という解釈も可能になる。日本医師会の解釈はこのようなものなのだろう。しかし、それは浅い解釈であると言わざるをえない。個々の医師の倫理観に寄るのでは、かならず不心得者が現れることから、「医師」という職業自体の地位を維持するには不十分である。そこで「職能団体としての自律機能」が必要となり、これがprofessional autonomyであるという平岡の解釈の方が正しい。

平岡は「人権をrespectする」と使われる際のrespectの訳にもしつこいほど噛み付いている。日本医師会の訳では「尊重する」なのだが、平岡はこれでは「尊重はするが、そのとおりにするとは限らない」にしかならないと批判し、「尊敬する」でなければならないとする。本書の題名もここに由来しており、人権は「尊重する」ものではなく「擁護する」ものであると言う。「患者を第一に(put the patients first)」という理念が繰り返し強調されている。これも平岡の指摘が正しいだろう。「尊重する」には消極的なニュアンスがある。平岡は、医師の倫理は第2次世界大戦中の人体実験の反省から、戦後大きく変わったと指摘する。戦前は医師の倫理と国家秩序(法)との関係があいまいだったが、戦争中に多くの医師が国家の命令により医学を非人道的な目的に使用した反省から、戦後は医師の倫理を法律の上に置くようになった。その倫理の原則となっているのが人権のrespectである。こう考えると、respectを「尊重」と訳したのでは、たしかに弱い。「すべての価値の上位に置く」「最高の価値を与える」などがふさわしいと思うが、平岡の言う「尊敬する」も、ややこなれていない感じがするものの、有力候補であろう。

さらに、informed consentを「説明と同意」と翻訳したことも、主体を患者から医師にすり替えるものだと指摘する。このことについては、明日述べることにする。

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